210703蜻蛉日記⑭「安和の変起きる」

今回から蜻蛉日記の中巻に入る。作者34歳。969年。この年三月に安和の変。藤原氏が他の

競争相手を排除した政変。

 

「朗読1」安和の変の始まり。

世の中に、如何なる咎まさりたむけむ。天下の、人々流るるとののしることいできて、紛れにけり。

二十五六日のほどに、西の宮の左大臣流されたまふ、見立てまつらむとて、天の下ゆすりて、西の宮へ、人走りまどふ。

「現代語訳」

どんな大罪だったのか。人々が流罪にされるという大騒ぎが起きて、私の小さなことなど取り紛れて

しまった。三月の二五、六日頃、西の宮の左大臣が流罪となり、それを見ようと世の中は大騒ぎを

して、西宮の方へ人々は慌てて走っていく。

「講師」

西宮の左大臣 源高明(醍醐天皇の第四皇子 臣籍降下、妻は兼家の妹(愛宮)、娘は村上天皇の妃。源孝明が東宮となり、更には天皇となるのを恐れた藤原一族が、失脚を画策した。

 

「朗読2」左大臣は逃げたが、結局捕まって流罪となる。私も含めて、泣かない人は

     いなかった。

いといみじきことかなと聞くほどに、人にも見えたまはで、逃げでたまひにけり。愛宕にになむ、清水に、などゆすりて、つひに尋ね出でて、流したてまつると聞くに、あいなしと思ぬまでいみじう悲しく、心もとなき身だに、かく思ひ知りたる人は、袖を濡らさぬといふたぐひなし。

「現代語訳」

とても大変なことだと思って聞いている内に、人に隠れてお邸を逃げ出してしまわれた。愛宕山に

いらっしゃる、清水寺にいらっしゃるなどと大騒ぎして、遂に探し出して流罪になられたと聞いて、どうしてこんなにと思い悲しく、私のように状況に疎いものでも、泣かずにはいられない。
まして人情の分かる人々なら、袖を濡らさぬ人はいないという有様である。

 

「朗読3」お子さんたちも、地方に追放されたり、出家したり痛ましい限り。左大臣も出家した

      が、九州に追放された。

あまたの御子どもも、あやしき国々の空になりつつ、行く辺も知らず、ちりぢり別れたまふ。あるは、御髪おろしなど、すべて言へばおろかにいみじ、大臣も法師になりたまひにけれど、しひて帥になし

たてまつりて、追ひくた゜したてまつる。そのころほひ、ただこのことにて過ぎぬ。

「日本語訳」

多くのお子さんたちも、辺鄙な国へ行く身の上になって、行方も分からなくて、ちりぢりとなった。

ある方は、出家したりして、言葉では言えない痛ましさであった。左大臣も出家されたが、無理に太宰権帥に落として、追放された。その頃はこの事で、もちきりであった。

 

「朗読4」私事を書く日記であるが、この事は書かずにはいられなかった。

身の上をのみする日記には入るまじきことなれど、悲しと思ひ入りしも誰ならねば、記しおくなり。

「現代語訳」

自分の身の回りのことを書く日記には、入れるべき事ではないが、とても悲しいと思った私なので、

書かずにはいられなかった。

「講師」

ここには、作者としての覚悟が表明されている。自分の体験を書こうと、蜻蛉日記を執筆してきた。

兼家の妻として、道綱の母として生きていく女の一生を書こうとしてきた。
その思いを覗いてみよう。

自分が記した安和の変は、男性貴族が生きる世界であり、女の日記がテーマとしている、私の世界

とは関係のない、無縁の世界であるはずである。だから源高明の不幸を書くべきではないかもしれない。しかし、この事を悲しいと、我が事のように思ったのは、他ならぬ自分である自分の人生を描く

蜻蛉日記で、この事を書いたのは正しかった。この姿勢は、紫式部の源氏物語にも流れ込んでいる。源氏物語は、光源氏、藤壺を中心とする皇族と源氏の勢力が、藤原一族と政治的な戦いを繰り広げる。蜻蛉日記の作者は、源高明が左遷された後、都に残された妻に、心からの同情を伝える長歌を送る。

「朗読5」奥様は尼になられたらしい。お邸も焼けてしまい、里に帰られた。自分の気持ちも

      すっきりしないが、思いを書き出すと中身は見苦しいことだけど・・・・

聞けば、帥殿の北の方、尼になりたまひにけりと聞くにも、いとあはれに思うたてまつる。西の宮は、流されたまひて三日といふに、かきはらひ焼けにしかば、北の方、わが御殿の桃園なるに渡りて、

いみじげにながめたまふと聞くにも、いみじう悲しく、わがここちのさはやかにもならねば、つくづくと

臥して思ひ集むることぞ、あいなきまで多かるを、書き出だしたれば、いと見苦しけれど。

「現代語訳」

聞く所によると、奥様は尼にお成りになったとのこと、まことにお気の毒でならない。お邸も、流罪になって三日なのに、焼けてしまい、奥様はご自分のお邸に移って、とても悲しんでおられると聞く。とても悲しくて、自分の気持ちもすっきりしないせいもあって、床に伏して色々と思い集めて書き出すと、

まことに見苦しいことだけど。

 

「朗読6」長歌1 春になって、左大臣が流罪となった。御いたわしいことである。

あはれいまは かくいふかひも なけれども 思ひしことは 春の末 花なむ散ると 騒ぎしを あはれあはれと 聞きしまに

「現代語訳」

今となっては、言う甲斐もない事ではありますが、思えば春の終わりに、花が散るように左大臣様が流罪になると騒ぎを、お気の毒で痛ましいと聞いている内に

 

「朗読7」長歌2 左大臣は、身を隠しておいでだったが、見つかって流罪となった。

西みやまの 鶯は かぎりの声を ふりたてて 君が昔の あたご山 さして入りねど 聞きしかど 人言しげく あのしかば 道なきことと 嘆きわび 谷隠れなる 山水の つひにると 騒ぐまに

「現代語訳」

深山の鶯が声を限りと飛んでいくように、左大臣様も泣きながら、愛宕山にお入りになったと聞きましたが、それもすぐ人の口の端に登り、非道なことと嘆いて、身を隠しておられたが、遂には見付かって流されてしまったと騒いている内に
「講師」

作者の同情は、左大臣が逃げ回っていたが、遂には捕まって流されたことにある。

 

「朗読8」季節が変わって、山ほととぎすが、ご主人を慕って鳴いています。

世をう月にも なりしかば 山ほととぎす たちかわり 君をしのぶの 声絶えず いづれの里か 

かぎりなし

「現代語訳」

この憂わしい世の中も四月になると、替わって鳴く山ほととぎすのように、ご主人を慕って鳴く声は、

どこの里でも絶えることはありません。

 

「朗読9」五月雨の頃。涙を流さない人はいないけど、お子さん達の嘆きはいかばかりでしょう、

ましてながめの 五月雨は うき世の中に ふるかぎり 誰が袂か ただならむ たえずぞうるふ 五月さへ 重ねたりつる 衣手は 上下わからず くたしてき ましてこひじに おりたてる あまたの田子は おのが世々 いかばかりかはそほちけむ

「現代語訳」

もの思いがちな五月雨の頃になると、この辛い憂き世に生きている人は、袂を濡らさない人はいません。五月まで閏でり、重ねた衣の袂は、身分の上下を問わず、ご主人を慕って濡れています。まして、父君を慕っている多くのお子さんたちは、どんなにか涙を流しておられることでしょう。

 

「朗読10」子供までも四散した状況に同情している

四つにわかるる 群鳥の おのがちりぢり 巣離れて わづかにとまる 巣守にも 何かはかひの 

あるべきと くだけてものを 思ふらむ

「現代語訳」

四散されたお子様たちは、巣離れして別れていく群鳥のように、巣離れして行かれた。僅かに小さいお子が残られても何の甲斐があるものかと、お嘆きかとお察しします。

 

「朗読11」左大臣と奥さんの現在を、慰めている。

いへばさらなり 九重の 内をのみこそ 馴らしけめ おなじ数とや 九州 島二つをば ながむらむ かつは夢かといひながら 逢ふべき期なく なりぬとや」

「現代語訳」

言うまでもなく、ご主人は宮中に住み慣れていらしたが、今は九州を眺めておられることでしょう。奥様も、こんなことは夢かと思いながら、再会も叶わないとお嘆きでしょう。

 

「朗読12」大変なことで尼におなりになったのでしょう。それで、途方に暮れておられること

      でしょう。

君も嘆きを こりつみて 塩焼くあまと なりぬらむ 舟も流して いかばかり うら寂しかる 世の中を ながめかるらむ

「現代語訳」

あなたは多くの嘆きを重ねて、尼におなりになったのでしょう。海人が大事な舟を流してどんなにか

途方に暮れるように、世の中を眺めておられることでしょう。

 

「朗読13」長い別れとなったので、奥様の夜床も荒れてしまうことでしょう。

ゆきかえるかりの別れに あらばこそ 君が夜床も あれざらめ 塵のみ置くはむなしくて 枕のゆくへもむ 知らじかし

「現代語訳」

行っても帰ってくる雁のような別れならば、奥様の夜の床も荒れることは無いでしょうが、長い別れ

なので、塵が積もって枕の行方も、解らないほどでしょう。

 

「朗読14」奥様の嘆きに同情している。

いまは涙もみなつきの 木陰にわぶる うつせみも 胸さけてこそ嘆くらめ

「現代語訳」

今は涙も尽き果てて、六月の木陰に侘しく残る空蝉のように胸が裂ける思いで嘆いておられること

でしょう。

 

「朗読15」秋になると、寂しさが一層募る事でしょう。その寂しさは、私も同じなのです。

ましてや秋の 風吹けば 籬の荻のなかなかに そよとこたへむ をりごとに いとど目さへや あはざらば 夢にも君が 君を見て 長き夜すがら 鳴く虫の おなじ声にや たへざらむと 

思ふ心は おほあらきの 森の下なる 草のみも おなじく濡ると 知るらめやつゆ

「現代語訳」

まして秋風が吹く頃になると、垣根の萩がそよそよと心に沁みて聞こえる度に、目が醒めて、
夢でも左大臣にお会いできないで、長い秋の夜通し、鳴く虫の声にあわせて、忍び泣きされていると、お察しします。
私の心境も、森の下の草の実と同じく、涙に暮れていることをご存じでしょうか。

「講師」

愛宮(左大臣の妻)への同情の歌かと見えたのが、作者自身の物思いの発露だったと気付いたのである。実は、私の心境も同じ状況にあるといっているのだ。私の事も分かっていただけるでしょうかと言っている。この長歌は、愛宮への同情というより、自分の悲しみを歌ったものである。

 

「コメント」

遂にここまで行くか。人への同情にかこつけて自分の事を言っているのだ。我儘も自分勝手も極まれり。なまじ歌も文章も上手い優等生だけに始末におえない。