210619蜻蛉日記⑫「初瀬詣で」その1

今回と次回で作者が大和国の長谷寺に詣でる旅を話す。ここは観音信仰で有名。初瀬詣でともいう。
更級日記の作者 藤原孝標女も詣でている。

蜻蛉日記の作者は、度々山寺と言って鳴滝の般若寺へ籠っている。

蜻蛉日記は上中下三巻で構成されているが、上の終わりに位置しているのがこの初瀬詣でである。

作者には深い思い入れがあったものと見える。

 

「朗読1」宿願の初瀬詣でを、夫の願いを振り切って強行する。大嘗会と娘の入内。

     冷泉天皇の皇后超子である。

かくて年ごろ願あるを、いかで初瀬にと思ひ立つを、たたむ月にと思ふを、さすがに心にしまかせねば、かろうして九月に思ひ立つ。「たたむ月には大嘗会の御禊、これより女御代出で立たるべし。これ過ぐしてもろともにやは」とあれど、わがかたのことにしあらねば、忍びて思ひ立ちて、日悪しければ、門出ばかり法性寺の辺にして、あかつきより出で立ちて、午時ばかりに宇治の院にいたり着く。

「現代語訳」

さて、数年来の宿願があったので、何とかして初瀬に詣でたいと思い立って、次の月と思ったが、やっぱりすっきりしないので、九月に行こうと決めた。あの人が「次の月には大嘗会の禊があり、家から皇后が立たれるので、これが終わって一緒に行く事にしよう」と言うけれど、私には関係のない事なので、こっそり九月に行く事に決めた。出発の日が凶日だったので、前日に法性寺のあたりで門出を

して、次の日の早朝から出発し、お昼頃には宇治の院に到着した。

「講師」

前の年に冷泉天皇即位。この年に大嘗祭で夫兼家は大活躍。娘の入内。思い起こさせられるのは

更級日記。作者 藤原孝標女も、大嘗祭で熱狂している京を後に、初瀬詣でに出発する。さすがに

伯母(蜻蛉日記の作者)と、姪(菅原孝標女)  

菅原孝標女の母は蜻蛉日記の作者の妹。姪が伯母の真似をした。

 

「朗読2」宇治川の舟の賑やかさと、網代が珍しかった。

見やれば、木の間より水の面つややかにて、いとあはれなるここちす。忍びやかにと思ひて、人あまたもなうて出で立ちたるも、わが心のおこたりにはあれど、われならぬ人なりせば、いかにののしりてとおぼゆ。車さしまはして、幕など引きて、しりなる人ばかりおろして、川にむかへて、簾巻きあげて

見れば、網代どもし渡したり。ゆきかふ舟どもあまた見ざりしことなれば、すべてあはれにをかし。

「現代語訳」

見渡すと、木の間を通して川面が光っていてしみじみとした思いがする。目立たぬようにと、供の人数も少なくして出てきたのも不用意であったが、そうでなければ、大騒ぎして行く所であろう。車を回して、幕を引きまわして、簾を巻きあげて見ると、川には網代が仕掛けてある。行き交う沢山の舟を

見たことは無かったので、趣深く感じられた。

「朗読3」長谷寺への参詣口、椿市に到着。色々な人々を観察している。

明くれば、川渡りて行くに、柴垣し渡してある家どもを見るに、いづれならむ、かもの物語の家など思ひ行くに、いとあはれなる。今日も寺めくところにとまりて、またの日は椿市といふところにとまる。またの日、霜のいと白きに、詣でもし帰りもするなめり。脛を布の端して引きめぐらかしたるものども、ありきちがひ、蔀さしあげたるところに宿りて、湯わかしなどするほどに見れば、さまざまなる人の行きちがふ、おのがじしはおもふことこそはあらめと見ゆ。

「現代語訳」

夜が明けて、木津川を渡って行くと、柴垣を巡らしている家々を見るにつけ、かもの物語の家はどれだろうなどと思いながら行くと、風情がある。今日も寺の様な所に泊まって、次の日は椿市(桜井市金谷)という所に泊まる。翌日、霜の白い朝に、長谷に詣でたりのする人であろう、足を布で巻いた人々が行き来して騒いでいる。蔀を上げてあるところに宿を取って、風呂の準備などしている間に外を見ると、様々な人が行き交っている。人それぞれに思うことがあるのだろうと思われる。

「講師」

椿市(萬葉集では海石榴市 つばいち と記される) 交通の要衝 長谷寺へ4KM 

 

「朗読4」椿市を出発。秋の薄日が、着物を色々に変化させるのを楽しんでいる。

それより立ちて、行きもて行けば、なでふことなき道も山深きここちすれば、いとあはれに水の声す。例の杉も空さして立ちわたり、木の葉はいろいろに見えたり。水は石がちなる中よりわきかへりゆく。夕日のさしたるさまなど見るに、涙とどまらず。道はことにをかしくもあらざりつ。紅葉もまだし、花もみな失せにたり、枯れたる薄ばかりぞ見えつる。ここはいと心ことに見ゆれば、簾巻きあげて、下簾おし挟みて見れば、着なやしたる、ものの色もあらぬように見ゆ。薄色なる薄物の裳をひきかくれば、腰などちがひて、こがれたる朽葉に合ひたるここちも、いとをかしうおぼす。

「現代語訳」

そこを(椿市)出発して、進んでいくと、何という事もなく山深い感じがするので、水の音などが趣深い。

あの有名な二本の杉も空をさして立っている。木の葉も色付いて見える。川の水は石か多い中を沸き返っている夕日の射している景色を見ると胸一杯で涙が出る。道は別に景色良くもなかった。紅葉はまだだし、花も散ってしまい、枯れた薄ばかりである。ここは風情があるように思われるので、簾を巻きあげてみると、着古した着物が色あせて見える。

でも薄裳を着けると色が交差して、朽葉色の着物と調和している様なのも、とても面白く思われた。

 

「コメント」

まず夫兼家の大事な時期など知ったことかで、初瀬に出発してしまう。すごい女。

 

旅の描写は何となく更級日記の旅の場面を思い出す。それでも大したもの。供を引き連れた

貸し切り車の旅。