210612蜻蛉日記⑪「御代替わりと作者の転居」
作者と夫の兼家に訪れた大きな転機について話す。天皇の交代と、兼家の政治的立場の強まり。
もう一つは、作者が兼家の邸に迎えられたことである。
しかし夫婦仲は前同様に芳しくない。結婚して12年、作者の心境はどうであったか。
「朗読1」相変わらず、訪れない夫への愚痴。我が家もどんどん荒れ果てていく。頼りの父も
地方ばかり。
かくて、人憎からぬさまにて、十といひて一つ二つの年はあまりにけり。されど、明け暮れ、世の中の人のよようならぬを嘆きつつ、つきせず過ぐすなりけり。それもことわり、身のあるやうは、夜とても、人の見えおこたる時は、人少なに心細う、いまはひとりを頼むたのもし人は、この十余年のほど、あがたありきにのみあり。たまさかに京なるほども、四五条のほどなりければ、われは左近のかたきしにしたれば、いとはるかなり。かかるところをも、とりつくろひかかる人もなければ、いと悪しくのみなりゆく。これをつれなく出で入りするは、ことに心細う思ふらむなど、深う思ひよらぬなめりなど、ちぐさにことしげしといふは、なにか、この荒れたる宿の蓬よりもしげげなりと、思ひながむるに、八月ばかりになりにけり。
「現代語訳」
この様にして、人から見れば好ましい夫婦として、結婚生活も12・3年が過ぎた。しかし普通の夫婦とはとても言えないことを嘆きつつ過ごしていた。それもそのはず、夜になってもあの人が来ない時には、人も少なく心細い。
今では一人頼みにしている父も、この十年ほどは地方ばかりで、たまたま京にいる時も四五条辺りで、私は左近の馬場なので、随分隔たっている。こんな家を手入れしてくれる人もいないので、どんどん荒れていくばかりである。
こんな家に出入りするあの人は、私が心細い思いをしているなどとは思ってもいないだろうなどと心が乱れる。業務多端とばかり言っているのは何てことか。物思いに耽っている内に八月になった。
「講師」
訪れない夫に対する不満には、経済的な援助が足りないことへの不満も付け加えられている。
「朗読2」口げんかして、あの人は子供に「もう来ない」と言って泣かせて帰って
行った。かなり経ってから来たが、仲は治らない。
心のどかに暮らす日、はかなきこと言ひ言ひのはてに、われも人を悪しう言ひなりて、うち怨じて
出つ゛るになりぬ。
端のかたに歩み出でて、幼き人を呼び出でて、「われはいまは来じとす」など言ひおきて、出でにけるすなはち、はひ入りて、おどろおどろしう泣く。「こはなぞ、こはなぞ」と言へば、いらへもせで、ろんなう、さようにぞあらむと、おしはからるれど、人の聞かむもうたてものぐるほしければ、問ひさして、とかうこしらへてあるに、五六日ばかりになりぬるに、音もせず。
例ならぬほどになりぬれば、あなものぐるほし、たはぶれごととこそわれは思ひしか、はかなき仲なれば、かくてやむやうもありむかし、と思へば、心細うてながむるほどに、出でし日使ひし泔坏(ゆするつき)の水は、さながらありけり。上に塵ゐてあり。かくまでもと、あさましう、
絶えぬるか影だにあらば問ふべきをかたみの水は水草ゐにけり
など思ひ日しも、見えたり。例のごとにてやみにけり。かように胸つぶらはしきをりのみあるが、世に
心ゆるびなきなむ、わびしかりける。
「現代語訳」
のんびりと過ごしていたある日、あの人と些細なことで言い争いになって、二人とも気まずくなるようなことを云って、あの人は出て行った。息子を呼んで、「私はもう来ないよ」と言って帰ってしまった。
あの子は入ってきて大声で泣く。
「どうしたの、どうしたの」と言っても、答えもしないので、あの人がひどいことを云ったのだろうと思うが、周りの人に聞かれるのも嫌なので、聞くのをやめてとにかくなだめる。それから五六日過ぎて、
音沙汰もない。今までにない事なので、なんてことか、冗談と思っていたが、でもはかない仲
なので、このまま絶えてしまうかもしれないと思うと、心細く思っていた。あの人が出て行った日に使った泔坏(ゆするつき)の水は、そのままであった。水面に埃が浮いて、こんなになるかと呆れてしまった。
二人の仲も絶えてしまったのか。水面にあの人が映っていたら聞くことも出来るだろうが、あるのは
水草だけだ。
などと思っていた日に、あの人が来た。例によってこだわりが残っている。
そんな風に不安な日々、心休まる時がない、やりきれない。
「朗読3」村上天皇の崩御、御代替りで兼家の昇進
五月にもなりぬ。十余日に、内裏の御薬のことありてののしるほどもなくて、二十余日のほどに、かくれさせたまひぬ。
東宮、すなはち、代わりゐさせたまふ。東宮亮といひつる人は、蔵人頭などいひてののしれば、悲しびおほかたのことにて、御よろこびといふことのみ、聞こゆ。あひこたへなどして、すこし人ごこちすれば、わたくしの心はなほおなじごとあれど、ひきかえたるように騒がしくなどあり。
御陵やなにやと聞くに、時めきたまへる人々いかにと、思ひやりきこゆるに、あはれなり。ようよう日ごろになりて、貞観殿の御方に、いかになど聞こええける
ついでに、
世の中をはかなきものとみささぎのうもる山になげくらむやぞ
御帰りごと、いと悲しげにて、
おくれじとうきみささぎに思ひ入る心は死出の山にやあらむ
「現代語訳」
五月になった。十日に帝のご病気のことがあって、騒いでいるうちに、間もなく二十日過ぎに崩御された。東宮様がすぐ天皇にお代わりになった。東宮亮であったあの人は、蔵人頭に登用されたと騒いでいたが、崩御の悲しみは普通のことで、傷心の喜びの方が聞こえてくる。人に会って祝への答礼を
していると、普通の気持ちになってきたが、夫との関係は相変わらずなのに、身辺は騒がしくなって
きた。先帝の陵とかなんとか聞くにつけ、その頃ときめいていた方々は如何かと思うと、しんみり
する。暫くして、貞観殿に、如何お過ごしかとお見舞い申し上げるついでに、歌を差し上げた。
世の中をはかないものとお思いになって、先帝の陵を思って嘆いていらっしゃるのではと、心配して
います。
ご返事が来て、とても悲し気に
帝の死に後れまいと思っていますが、生き永らえて、陵を想っている気持ちは、もうすでに死出の山にいるようです。
「講師」
兼家には政治的転機が訪れる。村上天皇が崩御して、兼家が東宮亮を務める冷泉天皇の即位。
伴って兼家も昇進。冷泉天皇は姉の子、兼家の甥の天皇即位である。
「朗読4」昇進したあの人が、私を近くに呼び寄せた。
かかる世に、中将に三位にやなど、よろこびをしきりたる人は、「ところどころなる、いと障りしげければ、悪しきを、近うさりぬべきところいできたり。渡して、乗物なきほどに、はひ渡るほどなれば、人は思ふようなりと思ふべかめり。十一月なかのほどなり。
「現代語訳」
こんな時に、中将になったとか、三位に昇進したとか、あの人は喜んでいる。「遠くに別々に住んで
いるのは、問題があるので、近くに手頃なところがあった」と言って、私を移らせた。そこは乗り物が
なくとも、行ける所なので、世間の人は私が満足していると思っているだろう。それは十一月の中頃であった。
「講師」
そして作者は無くなった村上天皇に愛された登子(とうし)と歌を交わす。
村上天皇 在位21年 42歳で没
村上天皇には姉の兼家の姉の安子が嫁いでおり、冷泉天皇・円融天皇の母。同母兄弟に伊尹、
兼道、兼家、登子・・・
「コメント」
父藤原師輔より次の世代で一門の隆盛が始まり、兼家・道長・頼通・。師輔の種まきであろう。
まさに平安時代の花である。女房文学も隆盛。道綱の母も兼家の愛人の一人として登場したが、必須教養の和歌の才である。作者の愚痴を聞く間に歴史の勉強をさせてもらっている。