210605蜻蛉日記⑩「重病の夫を見舞う」
夫の兼家37歳が、突然の病気になって、命も危なくなったという緊迫した場面を読む。
「朗読1」兼家が私の所で急病となって死にそうになる場面。
三月ばかり、ここに渡りたるほどにしもくるしがりそめて、いとわりなう苦しと思ひ惑ふを、いとしみじと見る。言ふことは、「ここにぞいとあらまほしきを、なにごともせむに、いと便なかるべければ、かしこへものしなむ。つらしとな思しそ。にはかにもいくばくもあらぬここちなむするなむ。いとわりなき。あはれ、死ぬとも思し出づべき事のなきなむ。いと悲しかりける」
とて、泣くを見るに、ものおぼえずなりて、またいみじう泣かるれば、
「現代語訳」
三月ごろ、丁度あの人は私の所に来ていた時に苦しみだして、とてもどうしようもなく苦しい様子で、どうしようと思った。言うことといえば、「ここに居たいけれど、何をするにも便利が悪いので、邸に帰ろうと思う。薄情と思わないで下さい。急に、後いくらも生きていられないと思うと、とても辛い。死んでも思い出に残るようなことが無いのが悲しい」と言って、泣くのを見ると、私も、訳が分からなくなって泣けてくる。
「朗読2」具合が悪くなって、兼家は自分が死んだ後のことなど、色々と話す。そして、
これが最後という。
「な泣きたまひそ。苦しさまさる。よにいみじかるべきわざは、心はからぬほどに、かかる別れせむなむありける。いかにしたまはむずらむ。ひとりはよにおはせじな。さりとも、おのが忌のうちにしたまふな。もし死なずはありとも、かぎりと思ふなり。おのがさかしからむときこそ、いかでもいかでもものしたまはめと思へば、かくて死なば、これこそ見たてまつるべきかぎりなめれ」など、臥しながらいみじう語らひて泣く。
「現代語訳」
「泣かないで下さい。余計に苦しくなる。辛いのは、思いもかけぬ時に、こんな別れをすることです。私が死んだらどうしますか。独身ではいないでしょうね。でも、私の喪の内には再婚しないで欲しい。もし死なずにいても、もう会うこともないだろう。こちらに来ることも出来ないだろう。
私がしっかりしていれば、邸に来ていただくのだが、こんなことで死んでしまえば、これがお会いする最後になるだろう」などと、横になったまましみじみと言う。
「朗読3」病気の兼家が、作者に今生の別れのつもりで言葉をかけて、車で帰っていく。
これかれある人々、呼び寄せつつ、「ここにはいかに思ひきこえたりとか見る。かくて死なば、また対面せでや止むなむと思ふこそいみじけれ」といへば、みな泣きぬ。みづからはましてものだに言はれず、ただ泣きにのみ泣く。かかるほどに、ここちいと重くなりまさりて、車さし寄せて乗らむとて、かき起こされて、人にかかりてものす。うち見おこせて、つくづくうちまもりて、いといみじとおもひたり。とまるはさらにはいはず。このせうとなる人なむ、「なにか、かくまがまがしう。さらになでふことかおはしまさむ。はや、奉りなむ」とて、やがて乗りて、抱へてものしぬ。
「現代語訳」
あの人は、だれかれと、そこに居合わせた侍女たちを呼びつけては、「私がどんなにこの人を心にかけていたと思うかね。こうして死んだら、また会うことが出来ないと思うと、とてもやりきれない」と言うと、みな泣いた。
私自身も物も言えず、ただ泣くばかりであった。こうしている内に、病状は重くなって、車を寄せて乗ろうとする。抱き起こされて、人にすがってやっと乗り込む。こちらを振り返り、とても辛そうである。
後に残る私の辛さは言うまでもない。
兄が「縁起でもない、どうして泣くのか。大したことはないのに。さあ乗りましょう」と言って、同乗して
抱きかかえて行ってしまった。
「朗読4」少し良くなってきたのか、来てくださいと何回も手紙を寄こすので、行く事にする。
ものおぼえにたれば、あらはになどもあるべうもあらぬを、夜のまに渡れ。かくてのみ日を経れば」などあるを、人はいかが思ふべきなど思へばど、われもまたいとおぼつかなきに、たちかへりおなじことのみあるを、いかがはせむとて、「車を給へ」と言ひたれば、さし離れたる廊のかたに、いとようとりなししつらひて、端に待ち臥したりけり。
「現代語訳」
「気分が良くなって来たので、おおっぴらには出来ないが、夜に紛れてこちらに来てください」などと言う手紙が来たので、周りはどう思うかと思うが、私もあの人の事が気になるし、また何回も同じことを言ってくるので、仕方がないと決心した。
「車を寄こしてください」と言って、出掛けた。行くと、離れた綺麗な所に、横になっていた。
「朗読5」屋敷に行ったら暗かったが、火をつけてくれた。護法の僧がいたが、帰して二人
きりになった。
火ともしたる、かい消たせて降りたれば、いと暗うて、入らむかたも知らねば、「あやし、ここにぞある」とて、手を取りて導く。「など、かう久しうはありつる」とて、日ごろありつるよう、くづし語らひて、とばかりあるに、「火ともしつけよ。いと、暗し。さらにうしろめたなくはな思しそ」とて、屏風のうしろに、ほのかにともしたり。「まだ、魚なども食はず、今宵なむ、おはせばもろともにとてある。いづら」など言ひて、ものまゐらせたり。すこし食ひなどして、禅師たちありければ、夜うち更けて、護身にとてものしたれば、「いまはうち休みたまへ。日ごろよりはすこし休まりたり」と言へば、大徳、「しかおはしますなり」
とて、立ちぬ。
「現代語訳」
点していた火を消させて車を降りたので、とても暗くて、入り口も分からずにいると、「こっちだよ」と
言い、手を取って案内してくれた。「どうして、こんなに時間がかかったのですか」と、日ごろの事を
ぼつぼつと話して、そうこうしていると、「とても暗いので、火をつけよ あなたは何も心配することは無いよと言って、屏風の後ろに、仄かに火を点した。
「まだ精進落としの魚も食べずに、今晩あなたがお見えになるというので一緒にと思っていた。さあどうぞ」などと言ってお膳を運ばせた。少し食べたりしていると、夜が更けてから祈祷の僧侶が護身の法をやるために控えていて、部屋に入ってきた。あの人が「もう、お休みください。いつもよりは調子が
いいので」と言うと「そうお見受けします」と言って、出て行った。
「講師」
兼家はその後、回復したが、作者との関係は前の、疎遠になってしまう。
「コメント」
何かがあると作者を頼りにするが普段は殆んど来ない。和歌の上手以外は大して面白みの
ない人なのだろう。