210529蜻蛉日記⑨「母親の死」
今日は母親と死別する場面を読む。母の亡くなった直後に、作者の躰に異変が起きた。
「朗読1」母親が亡くなって自分も死にたいと思っていると、息も絶え絶えになる。
さいふいふも、女親(めおや)といふ人ある限りはありけるを、久しうわづらひて、秋のはじめのころ
ほひ空しくなりぬ。さらにせむかたなくわびしきことの常の人にはまさりたり。あまたある中に、これはおくれじと惑はるるもしるく、いかなるにかあらむ、足手などただすくみにすくみて、絶えいるようにす。
「現代語訳」
それはそれにしても、生きている間は何とか過ごしていたが、母が長患いの末に、秋の末に亡くなった。侘しいことと言ったら世間の人の比ではない。母親に死に遅れまいと思い惑っていたが、どうしたことか手足が引きつって息も絶え絶えになった。
「朗読2」母親の死でショックをうけた作者は瀕死となり、幼い息子に夫への伝言を伝える。
息子道綱は10歳。
さいふいふ、ものを語らひおきなどすべき人は京にありければ、山寺にてかかる目は見れば、幼き子を引き寄せて、わづかに言ふようは、「われ、はかなくて死ぬるなめり。かしこに、聞こえむようは、『おのがうへをば、いかにもいかにもな知りたまひそ、この御後のことを、人々のもりせられむ上にもとぶらひものしたまへ』と聞こえよ」とて、「いかにせむ」とばかり言ひてものも言はれずなりぬ。
「現代語訳」
こういう状態で、後事を託すべきあの人は京にいる。山寺(鳴滝の般若寺)にいる私は、こんな目に
あったので幼子を傍に呼んで、やっと語り聞かせたことは、「私はこのまま死ぬでしょう。父上に申し上げて欲しいことは、『私のことは構わないで下さい。おばあさまの法事は、普通以上にやって下さい』と申し上げてね」と言って、「どうしよう」と言ったまま、口もきけなくなった。
「朗読3」口もきけなくなっていたが、父が来て「親は母だけではない」と言って、薬湯を飲ませて
くれて、次第に回復した。
日ごろ月ごろわづらひてかくなりぬる人をば、いまはいふかひなきものになして、これにぞ皆人はかかりて、まして「いかにせむ。などかくは」と泣くが上にまた泣き惑ふ人多かり。みのは言はねど、まだ心はあり、目は見ゆるほどに、いたはしと思ふべき人寄まきて、「親はひとりやはある、などかくはあるぞ」とて、湯をせめて沃るれば、飲みなどして、身などなほりもてゆく。
「現代語訳」
長い月日患った母の死は、今は仕方ないと諦めた。人々は私に掛かり切りで、「どうしよう、どうしてこうなってしまったの」と泣いて取り乱す人が大勢いた。口はきけないけど、意識はしっかりしていて、
目も見える。そこに心配している人(父)が、寄ってきて、「親は母上だけではないよ。どうして、こんなになったのだ」と言って、薬湯を飲ませるので、その内に体も治ってきた。
「朗読4」私が、いつも嘆いているのを聞いて「今後どうなるのか」と苦しい息の下で、心配して
いた母を思い出すと今は生きている気持ちがしない。→親に心配をかける親不孝な
娘である。
さて、なほ思ふにも、生きたるまじきここちするは、この過ぎぬる人、わづらひつる日ごろ、ものなど言はず、ただ言ふこととては、かくものはかなくてあり経るを夜昼嘆きにしかば、「あはれ、いかにしたまはむす゜らむ」と、しばしば息の下にもものせられしを思ひ出づるに、かうまでもあるなりける。
「現代語訳」
さて、どうにも生きている心地がしないのは、この亡くなった母が、患っていた時に、他の事は言わないで、言うことと言ったら、私が頼りない生活をいつも嘆いていたので、「ああ、あなたはこの後どう
なるのか」と、苦しい息の下で言っていたのを思い出すと、とても生きている気持ちになれないので
ある。
「朗読5」兼家の見舞い。穢れも厭わず、心がこもっている様に見受けられた。
人聞きつけてものしたり。われはものもおぼえねば、知りも知られず、人ぞ会ひて、「しかじかなむものしたまひつる」と語れば、うち泣きて、穢らひも忌むなじきさまにありければ、「いと便なかるべし」などものして、立ちながらなむ。そのほどのありさまはしも、いとあはれに心ざしあるように、見えけり。
「現代語訳」
あの人が聞きつけて訪ねて来た。私は意識がはっきりせず、侍女が会って「これこれのご様子です」と言うと、あの人は涙をこぼし、穢れも厭わずに部屋に入ってこようとするので、「とんでもないこと」と、引き留めたので、穢れがつかないように、立ったままで見舞って行った。その有様は、実にしみじみとした愛情が籠っている様に見受けられた。
立っていると穢れは付かないと信じられていた。
「朗読6」僧たちの話で、亡き人はみみらくの島で見ることが出来ると聞く。会いたいと歌を
作り、それに兄も続く。
かくて、十余日になりぬ。僧ども念仏のひまに物語するを聞けば、「この亡くなりぬる人の、あらはに見ゆるところなむある。さて、近く寄れば、消え失せぬなり。遠うては見ゆなり」「いづれの国とかや」」「みみらくの島となむいふなる」など、口々語るを聞くに、いと知らまほしう、悲しうおぼえて、かくぞいはるる。
ありとだによそにても見む名にし負はばわれに聞かせよみみらくの島
といふを、せうとなる人聞きて、それも泣く泣く
いづことか音にのみ聞くみみらくの島がくれにし人を尋ねむ
「現代語訳」
こうして、十日ばかりになった。僧たちが読経の間に話しているのを聞くと、「この亡くなった人の姿が、はっきり見える所がある。そこで近寄って見ると消えてしまう。遠くからなら見えるということだ」
「それはどこの国だ」「みみらくの島という所だ」などと話している。とても知りたくなり、悲しくなって、
こんな歌を作った。
せめて母の姿を遠くからでも見たいものだ。どこにあるのか、教えて欲しい、みみらくのしまよ
というのを、兄が聞いて、これも泣きながら
話には聞いているみみらくの島、その島に隠れてしまった母上を、どうやって尋ねたらいいのだろう
「講師」
みみらくの島 三井楽 WEB情報も含む
10世紀の『蜻蛉(かげろう)日記(にっき)』では「亡き人に逢える島―みみらくのしま―」として紹介され,後代には異国との境界にある島又は死者に逢える西方浄土の島として広く歌枕となった。この島は五島列島の福江島といわれ、島の北部に三井楽(みみらく)の港がある。遣唐使船はここを国内最後の寄港地として出港した。
島隠れ→死の譬喩
兄の歌は、柿本人麻呂の次の歌を踏まえている。
柿本人麻呂 ほのぼのと 明石の浦の朝霧に 島隠れ行く 船をしぞ思ふ
「コメント」
自分で言っているように親不孝な娘である。才女ではあろうが自分勝手なイメージ。