210522蜻蛉日記⑧「風流皇子との交流」
作者が兼家の役所の上司である、風流な宮様と和歌の交流を楽しむ場面である。芸術に理解のある皇子は、作者の和歌の才能を高く評価し、作者と兼家の二人を、二人でワンセットの対等な夫婦と
して扱っている。
まず政治的野心旺盛な夫兼家が、意に反して兵部の大輔(NO2)という閑職に就いた事が書かれる。
兼家は清涼殿に出入りできなくなり、政治の中枢から遠くなった。
自分の官職に不満な兼家は作者も含めて何人かいる妻・愛人の邸に出掛ける外、は出掛けなくなった。皮肉な成行で夫の社会的不遇が、作者の平安に繋がったのである
兼家の上司の、兵部卿の宮(章明親王)から、手紙が来た場面を読む。宮様から手紙が来て、作者
夫婦が返事するということが、二度繰り返される。
「朗読1」宮様からどうして出仕しないのかという手紙。それに対して、作者に手伝ってもらって
返事をする。
さて、かの心もゆかぬ官の宮よりかくのたまへり。
みだれ糸のつかさひとつになりてしもくることなど絶えにたるらむ
御返り、
絶ゆといへばいとぞ悲しき君によりおなじつかさにくるかひもなく
また、たちかへり、
夏引のいとことわりやふためみめよりありくまにほどのふるかも
御返り、
七ばかりありもこそすれ夏引のいとまやはなきひとめふために
「現代語訳」
さて、夫が気乗りのしない役所の、宮様から、この様に言って寄こされた。
みだれ糸が束ねられて一つになるように、折角同じ役所にいるのだから、どうしてあなたは出仕しないのですか。
お返事
関係が絶えると言われると悲しくなります。折角同じ役所になったのに。
またお手紙が来た。
二人三人の奥方の間を回っている内に、時間が経って出仕の時間がないということですね
ご返事
沢山の妻がいますので、一人二人で暇がないということがありましょうか。
「講師」
四首とも掛詞が多く、巧みに使われている。宮様も作者も相当の和歌巧者ということである。
宮様の歌には、部下である兼家への好意が含まれている。兼家は宮様に返歌することになるが、
作者が手助けをしているのは明白である。そして、宮様もそのことに気付いている。
「朗読2」作者の父の邸に祓いで行くと、隣が宮様のお邸。雨漏りで大騒ぎする様子を、宮様が
和歌でからかっている。
そのころ五月二十日余日ばかりより、四十五の忌たがへむとて、あがたありきのところに渡りたるに、宮ただ垣を隔つるところに渡りたまひてあるに、六月ばかりかけて、雨いたう降りたるに、誰も降りこめられたるなるべし、こなたには、あやしきところなれば、漏り漏るる騒ぎをするに、
かくのたまへるぞ、いとどものぐるほしき。
つれづれのながめのうちにそそくらむことのすぢこそをかしかりけれ
御返り、
いづこにもながめのそそくころなれば世にふる人はのどけからじを
また、のたまへり。「のどけからじとか。
あめのした騒ぐころしも大水に誰もこひぢに濡れざらめやは
「現代語訳」
五月二十日過ぎあたりから四十五日の忌を避けようと、父の邸に行ったら、宮様が垣を隔てた隣に
お出でになっていた。六月になって雨がひどく降って、夫も宮様も皆振り込められて、どうしようもなかったであろう。こちらは粗末な家なので、雨漏りがして大騒ぎしていると、宮様が歌を寄こしてやり取りをしたのは、酔狂なことであった。
ぼんやりしていると、あなたのほうは、雨の中で何か忙しそうで、何か面白そうですね
お返事
どこでも長雨なので、世の中の人は宮様のように、のんびりとしては居ません
すると、重ねてこう仰った。
のんびりしていられないですって。
世の中の人々は、長雨で落ち着かない此の頃、皆恋しい人に逢えない嘆きで袖を濡らしているのです。私だって。
「講師」
作者夫婦と、宮様との楽しいやり取りが続く。
「朗読3」あの人の留守に宮様から文が来た。
雨間に例の通ひどころにものしたる日、例の御文あり。
「『おはせず』と言へば、『なほ』とのみ給ふ」とて、入れたるを見れば、
「とこなつに恋しきことやなぐさむと君が垣ほにをると知らずや
さてもかひなければ、まかりぬる」とぞある。
「現代語訳」
雨の晴れ間に、あの人がいつもの所に行った日、宮様から文があった。「殿は不在です」と言ったが、無理に文を下さった。それを見ると
お宅の垣根にあるなでしこを、折り取って見ていると、あなたへの恋しさが慰められると思ってここにいるのです。
お分かりですか。 その甲斐もないので、お暇しますと書いてある。
「講師」
宮様は作者が一人でいるのを狙って、下心のある文を送ってきた。ゲームである。その歌は掛詞を
多く使ったもの。
「朗読4」宮様のお邸の薄が見事なので株分けをお願いしたら、惜しそうな和歌と共に、
薄が届いた。
そのころほひ過ぎてぞ、例の宮に渡りたまへるに、まゐりたれば、去年も見しに花おもしろかりき、薄むらむらしげりて、いと細やかに見えければ、「これ堀りわかせたまはば、すこし給はらむ」と聞こえ
おきてしを、ほど経て河原へものするに、もろともなれば、「これぞかの宮かし」などと言ひて、人を
入る。「『まゐらむとするに折なき。類のあればなむ。一日とり申しし薄聞こえて』と、さぶらはむ人に
言へ」とて、引き過ぎぬ。はかなき祓なれば、ほどなう帰りたるに、「宮より薄」と言へば、見れば、
長櫃といふものに、うるはしう堀り立てて、青き色紙に結びつけたり。
見れば、かくぞ、
穂に出でば人も招くべき宿の薄をほるがわりなき
いとをかしうも、この御返りはいかが、忘るるほど思ひやれば、かくてもありなむ。されど、さきざきもいかがとぞおぼえたるかし。
「現代語訳」
時節が過ぎて、隣のお邸に宮様がお出でになっている時に、参上すると、去年見た時も花が綺麗で
あったが、薄が茂っていて、ほっそりとして素敵だったので、「株分けして、少し頂きたいと申し上げておいた。暫くして賀茂の河原に出掛ける時に、あの人と一緒だったので、他の人に「ほら、これが宮様のお邸よ」などと言って、使いのものを差し向けた。
「参上したいと思いますが、機会がないので、また連れもおりますので、失礼いたします。先日お願いした薄を宜しく」と、申し上げさせた。
ちょっとしたお祓いなので、程なく帰った所、「宮様から薄が参りました」というので見ると、長櫃に綺麗に掘り取って並べ、青い色紙に歌を書いて、結びつけてある。見ればこうあった。
穂が咲くと、道行く人を招き寄せる見事な我が家の薄を、ご希望なので掘って差し上げるがつらいことです
とても面白い歌です。このご返事はどのようにしたか忘れたが、大した歌ではなかったろう。これまでの歌にもどうかと思われるものもあったことであろう。
「講師」
宮様は風流な人で、庭の草花も大事にしている。作者は参上した時に、細い葉が印象的だった薄が気に入って株分けをお願いした。その翌年、賀茂川でお祓いをするときに、お邸を通る時にこの事を思い出して、使いの者にお願いさせた。家に帰ったら、見事な薄がユームラスな歌と共に届いて
いた。これで宮様との楽しい交流の話しは終わる。やがて兼家は昇任し、再び政治の場で活躍する。
「コメント」
宮様と作者夫婦との交流であるが、主役は作者である。やはり和歌が達者な人が、活躍する。兼家が、作者と結婚した狙いもここにあるのだ。