220313王朝物語㊺和泉式部日記⑰「和泉式部の和歌その2

前回に続き敦道親王を追悼する和泉式部の歌を読む。和泉式部歌集 続集に収録されている。

御服脱いで 御服→喪服のこと

85 限りあれば 藤の衣は 脱ぎ棄てて 涙のいろを 染めてこそ着れ

喪中だけという決め事があるので喪服を脱いで普通の服を着る時が来た。そして涙で赤い色に染めた服を着るのだ。


 つれづれの尽きせぬままに、覚ゆる事を書き集めたる、歌にこそ似たれ。昼偲ぶ、夕べのながめ、宵の思ひ、夜中の目覚め、暁の恋、これを書き分けたる
 (宮様の亡くなった後、物思いが尽きないままに、思い浮かぶことを書き集めると、歌のようなものになった。昼偲ぶ、夕べのながめ、宵の思ひ、夜中の目覚め、暁の恋、これを書き分けたのが、

以下の連作である)

 〇昼偲ぶ(昼に、宮さまを偲んで)

115 闇にのみ まどふ身なれば 墨染の 袖はひるとも 知られざりけり
(宮様が亡くなった後、ただもう私は闇の中で 悲しみに乱れている身なので いつが昼ともわからず 喪服の袖は乾く間もない)

119 君なくて いくかいくかと 思ふ間に 影だに見えで 日をのみぞ経る
(宮さまがいなくて 生き返ってくださらないか お亡くなりになってから何日になるのかと思ううちに 幻さえ見えないで ただ日数ばかりが過ぎてゆく)

 

〇夕べのながめ(夕方、物思いに沈んで) ながめる→物思いに耽ると意あり

123 夕暮れは いかなる時ぞ 目に見えぬ 風の音さへ あはれなるかな[万代集雑二]
(夕暮れとはどういう時刻なのだろうか 目に見えない風の音さえ しみじみと悲しい)

124 類(たぐ)ひなく 悲しきものは 今はとて 待たぬ夕べの ながめなりけり[続後撰集恋五・万代集恋五]
(比べようがないほど悲しいことは 今はもうこれまでとあきらめて 恋しい人の訪れを待たなくなった夕方に物思いをすること)  夕暮れは女が、来るかどうかわからない男を待つ時間

128 忘れずは 思ひおこせよ 夕暮に 見ゆれば凄(すご)き 遠の山影
(あの世で 私を忘れないでいてくださるなら 思い出して下さい 夕暮れに山際を見ると、宮様を思いだしてしまうので)

 

〇宵の思ひ(宵の思い)

136 人知れず 耳にあはれと 聞ゆるは もの思ふ宵の 鐘の音かな
(ひそかに私の耳に聞こえてくるのは 物思いに沈む宵の鐘の音)

    次の故事が思い出される。平家物語 松宵の小侍従のこと

    彼女は、男が訪れる宵を待つ女の気持ちと、男が帰っていく朝の気持ちとで、どちらが切ないかと質問されて、
待つ宵のふけゆく鐘のこゑきけば あかぬ別れの鳥は物かは

(朝もっと一緒にいたいと女が思っているのに男が帰ってしまうのは切ないものです。けれども

男の来るのを待つ女が夜更けて、男が来ずに鐘の音を聞くのは比べようもなく悲しいものです)

138 慰めて 光の間(ま)にも あるべきを 見えては見えぬ 宵の稲妻[万代集恋四]
(もしも宮様の面影が稲妻の中に浮かんで残っているのなら、私の心も慰められるのに、全く見えないのは辛い事です)
 
 「秋の田の 穂のうへをてらす 稲妻の 光の間にも 我やわするる」(秋の田の穂の上を

  照らす稲妻の光が 瞬くほどの短い間も わたしがあなたのことを忘れることがあるでしょうか)

  [古今集・読人しらず]」をふまえる。稲妻は短い命の譬喩、宮様はまさに稲妻であったのだ。

 

 〇夜中の寝覚め(深夜に目が覚めて)

141 ものをのみ 思ひ寝覚めの 床の上に わが手枕ぞ ありてかひなき
(あの人を想って幸せだったあの頃を思い出して寝ようとするが、もう手枕を交わすも出来なくなったなあ、生きる甲斐もないことよ)

和泉式部日記では、和歌に素人の宮様の名歌がある。

  しぐれにも 露にもあてで寝たる夜を あやしく濡るる手枕の袖

  (しぐれにも露にも当てないで寝た夜なのに、不思議にも濡れている手枕の袖よ)

145 寝覚めする 身を吹き通す 風の音を 昔は耳の よそに聞きけむ

   [新古今集哀・続詞花集恋下]
(夜中に目を覚ますと外で吹いている風の音が部屋の中に入ってきて、私の躰を吹き抜けていく。
昔は風を自分とは無縁と思っていたのに)

「講師」この歌は現代短歌に通じる新しさを感じさせるという。

「国歌大観」
日本の和歌の集大成であり、万葉集以降、古今集から始まる21の勅撰和歌集などの古典和歌が

全て掲載されている。上の歌の「吹き通す」の最も古い引用例がこの歌である。

 

〇暁の恋(夜明け前の恋の思い)

151 夢にだに 見で明しつる 暁の 恋こそ恋の 限りなりけれ

[新勅撰集恋三・続詞花集恋中]
(最近はあれほど恋しかった人なのに、夢にさえも出なくなった。 こういう恋こそ 悲しい恋の極みだろう)
 「講師」和泉式部最高の名歌だと思う。初句から三句まではゆったりと運び、四句から結句まで、コイコソコイノカギリナリケリ、とカ行音を駆使して、たたみかけるようなリズムは、彼女の直情的、情熱的な心情をあますところなく表現し、しかも結句「限りなりけれ」で急転直下、修復不能な嘆きに変わる。まさに秀歌といえる。

新古今和歌集の代表的歌人に慈円がいる。後に天台座主。

「暮れてゆく秋のあはれの有明は尽きせぬ恋の限りなりけり」 和泉式部のこの歌の本歌取りと思われる。

朝、帰る時に空に残っている有明の月を見ると、恋の極地の悲しさを感じることよ。

154 玉すだれ 垂れ籠めてのみ 寝し時は あくてふ事も 知られやはせし
(御殿の奥で 亡くなった宮さまの寵愛を受けて寝た時は 夜が明けることなど気づきもしなかった)

 「講師」

 伊勢の歌を踏まえている。

 玉すだれあくるも知らで寝しものを夢にも見じと思ひかきけや  唐の玄宗皇帝の故事を

 歌っている

157 わが恋ふる 人は来たりと いかがせむ おぼつかなしや あけぐれの空
(わたしの恋する人が来て下さったとしてもどうしようもない。夜明け前のほの暗さでは見分けようも

ない)ふと目覚めた暁の、女の思いを歌っている。

 

和泉式部の代表作

81「つれづれと空ぞ見らるる思ふ人天降り来ん物ならなくに」

私の大好きなあの人よ、空から下りてきてください。その願いが空しくても、私は空を見上げずにはいられない。

 

「コメント」

 

和泉式部日記はそれなりに波乱万丈、親王兄弟との恋愛、そしてその二人とも早死にしてしまうなど荒唐無稽で、本当に和泉式部作かと疑問視されてもいる。まさに小説なのでは。今回の和歌は、寧ろ和泉式部の真骨頂が出ている。今の時代でも十分共感を呼ぶのではと思う。