210130王朝物語㊴和泉式部日記⑩「時雨の紅葉」
今日は和泉式部と敦道親王の冬の恋の話。旧暦では10月から冬。時雨、霜。まだ紅葉も残ってる。
二人の恋も一進一退。
「朗読1」男たちが色々と誘いをかけてくる中で、女は誘いの文を送ると宮は、返事を寄こす。
世間が色々と恋多き女と噂していることを、女は気にしている。
かくてあるほどに、またよからぬ人々文おこせ、またみづからもたちさまよふにつけても、よしなきことの出で来るに、参りやしなましとおもへど、なほつつましうてすがすがしうも思ひ立たず。霜いと白きつとめて、
「わが上は千鳥も告げじ大鳥のはねにも霜はさやはおきける」
と聞こえさせたれば
「月も見で寝にきと言ひし人の上におきしもせじを大鳥のごと」
とのたまはせて、やがて暮におはしましたり。
「現代語訳」
こうしている内に、又怪しからぬ男達が文を寄こしたり、また押し掛けて来たりするにつけても、いわれのない悪い噂が立ったりするので、宮様の御招きでお屋敷に上がろうとも思うが、奥方への気兼ねもあって、すっきりと決心も出来ない。
霜が大変白い早朝に
「私の噂は、誰も宮様には告げないでしょう。私が宮様を恋しくて、泣きぬれて袖に霜が置いたりしたなどを。宮様の袖に、私のように霜は降りたのでしょうか、いや降りてはいますまい。」と申し上げると
「前に月も見ないで寝てしまったと仰ったが、そんな人の袖に霜が降りることはないよ。私の袖に霜が降りたようには。」
と文を下さって、夕暮れにお出でになった。
「朗読2」宮は紅葉を見に行こうと女を誘っておいて「物忌」と称して、延期する。その晩時雨が強く吹いて紅葉を散らす。
「このごろの山の紅葉はいかにをかしからむ。いざたまへ、見む」とのたまへば、「いとよくはべるなり」と聞こえて、その日になりて、「今日は物忌」と聞こえてとどまりたれば、「あな、口惜し。これ過ぐしてはかなはず」とあるに、その夜の時雨、つねよりも木々の木の葉残りありげもなく聞こゆるに、目をさまして、「風のまえなる」などひとりごちて、「みな散りぬらむかし。昨日見で、」と口惜しう思ひ明かして、
「現代語訳」
最近の山の紅葉はどんなに素晴らしいだろう。見に行きましょうと仰ったが、当日になって「今日は残念ながら物忌です。又行きましょう」と文があったのだが、その夜の時雨はいつもより強くて木の葉が散り残りそうになく、女は目をさまして「風の前の木の葉ね。昨日見ておけばよかった」と独り言を言った。その翌朝、
「朗読3」和歌のやり取り。昨日の時雨は私の涙です。もう紅葉は残っていないでしょう。昨日、見ておけばよかった。
「神無月世にふりにたる時雨とや今日の眺めはわかずふるらむ
さては口惜しくこそ」とのたませたり。
「しぐれかもなにに濡れたる袂ぞと定めかねてぞわれもながむる」
とて「まことや、
もみじ葉は夜半の時雨にあらじかし昨日山べを見たらましかば」とあるを
「現代語訳」
宮からの文が来た。「神無月(十月)に降る時雨であろうか、今日の雨は。私の涙と思わないのですか。悔しいものです。」と仰るので女は返歌する。
「私もそれが、時雨か涙で濡れた袂か決めかねていました。」「それはそうと、紅葉は、夜の時雨に打たれてもう残っていないでしょう。昨日見ておけばよかったのに」と、返事をした。
「朗読4」恐らく、宮は物忌と称して約束をすっぽかしたのだ。その後始末に追われ、女はそれを見抜いているのでは。
御覧じて、
「そよやそよなどて山べを見ざりけむ今朝は悔ゆれどなにのかひなし」
とて、端に、
「あらじと思ふものからもみじ葉の散りや残れるいざ行きて見む」
とのたまはせたれば
「うつろはぬ常盤の山ももみぢせばいざかし行きてとふとふも見む
ふかくなることにぞはべらむかし」。
「現代語訳」
女の返事を御覧になって、「そうです。そうです。どうして見に行かなかったのだろう。今朝になって後悔しても仕方ありませんね。」とお書きになって、
「もう散っているとは思いますが、散り残っているかも知れないので、さあ行ってみましょう。」と仰るのて、女は
「紅葉しない常緑樹が紅葉するというのなら、行ってみますか。」と返事する。→皮肉
日記には、恋の駆け引きしか書いてないが、主人公の女は世間では恋多き女と指弾され、宮からはお手付きの女房としてしか評価されていない。しかし、こうしたい、こう生きたいという願望は強い。