210904蜻蛉日記㉓「初瀬詣で、再び」

今回で蜻蛉物語の中巻を読み納める。作者36歳。兼家が近江という愛人の所に通い詰めていることに、絶望して、鳴滝の般若寺に籠ったが、都へ連れ戻された。今度は父が初瀬の行くというので、一緒に行くことにした。

 

「朗読1」父の御供で初瀬詣での為の、精進をしているとあの人が来て、乱暴なことをする。

     事情が分かると、おとなしくなる

あがたありきのところ、初瀬へなどあれば、もろともにて、つつしむところに渡りぬ。ところ変へたるかひなく、午時ばかりに、にはかにののしる。「あさましや、誰か、あなたの門は開けつる。」など、あるじも驚き騒ぐに、ふとはひりて、日ごろ、例の香盛り据えて、行ひつるも、にはかに投げ散らし、数珠も間木にうち上げなど、らうがしきに、いとぞあふやしき。その日のどかに暮らして、またの日帰る。

「現代語訳」

地方官の父が、初瀬参りに行くというので、一緒に行く事にして、精進をしに父の邸に行った。場所を変えた甲斐もなく、あの人の訪れと、急に騒がしくなる。「とんでもないことだ。精進中というのに誰が門を開けたのだ。」などと父も驚いていると、あの人が入ってきて、精進の為の香や数珠を投げ散らし、訳が分からない。しかし事情が分かると、その日はのんびりと過ごし、翌日帰った。

「講師」

精進とは長谷寺詣での為の準備。兼家は、又寺籠りかと心配してきたが、父の御供と聞いて安心する。

 

「朗読2」初瀬に向けて出発。途中の宇治川の鵜飼の描写。

困じにたるに、風は払ふように吹きて、見出だしたるに、暗くなりぬれば、鵜舟ども、かがり火さしともしつつ、ひとかはさし行きたり。をかしく見ゆることかぎりなし。頭の痛さの紛れぬれば、端の簾巻きあげて、見出して、あはれ、わが心と詣でしたび、かへさに、あがたの院にぞゆき帰りせし、ここになりけり。

ここに按察使殿のおはして、ものなどおこせたまふめりしは、あはれにもありれるかな。いかなる世に、さだにありけむと思ひつづくれば、目も合はで夜中過ぐるまでながむる。鵜舟どもの上り下りゆきちがふを見つつは、
うへしたとこがるることをたづぬれば胸のほかには鵜舟なりけり

などおぼえて、なほ見れば、あかつきがたには、いさりといふものをぞする。またなくをかしくあはれなり。

「現代語訳」

疲れているうえに、風が激しく吹いて、頭痛がしてくる。風除けを作って外を眺めていると、暗くなって来ると、鵜飼の舟が篝火をかざしていく。とても趣が深い。頭痛も紛れたので、御簾を巻きあげて外を見ると、自分で思いたって初瀬に行った時、帰りにあの人が供を連れて、県の院に行ったことがあったが、ここなんだ。ここには按察使殿(藤原師氏)の別邸があって、色々な贈り物を頂いた。感激した

ものだった。どんな因縁で、楽しい一時だったかと思うと、眠れず夜中まで眺めていた。鵜舟の上り下りをみながら、歌を作った。

水面の上と下で燃える篝火は、私の胸の内の苦しみの様である。

なお見ていると、夜明けには編漁をする。とても比べようもなく素晴らしい。

 

「朗読3」岸近くに幕を張って、鵜飼見物である。ウトウトしながら、一晩中見ていた。

     沢山の鮎が取れた。

さる用意したりければ、鵜飼ひ、数を尽くして、ひとかは浮きて騒ぐ。「いざ、近くて見む。」とて、岸づらにもの立て、榻など取りもて行きて、下りたれば、足の下に、鵜飼ひちがふ。魚どもなど、まだ見ざりつることなれば、いとをかしう見ゆ。

来困じたるここちなれど、夜の更くるも知らず、見入りてあれば、これかれ、「いまは帰らせたまひなむ。こりよりほかに、いまはことなきを。」など言へば、「さは」とてのぼりぬ。さても、あかず見やれば、例の夜一夜、ともしわたる。いささかまどろめば、ふなばたをごほごほとうちたたく音に、われをしもおどろかすらむようにぞさむる。明けて見れば、昨夜の鮎、いと多いかり。そりより、さべきところにやりあかつめるも、あらまほしきわざなり。

「現代語訳」

鵜飼の用意がしてあったので、鵜飼舟が沢山、川に浮いて大騒ぎである。「どうぞ、近くで見ましょう」と、岸に幕など立てて、岸に降りると足元で鵜飼をしている。魚を見たこともないので、とても面白く

思った。旅で疲れていたが、夜の更けるのも忘れて、見入っていた。侍女たちが「もうお帰りなさいませ。もう他に大したことはありません。」等というので、「それでは」と、岸から上がった。それでも飽かずに家から眺めていると、一晩中、篝火を辺り一面に点している。

少しまどろむと、船端をごとごとと叩く音がする、私を起こすようなので目が醒めた。朝になって見ると、昨夜取れた鮎が、沢山あった。然るべきところに、贈り物として配る様子は、いい風情である。

 

「朗読4」「あまがへる」というあだ名をつけられた。それに引っ掛けて、皮肉を言う和歌を作る。

山ごもりの後は、「あまがへる」といふ名をつけられたりければ、かくものしけり。こなたざまならでは、方もなど、物しくて

おおばこの神のたすけやなかりけむ契りしことを思ひかへるは

とやうにて、例の、日過ぎて、つごもりになりにたり。

「現代語訳」

鳴滝の般若寺の山籠もり後に、あの人に「あまがへる」というあだ名をつけられていたので、こんな歌を作った。私とは別の所なら、方塞がりもないようで、しゃくに障るので。

私にはオオバコの神の助けもなかったのでしょうか。貴方との約束がひっくり返ってしまって、実に

辛いことです。

といった具合で、いつものようにあの人の来ない日が続き、月末になった。

「講師」

「あまがへる」→尼帰る→尼が帰ってきたという、ダジャレ。尼から還俗したという意味もある。これが又悔しいので、和歌で気晴らし。死んだカエルにオオバコの葉を乗せると、生き返るという俗信が

あった。

前にも話したが作者の弟に、藤原長能という歌人の弟がいた。能因法師の師。歌会で自作を、藤原公任に批判されて、病気になり没。この人が、「あまがへる」詠んだ歌がある。

あまがえる鳴くや梢のしるべとて濡れなむものを行けや我が駒

あまがえるが、木の梢で鳴いて、雨が降ると教えてくれた。だから、馬よ、降らない内に行こう。

 

「朗読5」

忌のところになむ。夜ごとに、と告ぐる人あれば、心やすらかであり経るに、月日はさながら、鬼やらひ来ぬるとあれば、あさましあさましと思ひ果つるもいみじきに、人は、童、大人ともいはず、「儺やらふ儺やらふ」騒ぎののしるを、われのみのどかにて見聞けば、ことしも、ここちよげならむところのかぎりせまほしげなるわざにぞ見えける。雪なむいみじう降ると言ふなり。年の終はりには、なにごとにつけても、思ひ残さざりけむかし。

「現代語訳」

あの人が、近江の所に夜毎に通っていると知らせてくれる人がいる。心穏やかでなく過ごしていたが、月日は流れて、追儺の日になった。何という事だと惨めな気持ちでいるのに、人々は大人も子供も「鬼は外、鬼は外」と大声で騒いでいるのに、私だけ無関係に眺めていると、追儺というのは上手く

行っている所だけがやりたがることの様に思われる。

雪がひどく降っているという声がする。年の終わりには、ありとあらゆる物思いをした事である。

 

「コメント」

当時も既に鵜飼は観光行事なのだ。相変わらずの恨み節。今日で中巻が終了。「あまがえる」は面白い。兼家の発案としたら、大したもの。当時は「あまがえる」というのが話題だったのかも。