201226和泉式部日記⑦「秋の恋」
今回は女が石山寺に籠る場面を話す。石山寺は観音信仰で有名。更級日記でも石山寺が印象深く書かれている。
女は宮様との恋愛が上手く行かないので、都にいても所在ないとして、石山寺に籠ったのである。
「朗読1」恋愛が上手く行かないので女は、石山寺に籠る。それを知った宮は女に手紙を書く。
かかるほどに八月にもなりぬれば、つれづれもなぐさめむとて、石山に詣でて七日ばかりもあらむとて、詣でぬ。宮、久しうもなりぬるかなとおぼして、御文つかはすに、童「一日まかりてさぶらひしかば、石山になむこのごろおはしますなる」と申さすれば、「さは、今日は暮れぬ、つとめてまかれ」とて御文書かせたまひて、石山に行きたれば、仏の御前にはあらで、ふるさとのみ恋しくて、かかる歩きも引きかへたる身の有様と思ふに、いともの悲しうて、まめやかに仏を念じたてまつるほどに、高欄の下の方に人のけはひれば、あやしくて見下ろしたれば、この童なり。
あはれに思ひがけぬところに来たれば、「なにぞ」と問はすれば、御文さし出でたるも、つねよりもふと引き開けて、
「現代語訳」
こうしている内に八月にもなったので、つれづれの思いも慰められるだろうと、石山寺に詣でて七日ばかり籠ろうと出かけた。宮は、無沙汰が長くなったので、女に文を出そうとすると、小舎人童が「あの方は、今は石山寺にいらっしゃいます」というので、宮は「そうか、では明日行ってくれと」と、手紙を書いて童に渡した。
女は都が恋しくて、こういう参籠が物悲しくて、ひたすら仏を念じていた。人の気配がするので、見ると宮様の童であった。思いがけないので、「どうしたの」と聞くと、童は宮の御文を差し出した。
「朗読2」宮はこんな所まで手紙を出すとは思っていかったでしょう。いつ都に帰るのですかと聞かれ、女は簡単には帰れませんと返事する。
見れば、「いと心深う入りたまひにけるをなむ、などかくなむとものたまはせざりけむ。ほだしまでこそおぼさざらめ、おくらかしたまふ、心憂く」とて、
「関越えて今日ぞ問ふとや人は知る思ひたえせぬ心づかひを いつか出でさせたまふ」とあり。
近うてだにいとおぼつかなくなしたまふに、かくわざとたづねたまへる、をかしうて、
「あふみぢは忘れぬめりと見しものを関うち越えて問ふ人たれ いつかとのたまはせたるは。おぼろけに思ひたまへ入りにしかば
「山ながら憂きはたつとも都へはいつか打出の浜は見るべき」と聞こえたれば、「苦しくとも行け」とて、
「現代語訳」
宮の手紙には「大層信心されているようだけど、どうして仰ってくださらなかったのですか。」と書いてあった。
宮の歌「逢坂の関を越えてお手紙を差し上げるとあなたは思っていましたか。私の思いを信じて下さい。」そして「いつ、山を下りるのですか。」とあった。
女は近くに居ても間遠なのに、このような所まで文を下さったのが嬉しくて、返事をした。
「近江路に居る私をお忘れかと思っていましたが、逢坂の関を越えてわざわざ手紙をくれたのは一体誰なのでしょうか。いつ帰るかとお聞きになりましたが、真面目に山に籠りましたので、簡単には都には帰りません」
「近江路にいる私をもうお忘れかと思っていましたが、逢坂の関を越えて手紙を下さったのはどなたなのでしょうか。
「朗読3」宮は、誰ですかの問いに、何という云い方とあきれるが、重ねて帰ってきてと言う。女はお会いできないので、悲しみの涙が琵琶湖の水になって流れ出ますという。
問うふ人とか。あさましの御もの言ひや。
「たづね行くあふさか山のかひもなくおぼめくばかり忘るべしやは
まことや
憂きによりひたやごもりと思ふともあふみのうみは打ち出てを見よ」
『憂きたびごとに』とこそ言ふなれ」とのたまはせたれば、ただかく
「関山のせきとめられぬ涙こそあふみのうみとながれ出づらめ とて、端に
「こころみにおのが心もこころみむいざ都へと来てささそひみよ」
「現代語訳」
宮は、この手紙は誰からですかとの質問は少しひどいのではありませんか。逢坂山を越えてお手紙を出したのですから、都に帰ってきてくださいと言う。女は悲しい涙が琵琶湖の水になって溢れ出ます。そこまで言うのなら、こちらに来て帰りなさいと仰って下さい。
「朗読4」そうこうしている内に、女は石山寺から帰った。宮からは「簡単には帰れないとあったのに、帰ってきたのは誰が帰るように言ったのですか。女は「宮様に逢うために帰ってきました」という。
思ひもかけぬに行くものにもがなとおぼせど、いかでかは。かかるほどに出でにけり。「さそひみよとありしを。
いそぎ出でたまひにければなむ、
「あさましや法の山路に入りさして都の方へたれさそひけむ」
御返り、ただかくなむ、
「山を出でて暗き道にぞたどり来し今ひとたびのあふことにより」
「現代語訳」
宮は行ってみたいと思われたが、立場上簡単ではない。そうこうしている内に女は都に帰った。宮は「誰に誘われて帰ったのですか。」女は「宮様に逢う為に帰りました。とだけ返事した。
「その後の経過 講師説明」
風がひどく吹いて、野分めいている時に、女は物悲しくなっている時に宮からの手紙。「お会いできないので悲しくて、お天気は私の心のように荒れています。」女は返歌をする。「秋風はそれだけで物悲しいのに、曇った日はさらです。」宮は、その歌を御覧になって「まさにそうだ」と思われた。こうしてまた日々が過ぎていく。
煩悩の世界で男と女が揺れ動いていくのが、王朝文学の世界である。
「コメント」
段々と退屈になってきた。同じパタ-ンでの大人の御遊び。和歌に興味がある人には面白いのかな。