201024更級日記㉖「菅原孝標女と夜の寝覚め」
今回は更級日記の作者が書いたとされる「夜の寝覚」という物語について紹介する。前回定家が書き残した「御物本更級日記」の末尾に記されている奥書を紹介した。そこに菅原孝標女は「夜の寝覚」や「浜松中納言物語」などの作者とされると書いてある。講師はフランス文学者の中村真一郎によって、これに興味を持った。彼は源氏物語などの王朝物語を、西洋の恋愛小説心理作品にも匹敵すると評価した。中村に「夢語り」という短編がある。その一つはこの、「夜の寝覚」に題材を得たものがある。
「夜の寝覚」は、印象的な書き出しから始まる。
「朗読1」物語「夜の寝覚」の書き出し 人の世=男と女の仲をいう。
冒頭に作者が登場して、作品の主題を教えている。
人の世のさまざまなるを見聞きつもるに、なほ寝覚めの御仲らひばかり、浅からぬ契りながら、よに心づくしなる例は、ありがたくもありけるかな。
「現代語訳」
男と女の間の様々な関わりを、これまで見聞きしてきたが、この寝覚の二人の場合ほど、悩みの限りを尽くす例は、めったにない。
ヒロインの父親は天皇の子供として生まれたが、臣籍降下する。源氏物語の光源氏と同じ。二人の娘がいて、姉(大君)、次女(中の君)。この中の君がヒロイン。13歳の8月15夜に彼女が琵琶を弾いていると天人が現れて、演奏の秘伝を教えてくれた。そして予言する。
「朗読2」天人の、ヒロインの将来の対する予言⇒これからの展開を示唆する。
「あはれ、あたら、人のいたくものを思ひ、心を乱したまふべき宿世のおはすかな。」とて、帰りぬとみたまふに、この手どもを、覚めて、さらにとどこほらず弾かる。
「現代語訳」
ああ、惜しい事だ。これほど才能に恵まれた人が、物思に悩み、心を乱さばならない世の中とは。天人が帰っていった後で、目が醒めて、天人に教えられた曲をつかえることもなく弾いた。
15歳になる。ここに中の君と深く関わる男が現れる。中納言である。そして姉と結婚する。ところが中の君と中納言は、相手の事を知らずに、結ばれてしまい、仲の君は懐妊する。
中君が、方違えの外出先で見初められたのだ。やがて二人は相手の事を知ることになる。
「朗読3」妻の大君がちゃんとしているのを見るにつけても、中納言は心が落ち着かずに、中君の事が気になり、その部屋の方でウロウロする。しかし、人目も気になる。心が落ち着かずに夜も眠れない。
女君、いと気高く、恥ずかしきさましたるを見るにつけても、思ひやられて、ともすれば涙ぐましく、静心なくて、人間には中障子のもと立ち離れず。心にくくのみもてなした、つゆも女房のけはいなども漏れ聞こえず。心はそらにあくがれて、涙こぼるるをりのみ多かるを、「人目如何にあやしと思ふらむ」と思へば、静心なく、夜は、いとどつゆもまどろまれぬままに、
「現代語訳」
妻の大君が立派にちゃんとしているのを見るに就けても、中納言は同じ邸にいる中の君が気になって、中の君の部屋の仕切りを離れられない。しかしその部屋はひっそりとしていて、却って気が落ち着かず、人目が気になってしまう。心が落ち着かず、夜も眠れなくなってしまう。
「朗読4」中納言は妻に添い寝しながら、近くにいる中の君の様子を窺っている。中の君も寝付かれない様子。
人の寝入りたるひまには、やをら起きて、そなたの格子に寄りて立ち聞き玉へば、人はみな寝たる気色なるに、帳のうちとても、廂一間を隔てたれば、程なきに、衾押しのけらるる音、忍びやかに鼻うちかみ、おのづから寝入りらぬけはいのほのかに漏り聞くゆるを「同じ心に寝覚めたるにこそあめれ」と思ふに
「現代語訳」
中納言は人々が寝入った隙に、起き出して、中君の部屋の格子に寄って、耳を澄ます。中の人々は寝入っている様子だが、寝付かれない人の気配が聞こえてくる。私と同じ気持ちで寝付かれないと思うと・・・
「朗読5」中納言は起き出して、中の君の部屋の格子に近づき、気持ちを伝える。
「他事ならじを。ありし夢の名残の覚むる夜なきにこそは」と聞きわたさるるさへ、身もしみこおり、あはれ悲しきにもつつみあへず。
「はかなくて君に別れし後よりは寝覚めぬ夜なくものぞ悲しき
なになり、袖の氷とけずは」と、格子に近く寄り居て一人ごちたまふ気色を聞きつけて、胸つぶれて顔引き入れたまひぬるに、対の君も、とけて寝る夜ゆくのみ嘆き明かせば、「この君は聞きつけたまへるにこそありけれ。わづらはしきわざかな。」と思ふものから、あはれなど、、聞き知り顔ならむやは。
「現代語訳」
「眠れないのは他の事ではないだろう。あの契りの以来の嘆きで眠れないしのだ。」と思うと、身も凍って悲しくてならない。中納言は中の君の部屋の格子に寄って、「かりそめに契ったままであなたと別れて以来、眠れない夜が続き悲しくてならない」と仰った。中の君はこれを聞いて、胸がつぶれる思い。姉君も嘆き明かしているのに、ついに中納言もこの関係を分かってしまったのだ。とても困ったことになったと困惑するばかり。
中納言は妻と一緒に夜を過ごしながら、近くにいる中の君のことを窺っている大変な事態の説明である。
この関係が延々と続く、これが夜の寝覚という長編物語である。
姉と妹が一人の男を愛するという関係は、源氏物語の「宇治十帖」に発想の源がある。
此の姉と妹の関係は、作者の現実の自分事にも関係しているという説もあるが、はっきりしない。更級日記にはそれを示唆する部分もある。
この強烈な三角関係について、色々な批判があり、青少年には読ませられないなどの意見もある。しかし本居宣長は「物語作品は道徳書ではない」と言っている。
講師意見は、王朝物語は道徳の乱れが甚だしい状況を背景としているが、人々はその苦しみを通じて、人間の心が高められていくプロセスを描いているので、素晴らしいとしている。
中の君は石山寺で女児を出産し、大納言に引き取られる。姉はその子が大納言と中の君との子であることを知る。四面楚歌となった中の君は、唯一の味方の父と暮らす。
やむなく周囲のすすめで老関白との結婚。 姉君は女児を出産し死ぬ。やがて老関白も死亡し、遺児三人を養育する。
大納言(現在は内大臣が、よりを戻しに来るが受け付けない。今は「寝覚の上」と呼ばれる。
しかしここに時の帝も「寝覚の上」に執着し、一騒動。そして、昔の男大納言、内大臣への思いに気付くのである。
此の数々の悩みからの脱出に出家を目指す。しかしこの時、内大臣の子を妊娠していた。
この後に「寝覚の上」の偽死資源があり、この部分は欠落多く不明の場面も多い。
「コメント」
まさに長編の物語で美貌で才女の一生。登場人物も帝、中納言→中納言、左大臣、右大臣と一流ばかり。そして終生、最初の男を愛しながら又帝以下にも求愛され続ける、恋愛にまみれるヒロイン。
拾い読みして、いささか食傷した。これが当時の生き方で、またそれを理想としていた人、それを長編物語にする作者もいたのだ。
日本古典文学全集28「夜の寝覚」 津島 佑子 白百合女子大卒 作家
此の原文、現代語訳を拾い読みして何とか記録作成。その序にこの物語の概説があるので、簡単に記す。
平安時代の物語文学は、書き手が女性に代わって大きく変化。女性の描き方に差が出て来た。源氏物語では、自分の意志と責任で生きようとする女主人公であり、成長する女主人公であり、結婚拒否も出てくる。
それを際立たせるのが「若紫巻」の紫の上である。少女から成熟した女性に至るまで書かれている。これはヒロインのなかでも極めて特徴的である。
この紫の上の心を引き継いだのが、「寝覚」の中の君である。物語は子の一人を長く追い続ける。少女時代から、故関白未亡人として再登場し、自らの意志で後半生を生き抜いていく。運命は自らの子供との別離、亡くなった姉の子供や故関白の連れ子の世話、帝からの求愛・・・・・。
源氏物語の成長する紫の上のイメ-ジを重ねつつ、ヒロイン中の君=寝覚の上は更に成長していくのである。それは作者自身の成長とも繋がるのであろう。