200919更級日記㉑「鞍馬、石山、初瀬」

作者は40歳を越えた。次に年齢が判るのは48歳。その中で、各所への物詣と女房仲間との交流が飛び飛びに書かれている。このような書き方について、作者は次のように説明している。

この日記に書かれる物詣は石山寺、鞍馬寺、長谷寺である。石山寺、長谷寺へは二度となる。更級日記には13歳から52歳までの40年間の人生が書かれているが、書かれなかったことも沢山ある。書くべきことのみ選択しているのだ。「物語への憧れ」「東海道の都への旅」「物詣の旅」「女房生活でのエピソ-ド」に絞って、短い分量の中に4年年の人生を凝縮している。逆に読者は書かれなかったことを、想像する楽しみがある。

 

 

「朗読1」この日記に書かれていることを述べている。

「二三年二歳(ふたとせ)、三歳(みとせ)、四歳(よとせ)、へだてたる事を次第もなく書きつづくれば、やがて続きたちたる修行者めきたれど、さにはあらず。年月へだたれることなり。」

「現代語訳」

,3年、4,5年と年月を隔てたことを、順序もなく書き連ねていくと、さながら46時中、行脚を続ける修行者のようにみうるけれども、実際はそうでもない。年月をおいたことなのだ。

 

「朗読2」 春に鞍馬に籠った。春なので霞立って咽やかである。

「春ころ、鞍馬に籠りたり。山ぎは霞みわたり、のどやかななるに、山の方より、わづかにところなど掘りもて來るもをかし。出づる道は花もみな散りはてにければんにともなきを、十月ばかりに詣づるに、道のほど山のけしき、このころは、いみじうぞまさるものなりける。山の端、錦をひろげたるやうなり。たぎりて流れゆく水、水晶を散らすやうにわきかへるなど、いづれもすぐれたり。詣で着きて、僧房に行き着きたるほど、かきしぐれたる紅葉の、たぐひなくぞ見ゆるや。

 「奥山の紅葉の錦ほかよりもいかにしぐれて深く染めけむ」とぞ見やらるる。」

「現代語訳」光源氏は「若紫の巻」で、幼い紫の上を見初めたのがここである。

春頃に鞍馬に籠った。山際がほんのり霞んでいるので、作者はのどかな気分となる。土地の人が野老(ところ、山芋)を持ってきたのも山里らしく感じられた。源氏物語の横笛の巻では、西山に隠棲した朱雀院から女三宮に竹の子が贈られてくるが、作者の念頭にはこの場面があったのであろう。「若紫の巻」で源氏がここより都へ帰る頃は、桜が残っていたが、作者の時にはもう散っていた。しかし神無月で山の端には紅葉が鮮やかであった。川の水は滾り流れて、水しぶきは水晶の様であった。

作者は景色に感嘆しながら、鞍馬寺に辿りついた。時雨が降って紅葉が鮮やか。これをみて歌を詠む。

「奥山の紅葉の錦他よりもいかに美しいが、どのようなしぐれが降って、このように色濃く染めたのだろう」

⇒ここ鞍馬の奥山の紅葉は、他所と較べても秀麗さは格別である。

 

次は石山寺を訪ねることになる。

「朗読3」二度目の石山での参籠 一晩中、雨だったが、外を見ると有明の月が澄み渡っていた。雨は谷川の音だった。

「二歳(ふたとせ)ばかりありて、また石山に籠りたれば、よもすがら雨ぞいみじう降る。旅居はいとむつかしきものと聞きて、蔀をおし上げて見れば、有明の月の谷の底さへくもりなく澄みわたり、雨と聞こえつるは、木の根より水の流るる音なり。

「谷川のながれは雨と聞こゆれどほかよりけなる有明の月」

「現代語訳

これまでの物詣は願いを聞いて貰う旅であったが、今回は自然に触れて和歌を詠む為の様である。美しい散文詩である。

石山寺は紫式部が源氏物語の着想を得た所として有名である。

有明の月⇒夜が明けてもまだ空にある月、満月から新月までそうである。

 

初めて石山寺に詣でてから二年振りであった。夜通し雨が降っていた。明け方、蔀を上げて外を見ると有明の月が輝いていた。昨夜雨のように聞こえたのは、木の根より谷川の水が流れる音であった。

 

「朗読4」長谷寺での御籠り 二度目の参篭

「また初瀬に詣づれば、はじめにこよなく頼もし。ところどころにまうけなどして行きもやらず。山城の国(ははそ)の森などに紅葉いとをかしきほどなり。初瀬川わたるに、

「初瀬川たちかへりつつたづぬれば杉のしるしもこのたびや見む」

と思ふもいと頼もし。三日さぶらひてまかでぬれば、例の奈良坂のこなたに、小家などに、このたびは、いと類ひろければ、え宿るまじ打て、野中にかりそめに庵つくりて据ゑたれば、人はただ野にゐて夜を明かす。草の上に、行縢(むかばき)などをうち敷きて、上にむしろを敷きて、いとはかなくて夜を明かす。頭もしとどに露おく。暁かたの月、いといみじう澄みわたりて、世にしらずをかし。

「ゆくなき旅のそらにもおくれぬは都にて見し有明のつき」

⇒あてどなく心細い旅の空でも自分に送れずについてきてくれるのは、有明の月である事よ。

「現代語訳」

二度目に初瀬の長谷寺を詣でた。最初は往復ともに盗賊に怯えたが、今回は夫が同行してくれたので安心だった。山城の森、母祖(祝園)の森の紅葉が趣深かった。初瀬川を渡る。「初瀬川立ち帰りつつ訪ぬれば杉の験ぞこの度や見む」→今回も初瀬川を渡ったが、今度も霊験あらたな杉を見ました。そして三日間の参籠をして都に帰った。

今回の参籠の目的も、天皇の乳母になるという願望を聞いて貰うことであったろう。

 

「朗読5

「なにごとも心にかなわぬこともなきままに、かやうにたちはなれたる物詣でをしても、道のほどを、をかしとも苦しとも無見るに、おのづから心もなぐさめ、さりとも頼もしう、さしあたりて嘆かしなどおぼゆることどももないままに、ただ幼き人々を、いつしか思ふさまにしたてて見むと思ふに、年月の過ぎゆくを、心もとなく、たのむ人だに、人のようなるよろこびしてはとのみ思ひわたる心地、頼もしかし。」

「現代語訳」

40歳代を振り返ってみて、様々な面で自分の願いが叶わなかったことは無くて、平穏な日々が続いた。旅や物詣での見聞は面白いとも苦しいとも感じたが、心は晴れて元気が出るものであった。深い信仰心があっての物詣ではなかったが、有難いことに夢のお告げ得た。差し当たっての悩みは無いが、子供たちを一人前にして、夫がいい赴任先を得られるように願うのであった。

 

「コメント」

 

文才もある恵まれた上流階級の奥様の姿としかうつらないが。