200912更級日記⑳「初瀬に詣でる2」
作者は後冷泉天皇の大嘗祭の日に、あえて初瀬長谷寺に向けて出発する。前回は源氏物語に思いを馳せたところまで読んだ。今回はさらに先に進む。
「朗読1」途中の治安の悪いとされる栗駒山で休憩。
「夜深く出でしかば、人々こうじてやひろううじといふ所にとどまりて、物食ひなどするほどしも、供なる者ども「高名の栗駒山にはあらずや。日も暮れがたになりぬめり。ぬしたち調度とりおはさうぜよや」とちいふを、いとものおそろしう聞く。」
「現代語訳」1
都から遠ざかるにつれて旅の危険は高まってきた。早朝の出発だったので、疲れて軽い食事をとった。有名な栗駒山という所で、治安が悪いので有名である。盗賊が現れるかもしれないと言って、早く片付けることにする。
「朗読2」栗駒山を越えて、粗末な一夜の宿をとる。
「その山、越えはてて、贄野の池のほとりにいきつきたるほどに、日は山の端にかかりにたり。「今は宿獲れ」とて、人々分かれて、宿もとむる。所はしたにて、「いとあしげなる下衆の小家なむある」といふに、「いかがはせむ」とてそこら宿りぬ。みな人々、今日にま.かりぬとて、あやしのをのこをのこし二人ぞゐたる。その夜も寝も寝ず、このをのこ出で入りし歩くを、奥の方なる女ども「などかくし歩かるるぞ。と問ふなれば、「いなや、心も知らぬ人を宿したてまつりて、釜はしもひきぬかれなば、いかにすべきとぞ思ひて、え寝でまはり歩くぞかし」と、寝たるとおもひていふ、聞くに、いとむくむくしくをかし。」
「現代語訳」2
恐ろしい栗駒山を越えて井出の畔に辿りついた。(この池は蜻蛉日記、枕草子にも出で来る。山吹の名所。)
既に日は西の山の端に沈もうとしている。手分けして宿を探す。粗末な下賤のものが住む家があった。人がほとんどいないので、聞くと皆、都に行ったという。その家の住人が一晩中、何度もウロウロしているので、眠れなかった。家の者が話しているのを聞くと「台所の御釜を盗まれてはいけないので見張っているのだ」という。この滑稽な会話を聞いて、笑いを堪えるのに苦労した。
「朗読2」翌朝出発して、東大寺石上神宮に詣で、山辺で宿をとる。
「つとめてそこを立ちて、東大寺に寄りて拝みたてまつる。石上もまことに古りにけること、思ひやられて、むげに荒れはてにけり。その夜、山辺といふ所の寺に宿りて、いと苦しけれど、経すこし読みたてまつりて、うちやすみたる夢に、いみじくやむごとなく清らなる女のおはするに参りたれば、風いみじう吹く。見つけて、うち笑みて、「何しにおはしつるぞ」と申せば、「そこは内裏にこそあらむとすれ。博士の命婦をこそよくかたらめ」とのたまふと思ひて、うれしく頼もしくて、いよいよ念じたてまつりて、初瀬川などうち過ぎて、その夜御寺に詣で着きぬ。祓へなどして上る。三日さぶらひて、暁まかでむとてうちねぶりたる夜さり御堂の方より「すは、稲荷より賜はるしるしの杉よ」とて、物を投げ出づるやうにするに、うちおどろきたれば、夢なり。」
「現代語訳」3 念願である内裏で暮らすという夢のお告げを受ける。
ここはこの物語のハイライトである。世俗的宗教的感動を盛り上げる為に、作者はここで説話ではなく旅情に富んだ物語の文体を使っている。
⇒宿をたって東大寺石上神宮に詣でる。その夜は山辺の寺に泊まる。とても疲れていたが、お経を読んだ。その効果で不思議な夢を見た。夢の中で、高貴な女性が現れ、私に微笑んだ。「あなたはどうしてここに来たのですか。」ここに来たかったからです。」と答えた。とその女性は「あなたはその内、内裏で暮らすことになるでしょう。博士の命婦に相談しなさい。」という。博士の命婦は以前、作者が裕子内親王に仕えた時に世話になった人である。
こういう夢のお告げを受けたので、作者は嬉しくなって疲れもとれて祈りを続けた。
作者が大嘗祭を避けて、長谷寺詣でをしている目的は何であろうか。ここに博士の命婦とあるから、天皇に深く関わる願いであることが想像できる。その願いは内裏で暮らすことである。それを長谷寺の観音様にお願いするのである。
三日目に初瀬川を渡って、長谷寺に着く。本堂に登って三日間の御籠りをする。三日目についついまどろんで夢を見る。本堂より声が聞こえる。「さあ、伏見稲荷より授かった霊験あらたな杉だよ」と作者の方に投げ出された時に目が醒めた。
「朗読4」最後の宿り
「暁、夜深く出でて、えとまらねば、奈良坂のこなたなる家を尋ねて宿りぬ。これもいみじげなる小家也。「ここはけしきある所なめり。ゆめ寝ぬな」「れうがいのことあらむに、あなかしこ、おびえ騒がせたまふな、壱岐もせで臥させたまへ。といふを聞くにも、いといみじうわびしくおそろしうて、夜を明かす程、千年過ぐす心地す。からうじて明けたつほどに、「これは盗人の家なり。あるじの女、けしきあることをしてなむありける」なといふ。」
「現代語訳」
一行は長谷寺を明け方に出発した。奈良坂に宿をとることにした。奈良坂には盗賊が出るという噂があり、その夜もむさ苦しい小さな家であった。「ここは不審な家だ、油断するな」と皆で言い合った。恐ろしくて長い夜であった。こうして京に戻ってきた。こうして長谷寺への旅も終わった。
「コメント」
こうまでして願いをしたいのは、その願いが余ほど重要であったのだ。宮中で天皇にかかわって生きるということが。
また上流階級の女性の旅にしては準備がお粗末。盗賊まがいの宿ばかり。当時はこんなものなのか。