200822更級日記⑰「出仕と源資通との想い出2」
前回から作者が裕子内親王の女房として仕えていた頃(35歳)の思い出である源資通との交流を読んでいる。彼と春と秋のどちらがいいか議論をしている。今は10月中旬で時雨の頃なので、話題の中心は冬の素晴らしさに移っていく。
「朗読1」源資通の春秋についての意見
「唐などにも昔より春秋の定めはえしはべららざなるを、このかうおぼわかせたまひけむ御心ども、思ふに、ゆゑはべらかむかしわが心のなびき、そのをりの、あはれとも、をかしとも思ふことのあるとき、やがてそのをりの空のけしきも、月も花も、心にそめらるるにこそあべかめれ。春秋をしらせたまひけむことのふしなむ、いみじう承らまほしき。」
中国でも春秋の優劣の定めは決着していないが、源氏物語薄雲の巻でもこの議論がある。日本の和歌では秋のあはれを良しとしている。秋を良しとする和歌としては万葉集の額田君の歌が有名である。長歌「~秋山そ我は」
前回の議論で同僚の女房は秋が良い、作者は春が好きと言っていた。
中国でも春秋の優劣はまだ定まっていない。春の花の錦が最高と言い方はあるが。
源資通は、「作者、同僚の女房の意見にはそれぞれの理由があるのでしょう。それをぜひお聞きしたい。」という。
そして自分の思い出を語りはじめる。
「朗読2」
「冬の夜の月は昔よりすさまじきもののためしにひかれてはへりけるに、またいと寒くことになどしてことに見られざりしを、斎宮の御裳着の勅使にて下りしに、暁に上らむとて、日ごろ降りつみたる雪に月のいと明きに、旅の空とさへ思へば、心ぼそくおぼゆるに、まかりまうしに参りたれば、余の所にも似ず、思ひなしさへおそろしきに、さべき所に召して、円融院の御世より参りたりける人の、いといみじく神さび、古めいたるレは日の、いとよしふかく、昔のふるごとどるいひ出で、うち泣きなどして、よう調べたる琵琶の御琴をさし出でられたりしは、この世のことともおぼえず、夜の明けなむも惜しう、今日のことも思ひたえぬばかり覚えはべりしよりなむ冬の夜の雪降れる夜は思ひ知られて、火桶などをいだきても、かならず出でゐて見られはへる」
「現代語訳」
勅使として伊勢に下った時、早朝の月を眺めて琵琶を弾いた。なかなか趣があっていいものでした。
冬の夜の月は興ざめなものの典型として引用されている。私が勅使として伊勢に下った時、朝早く斎宮に挨拶するために出かけた。降り積もった雪を月が照らしていた。旅先なので心細いことは限りない。通された部屋には古めいた女房がいた。そして琵琶の演奏を所望された。そういう経験をしたので、雪の降る冬の夜は、趣があって火桶など抱いて月を眺めるのも結構いいものである。
「朗読3」それぞれに良いと思う季節には思い出があるでしょう。それをぜひ聞かせてください。
「おまえたちは必ずおぼすゆゑはべらむかし。さらば今宵よりは、暗き闇の夜の、時雨うちせむは、また心にしみはべりなむかし。斎宮の雪の夜の劣るべき心地せずなむ。などいひて別れにし後は、たれと知られじとおもひしを」
「現代語訳」
あなたたちも必ず秋を良しとした人も、春を良しとした人も、私が申し上げたような経験があるに違いない。それをぜひお聞きしたいものである。暗い夜の月は伊勢で17年前に感動的な体験をして以来、冬の夜にはそのことを思い出して感動するのです。といって帰っていった。作者は相手が誰だが判ったが、自分の事は知られないようにしようと思った。
「朗読4」 偶々、二人は少しの間話をすることが出来た。
「またの年の八月に、内裏に入らせたまふに、夜もすがら殿上にて御遊びありけるに、この人のさぶらひけるも知らず、その夜はしもに明かして、細殿の遣戸を押しあけて見出だしたれば、暁がたの月の、あるかなきかにをかしきを見るに、沓の声聞こえて、読経などする人もあり、読経の人は、この遣戸口に立ちとまりて、ものなどいふにこたへたれば、ふと思ひ出でて、「時雨のよるこそ、かた時忘れず恋しくはべれ」といふに、ことなごうこたふべきほどならねば、
「何さまで思ひ出でけむなほざりの木の葉なかけし時雨ばかりを」
ともいひやらぬを、人々また来あへば、やがてすべり入りて、その夜さり、まかでにしかば、もろともなりし人たづねて、返ししたりしなどものちにぞ聞く。「ありし時雨のようならむに、いかで琵琶の音のおぼゆるかぎり弾きて聞かせむとなむある」と聞くに、ゆかしくて、われもさるべきをりを待つに、さらなし。
「現代語訳」偶々宮中で源資通に会って、短い会話をしたが、それが最後となった。
裕子内親王が参内して一晩中、和歌管弦の遊びがあった。そこに源資通がいるのも知らずに、私は控えの間にいた。
引き戸を開けて月を眺めていると、読経をする人の沓の音がした。その人は私に気付いて話しかけて来た。私はそれが誰かが判ったので、前にあった時の話題を出した。「あなたでしたか。あの時の冬の夜の時雨の風情の話しは楽しかった。」と作者は和歌で返事をした。和歌の訳⇒「どうして私の事を覚えておられるのですか。あの時は時雨が降ってきて、木の葉を激しく鳴らして通り過ぎて行ったという軽い話だったのに。」
人々が大勢やってきたので作者は部屋に引き下がる。そして内親王と一緒に帰った。前回一緒に話した同僚の女房を通じて源資通の返歌が届いた。そして文もあって「琵琶をお聞かせしたいものです。」とあったが、その機会は来なかった。
「コメント」
当時は連絡のしようもないので、たまたま会うことしかないのであろう。話の合う、数少ないボ-イフレンドとの機会も
これで終わってしまうとは少し気の毒ではある。それにしてもどの季節が良いのかという話題は尽きないものではある。