200711更級日記⑪「父の単身赴任」

今まで13歳から19歳までの事が書かれていたが、19歳から25歳までは何も書かれていない。これは作者が書きたくなかったからと推察される。父の常陸国司就任は作者25歳の時。

「朗読1」その頃は、源氏物語のヒロインのような生活に憧れて、空想ばかりしていた。

かようにそこはかなきことを思ひつづくるを役にて、物詣をわづかにしても、はかばかしく、人のようならむとも念ぜられず、このごろの世の人は十七八よりこそ経読み、おこなひもすれ、さること思ひかけられず、からうじて思ひよることは、「いみじくやむごとなく、かたち有様、物語にある光源氏などのようにおはせむ人を、年に一たびにても通はしたてまつりて、浮舟の女君のように、山里にかくし据ゑられて、花、紅葉、月、雪をながめて、いと心ぼそげにて、めでたからむ御文などを、時々待ち見などこそせめ」とばかり思ひつづけ、あらましごとにもおぼえけり。

「現代語訳」

源氏物語に憧れてあのような埒もないことを思い続けていた。物詣をしても人並みの人間になろうと等祈りもしなかった。今の人は17、8歳の頃からお経を読んでいるがそんなことは思いもしなかった。思いつくことと言ったら、「光源氏のような人を年に一度でもお迎えして、浮舟のように山里に押し込められても、四季の移り変わりを眺めて、心細く男からの手紙などを待ち受けて暮らしたいものだ。」と空想し、夢だと思っていた。

 

「朗読2」父がひとかどの役目に就いたら、良いなと思っていたら、遠い常陸の国司になった。父が「近い国の国司になったら、御前に風景を見せて大事にしたいと思っていた。お前が幼少の頃、上総に連れて行った時でも、私にもしもの事があったら、どうしようと考えていた。今度はどうしよう。国司を断ることもできないし。」と日夜、嘆いている。こんな様子にとても悲しく、どうしたらいいだろうと思っている。

親となりせば、いみじうやむごとなくわが身もなりなむなど、たふだゆくへなきことをうち思ひすぐすに、親からうじて、はるかに遠きあづまになりて、「年ころは、いつしか思ふように近き所になりたらば、まづ胸あくばかりかしづきたてて、率て下りて、海山のけしきも見せ、それをばさるものにて、わが身よりもたかうもてなしかしづきてとこそ思ひつれ。われも人も宿世のつたなかりければ、ありありてかくはるかなる国になりにたり。幼かりし時、あづまの国に率て下りてだに、心地もいささかあしければ、これをや、この国に見すてて、まどはむとすらむと思ふ。ひとの国のおそろしきにつけても、わが身ひとつならば、安らかならましを、ところせうひき具していはまほしきこともえいはず、せまほしきことみえせずなどあるが、わびしうもあるかなと心をくだきしに、今はまいて大人になりにたるを、率て下りて、わが命も知らず、京のうちにてさすらへむは例のの事、あづまの国、田舎人になりてまどはむ、いみじかるべし。京とても、たのもしう迎へとりてむとおもふ類、親族もなし。さりとて、わづかになりたる国を辞し申すべきにもあらねば、京にとどめて、永き別れにてやみぬべきなり。京にも、さるべきさまにもてなして、とどめむとは思ひよることにもあらず」と、夜昼かるるを聞く心地、花紅葉ま思ひもみな忘れて悲しく、いみじく思ひ嘆かるれど、いかがはせむ。

「現代語訳」

父がひとかどの国司に就任したら、私も結構な身分になるとあてにもならぬこと考えていたのに、やっとのことに遠い常陸の国司に任官した。父は言う「長い間、近い所の国司になって、御前を大事に育てたいと思っていた。所が私の力が足りずにこんな遠国の国司を拝命してしまった。お前が幼少の頃、上総に下った時も、私の加減が少しでも悪い時には、何かあったらお前をどうしようと思っていたものだ。京と違ってこんな田舎暮らしは恐ろしいもので、私一人なら何とかなるが家族がいると辛いことだ。国司を辞退するわけにもいかず、色々考えて、御前を京に残して私は一人で赴任することにした。」このように日夜、父が嘆いているのを聞くのは悲しくて切なくなるがどうしたらいいだろう。

 

「朗読3」父は七月十三日に出発。それまでに部屋にも入ってこない。当日、簾を上げて「お別れだ」と涙を流してすぐ出て行った。途中から「何事もかなう身であったらば、しみじみとした秋の秋の別れが出来るのであろうが。」という歌を、送ってきた。とても涙で読むことが出来ない。普通なら、下手な返歌が出来るのだけど、次の歌を返した。

「この世でほんの少しでも父上と別れしようとは思ってもいませんでした。」

七月十三日に下る。五日かねては、見むもなかなかなべければ、内にも入らず、まいてその日は立ち騒ぎて、時なり濡れ萩、今はとて簾を引き上げて、うち見あわせて涙ほろほろと落として、やがて出でぬるを見送る心地、目もくれまどひてやがて臥されぬるに、とまるおのこの、送りして帰るに、懐紙に、

「思ふこと心にかなふ身なりせば秋のわかれを深く知らまし」

とばかり書かれたるをも、え見やらず。事よろしきときこそ腰折れかかりたることもおもひつづけけれ、ともかくもいふべきかたもおわ゛えぬままに、

「かけてこそ思はざりしかこの世にてしばしも君にわかるべしとは」

とや書かれにけむ。

いとど人めも見えず、さびしく心ぼそくうちながめつつ、いづこばかりと、明け暮れ思ひやる。

道のほども知りにしかば、はるかに恋しく心ぼそきことかぎりなし。明くるより暮るるまで、東の山ぎはをながめて過ぐす。

「現代語訳」

父は七月十三日に出発することになった。会うのも辛いらしく、部屋にも来ない。出発の日は取り込んでいて、「もう別れだ」と言って、部屋の簾を引き上げて、涙をながしてすぐに出て行った。私は涙にくれて突っ伏してしまった。おくっていたった下僕に託した父からのたよりが届いた。

「思うことがかなう身であるならば、しみじみと秋の別れを知るのであろうが、とてもそんな余裕はないものだ。」

と書かれた、涙でとても読めない。普通なら下手な返歌も出来るが、今はとても思いつかないままに次の歌を作った。

「この世で父上に暫らくでもお別れしようとは思っても見ませんでした。」

その後、訪ねてくる人もおらず、物思いにふけって外を眺めては、父上は、今はどの辺かなと思いを馳せる。一日中、山をながめて暮らしている。

 

「コメント」

何と贅沢な。国司(県知事)になる事さえ大変なのに遠い常陸と、親子で不平を言っている。人民を絞って一財産出来るのに。このお嬢さんは現在二十五歳。姉はお産で亡くなったが、遺児が二人残っているし、国司になった兄もいたはず。

 

出来の悪い、空想好きなハイミスを甘やかしているバカおやじの風情とは言い過ぎだろうか。