200714更級日記⑩「東山での暮らし」
前回は姉の死の場面を読んだ。その翌年作者は18歳となる。この年の4月から晩秋まで作者は家族と離れて東山で暮らしている。その東山に恋人らしい男性が何度も訪れている。作者が結婚するのは33歳なので、夫となる人ではない。
今回はその場面を読みながら作者のめられた初恋をみてみよう。
朗読①現代語訳 東山での暮らし
4月の末頃しかるべき理由があって、東山に引っ越した。道すがら田の苗代に水が引き込まれているのを見るのも、田植えが済んでいるのも趣深い。山の影が暗く、家の前に近く見えて、心細くしみじみとする夕暮れ、水鶏がたいそう泣いている。作者は京の疫病からの避難であろう。
「叩くともたれか水鶏の暮ぬるを山路を深く訪ねてはこむ」
→戸を叩くような音がするが、こんな山路を誰が訪ねてくるものか。私が待っている人ではない。水鶏だ
朗読②現代語訳 恋人が訪れてのエピソ-ド 一緒に寺に詣でて水を飲む
恋人と二人で近くの霊山寺に詣でたが坂でとても苦しいので、山寺の湧水を出て救って飲んだところ、恋人が「この水は飲み飽きることないほどおいしい」というので、私の歌。
「奥山の石間の水をむすびあげて飽かぬものとは今のみや知る」
→今頃知ったの、古い歌にも読まれているのよ。
家に帰る途中、山の端に夕陽が鮮やかに射して、都の方が見渡せる中で、あの人は用事かあるのでと、泊まらずに帰って行った。そして翌朝、手紙で「別れての帰り道、山の端に夕陽が沈み、それを見ると東山のあなたの事が心細く思われた。」と言ってきた。
この男の素性は分らない。昨年亡くなった姉の夫という説もあるが。作者は源氏物語を思い出しながら、書いている様子である。
朗読③現代語訳 朝の情景の描写 ホトトギスが鳴いている
早起きすると、僧が念仏する声が聞こえるので、戸を押し開けると、ほのぼのと明け行く山際に、霧がかかり桜や紅葉の盛りよりも趣深く、更には傍の梢でホトトギスまで鳴いている。
「たれに見せたれに聞かせむ山里のこの暁もをちかえる音も」
→誰に見せ、誰に聞かせよう。山里のこの暁、ホトトギスが繰り返し鳴く声も。あの人に見せ。聞かせたいものだ。
桜と紅葉のくだりは、源氏物語「明石の巻」よりの引用。自分を明石の君になぞらえている気配。
定家の歌「見渡せば花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の秋の夕暮れ」も、影響されている。
またホトトギスは、「花散る里」を彷彿とさせる。
作者は源氏物語を自由自在に使いこなしているのだ。
朗読④現代語訳 暁に鹿が勢子に追われて、家近くに現れる。
もう暁だろうと思う時分に、山の方から人が大勢来る気配がある。そして見ると鹿が縁先まで来て鳴いている。鹿の声というのは近くで聞くと趣が無いものだ。
「秋の夜のつま恋ひかぬる鹿の音は遠山にこそきくべかりけれ」
→秋の夜にオス鹿が妻を思って切なく鳴く、その鹿の声は遠くの山でこそ聞くものだなあ。近くで聞いたら興ざめだ。
源氏物語「夕霧の巻」に鹿が登場する。
作者はいつも、源氏物語の世界を自分の人生を重ねて、文章を作っている。
「コメント」
更級日記を解説もなしに詠むと、単なる一人の文学好きな女性の日記となってしまうが、その裏には源氏物語が敷き詰められているのだ。そうすると、更科日記を読むのに「源氏」の知識が必要とされるのか。大変だ。