200530更級日記(9)「姉の出産と死」

姉と不吉な話をする。そしてその翌年に姉は亡くなる。作者は15歳。

「朗読1」月夜の晩、姉と月を見ていると「私が死んだらあなたはどう思う?」ときかれ、薄気味悪く思った。

「その十三日の夜、月いみじく隈なく明きに、みな人も寝たるよなかばかりに、縁に出てゐて、姉なる人、空をつくづくとながめて、「ただ今ゆくへなく飛びうせなばいかが思ふべき」と問うに、なまおそろしと思へるけしきを見て、ことごとにいひなして笑ひなどして聞けば、かたはらなる所に、さきおふ車とまりて、「萩の葉、萩の葉」と呼ばすれど答へざなり。

呼びわづらひて、笛をいとをかしく吹きすまして、過ぎぬなり。

「笛の音のただ秋風と聞こゆるになど萩の葉のそよとこたへぬ」

といひたれば、げにとて

「萩の葉のこたふるまでも吹きよらでただに過ぎぬる笛の音ぞ憂き」

かように明くるまでながめあかいて、夜明けてぞみな人寝ぬる。

「現代語訳」

月がとても明るい晩に、縁先で姉と話す。「私が、今死んだらあなたどう思う」というので薄気味悪く思った。隣の家に車が来て、隣の女性を呼んでいる。「荻の葉、荻の葉」。返事しないので、笛を見事に吹いて車は去った。

こうして二人で夜明けまで月を見て時を過ごした。

 

「朗読2」今度の家は狭くて庭も木もない。焼け出された前の家が懐かしい。

ひろびろともの深き、み山のようにはありながら、花紅葉のをりは、四方の山辺も何ならぬを見ならひたるに、たとしへなくせばき所の、庭のほどもなく、木などもなきに、いと心憂きに、向かひなる所に、梅、紅梅など咲きみだれて、風につけて、かかえ來るにつけても、住みなれしふるさとかぎりなく思ひ出でらる。

「匂ひくる隣の風を身にしめてありし軒端の梅ぞこひしき」

「現代語訳2

火事で焼けるまでの家は広々として、人里離れた深山の様であったが、今度の家は狭く、庭も木もなく実につまらない。

向かいの屋敷は白梅、紅梅が咲きみだれて、香りが漂ってくる。元の家がとても懐かしい。
「隣の家の梅の香りが漂ってくるのを味わうにつけ、元の家が恋しい。」

 

「朗読3」五月に姉が出産で亡くなった。残された二人の子の面倒を見ていると、月の光が顔に当たるので袖で被い、抱き寄せていると、やるせなく悲しい。

その五月のついたちに、姉なる人、子生みて亡くなりぬ。よそのことだに、幼くよりいみじきあはれと思ひと思ひわたるに、ましていはむかたなく、あはれ悲しと思ひ嘆かる。母などは皆亡くなりたるむ方にあるに、形見のとまりたる幼き人を左右に臥せたるに、あれたる板屋のひまより月のもり来て、児の顔にあたりたるが、いとゆゆしくおぼゆれば、袖をうちおほひて、今一人をねかき寄せて、思ふぞいみじきや。

「現代語訳」

五月に姉は子を産んで亡くなった。他人でも人の死というのは悲しいのだけど、まして姉の死は嘆かわしい。母は亡くなった姉の部屋にいるので、残された幼子を両側に寝せて、月の光が幼子の顔に当たって不吉に見えるので、袖で覆って、もう一人を抱き寄せて、物思いにふけるのは辛いことである。

 

「朗読4」姉の乳母であった人は、もうここにはいられないと言って、実家に戻っていく。作者と乳母の間に歌の交換が行われる。

「乳母なりし人、「今は何につけてか」など、泣く泣くもとありける所に帰りわたるに、

「ふるさとにかくこそ人は帰りけれあはれいかなる別れなりけむ 昔の形見には、いかでとなむ思ふ」など書きて、「硯の水の凍れば、みなとぢられてととめつ」とちいひたるに、

「かき流すあとはつららにとぢてけりなにを忘れぬかたみとか見む」

といひやりたる返事に、

「なぐさむるかたもなぎさの浜千鳥なにかうき世にあともとどめむ」

この乳母、墓所見て、泣く泣くかへりたりし。

「昇りけむ野辺は煙もなかりけむいつ゜こをはかとたづねてか見し」

「現代語訳」

姉の乳母だった人は、「ご主人()が亡くなったので、なんでここに残っていられましょうか。」

と言って、泣く泣く実家に戻っていった。私は歌を贈った。「貴女は実家に帰っていくのですね。これも姉の死故と思うと、何という悲しい死別であろうか。 姉を思い出す形見として、ここに居て欲しいのですが。」などと書いて、「硯の水も悲しさで凍ってしまい、書けないので筆をおきます。貴女がいなくなったら、何を形見に姉を偲んだらいいのでしょうかと書き添えた。

乳母の返歌。「潟もない干潟の千鳥が足跡を留められないように、ご主人()を亡くした私は、どうしてここにとどまって居られましょうか。)といって乳母は墓にお参りをして、泣く泣く帰っていった。

私の感想の歌。「亡き人は煙となって昇って行った。野辺には煙もないので、何処が墓か分かったのだろうか。」

 

「コメント」

この時代の乳母と言うシステムが良く分からないけど、幼児期から実の親子のように過ごしてくるのであろう。実母よりある意味深い関係か。乳母は人生をかけて主人に仕えるのであるから大変。そして、その中で、作者と数々の歌の交換、教養も必要なのだ。