200509更級日記(6)『都への憧れと継母との別れ』

13歳の作者は、下総から京への3か月の旅を終わる。

最初は詳述しているが、後半は単なる記録になってしまう。京へ早く着きたい思いからか。

 

「物語の入手」

我が家は広々としていて、旅で過ぎて来た山々にも劣らず、木々が茂って恐ろしけで、都とは思えないほどであった。整理で落ちない日々であったが、物語を読みたいと思っていたので、母に「物語を読みたい、見せて」と母にせがむと親類が三条の宮様からと言って、立派な草子を何冊か頂いた。

嬉しくて夜も昼もこれを読んで、もっと他の物語を読みたいと思ったが、上京早々の私に物語を見せてくれる人が居るものか。

「継母との別れ」

上総に一緒に行った継母は、父と色々とあって、京に帰ってから子供を連れて父と別れた。「あなたにはとても優しくしてもらったことは忘れない。梅の花が咲く頃には訪ねてきます」と言って去った。

継母が恋しくて、会いたいと思って泣いている内にその年は暮れた。早く梅よ咲いてくれ。咲いたら

継母が来てくれると思っていたが、本当に来てくれるかと、待ち続けていた。

花も咲いたのに音沙汰がない。待ちあぐねて、花と歌を書き送った。

「頼めしをなほや待つべき霜枯れし梅をも春を忘れざりけり」

→あなたが待っていなさいと言ったので、なお当てにして待っているべきでしょうか。梅は春を忘れないのに。

優しい言葉を添えた歌が届いた。

「なほ頼め梅のたち枝は契りおかぬ思いのほかの人も訪ふなり」

→なお頼みにして待っていてください。梅の立ち枝が咲いて薫る時には、約束もしていない、思いがけない人が訪れるというから。

・作者には、実の母、上総に一緒に行った継母(父の側室)が居たということか。

・屋敷の場所が、皇族の住む高級住宅街の模様。

・実母は「蜻蛉日記」の作者藤原道綱母の妹。

・継母 高階成行の娘

 

「乳母の死」 疫病の流行

その春、世の中は疫病の流行で大変であった。上総から京に帰る時、松里(松戸)の渡しの小屋で、月影に哀れに見えた乳母が、疫病で亡くなった。仕方がなく嘆いていて、物語を読みたいとも思わなくなった。泣いてばかりいて、桜の花がもう散っていた。桜は来年も咲くというのに、乳母とはもう会えないと思うと、恋しくてならない。

聞くところによれば、大納言藤原行成の姫君も亡くなったという。結婚相手の藤原長家も大変、お嘆きであったという。

上京した当時、姫君は「これを手本にしなさい」といって、手蹟を下さった。「さよふけてねざめざりせば」と拾遺集の歌なぞを書いて、自分の歌も添えてあった。

「鳥辺山たにに煙の燃え立たばはかなく見えし我としらなむ」

→鳥辺山の煙が燃え立っていると、私は死んでしまうのではと心配になってしまう。

美しい字で書いてあるのを見る度に、涙があふれてくる。

・藤原行成 三蹟として、書の名人。よって姫も能筆であったのだろう。

・鳥辺山 火葬場のある所

・藤原長家 藤原道長の六男。歌人、御子左家の祖で、俊成、定家の祖。

 

「コメント」

作者の周囲は高級貴族のオンパレ-ド。母も継母も文学的素養十分で、環境的には極めて文化的。当時の少女でも手紙は和歌であったのだ。