200425④「更級日記(3)『都への旅(その3)富士山と富士川』

中世以降は箱根を越えたが、古代は足柄を越えた。足柄山では魅力的な遊女との出会いと別れがあった。 

「要約」

(足柄山の遊女)

足柄山というのは恐ろし気に暗かった。鬱蒼と木々が茂って恐ろしげである。麓に宿を取ったら、月のない闇夜に、遊女が三人何処からともなく出て来た。50ばかり、20ばかり145歳が一人。髪は長く色白で小奇麗でどこかしかるべき家に女中働きでも出来そうである。これらが見事に澄み渡るように歌を歌う。

人々ははやし立てて「西国の遊女でもこんなに見事なのはなかなかいない。」などと言う。これを聞いて遊女は「難波の遊女に比べたら、物の数でもありません」と言って歌うのである。

小奇麗で、見事に歌う遊女が、恐ろし気な闇に中に帰っていくのを、人々は名残惜しく見送った。私も幼心に遊女と別れるのを名残惜しく思った。

(足柄山越えて横走の関)  駿河

まだ暗いうちから足柄山を越える。麓も鬱蒼としていたが、山中は其の恐ろしさは大変なものである。登っていくうちに、雲は足の下になっていく。山の中腹に、双葉葵が三本だけ生えているのをみつけ、こんな人里離れた山中に欲もはえているものよ」と人々は感じ入った。かろうじて足柄山を越えて、次の関所、横走りの関のある山に泊まった。駿河である。岩坪という泉があった、清らかで冷たかった。

(富士山)  噴火している  清見碩 大井川  除目

富士山はこの駿河にある。私が育った上総の国からは西の方角に見える山である。この山は並々でない様子で、群青の山肌に雪が消えないで残っているので、色の濃い衣に白い束帯をつけている様に見えて、山の頂上から煙が立ち上っている。夕暮れには火が美しい。清見関は片方が海で、番小屋が多くある。大井川という渡し場がある。富士川は富士山から流れている川である。(間違い→釜無川+笛吹川)ここから土地の人の物語。

「一年前この川の上流から黄色い紙が流れて来た。それには来年の国司の辞令がすべて書いてあって、ここ駿河の国も来年は新しい国司の名前が書いてあって、横にもう一人書いてあった。翌年見ると、実際の除目は全くその通りであった。

この国の国司は三月に亡くなって、次に書き添えてあった人がなったのである。」

来年の除目は、今年富士山に神々が集まって、決めているのでしょう。珍しいことです。

 

「コメント」

聞くだにきつそうな旅だけど、何の責任もなく元気で好奇心旺盛な女の子には、興味津々で興奮する旅の連続である。若い時ならやってみたいものだ。