200418③「更級日記(3)『都への旅(その2)東国へ下った皇女様』
今は武蔵野国になった。別段情緒のある所も見えない。紫草の産地として歌にも詠まれた武蔵野も蘆や荻ばかりが高く生えて、馬に乗って弓を持つ人の先まで見えないくらいである。高く茂った中を分け行くと竹芝という寺があった。
・当時、武蔵野は歌の世界では、紫草が可憐に咲くところとされていた。
・竹芝寺 港区済海寺
ここはどんな所と聞くと「ここの人が朝廷の火たき屋の衛士として京に行って務めていた。その衛士が仕事をしながら独り言を言った。どうしてこんなに辛い目に合うのか。家では沢山作り置いている酒壺に、瓢箪を二つに割ったものを入れて、その瓢箪は南風には北に、北風には南に、西風には東に、東風には西になびく。あののんびりした様子を見ることも出来なくて、こうして朝廷の仕事をさせられている。」
こう呟いているのを、帝の皇女が聞いて、とても面白がって「こう一度きかせて下さい」と言うのでもう一度聞かせたら「私を連れて行って、その瓢を見せてくれ。」と仰ったので、勿体ないこと、恐ろしいことと思ったが、前世からの因縁であろうと、皇女を背に負ぶって皇居を後にした。瀬田橋の橋板を外して追及を遅らし、七夜七日かけて武蔵野国に行きついた。
・当時の通常の旅程 15日
朝廷よりの追手が武蔵野国に下って、皇女に訳を聞くと
「私がこんなになったのも因縁であろう。私が連れて行けと言ったのでこの男は連れて来たのだ。私はこの国に子孫を残すべき因縁であったのだ。この男を罪にするなら私はどうしたらいいのだ」
この報告を聞いた帝は、「仕方ない。その男を許そう。その男に武蔵野国を預け、租税・労役も免除しようと」と仰った。
その屋敷の跡が竹芝寺ということであるという。その後朝廷では、火たき屋の衛士は女にしたという。
西富という所の山は見事に屏風を並べたようで、片方は海で浜の様子も大変趣深い。
・屏風を並べた山 足柄山
・西富 藤沢市 遊行寺近い所
もろこしが原という所も、浜野砂がとても白い。夏は大和撫子が濃く薄く錦を引いたように咲いているという。今は秋なので見えないが。と言って所々に残って、趣深く咲いている。もろこしが原に大和撫子が咲いているのも面白いなあと、人々はいう。
・もろこしが原 大磯一帯の海岸
・モロコシ(唐)に、日本の大和撫子が咲いているのを面白がっている。
「コメント」
やっと箱根の手前、大磯あたりまで辿りついた。それにしても当時の人々が、旅の風情を楽しみ、言い伝えを聞いているのには感心する。今の旅は、ただ目的地があるだけ。