200328 52「まとめと補足」最終回

今日は長明の思想の根底にある物を見てみよう。まずは住むところ。

「庵についての考え方」「方丈記」より

たびたびの炎上にほろびたる家、またいくそばくぞ。ただ仮の庵のみ、のどけしくて恐れなし。程狭しといえども、よる臥す床あり、昼居る座あり。一身を宿すに不足なし。かむな(やどかり)は、小さき貝を好む。これ身を知れるによりてなり。

みさごは、荒磯に居る。すなわち、外を恐るるが故なり。われまたかくのごとし。身を知り、世を知れれば、願はず、わしらず。ただ静かなるを望みとし、憂へなきを楽しみとす。

・長明の庵に対する考えが示されている。日本の文化の基本思想「静かさ」「暗さ」「貧しさ」が、長明の時代に始まる。

・家は三間で十分である。仏間、居間、寝間。

「生活についての考え方」

解脱上人(貞慶)  鎌倉前期の法相宗の僧

出家において不要なものは次の三つ

 大事にするもの(仏像、お経も含めて)、身分、財宝

・八木 重吉  戦前の詩人 クリスチャン詩人として評価がった

 「寂寥(じゃくりょうざんまい)

  「何という分からぬ奴らだろう。人間にはそんな家は要らないんだ。そんなテカテカと無暗に大きい

  歯の浮くような住宅なぞよせばいいのに。この世の中から活動写真と芝居と写真道楽と別荘を

  なくしてしまえ。人間の住む家は誰もかれ20円くらいの家賃の物にするがいい。そして野と山を

  荒らしてはいけない。野と山がこれ以上狭まっていくなら、日本は生き甲斐のない国になってしま

  う。みんな、一番良いものを探そう。そして値打ちのないままにあくせくしない工夫をしょう。人間

  一人の命の為にも。人間すべての生き甲斐のためにも。そして良いものを求めることはなんと

  愚かしいことであろう。」

・鹿島 祥造 詩人 翻訳家  老荘思想に影響された 

  「求めない。すると簡素に暮らしになる。求めない、すると今 十分に持っていると気付く。

   求めない、すると今持っているものが生き生きとしてくる。求めない、すると心が静かになる。

   求めない、すると心が広くなる。求めない、すると心が澄んでくる。求めない、すると心に平和が

   広がる。」

 

二人の詩とも、中世から伝わった貧の思想が現れている。

 

「方丈記からの紹介」

・冒頭 前回に記述

12 日野山の庵の有様の描写

「日野山の奥に身を隠してのち、東に三尺余りの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚を作り、北に寄せて、障子を隔てて、阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、前に法華経を置けり。東の際に蕨のほとろを敷きて、夜の床とす。西南に長けの吊り棚を構えて、黒き皮籠三合をおけり。すなわち、和歌、管弦、往生要集ごときの抄物を入れたり。かたわらに、琴、琵琶、おのおの一張を立つ。いわゆる折琴、継琵琶これなり。仮の庵のありよう、かくのごとし。

18 最終章 

「そもそも一期の月影傾きて、余算の山の葉に近し。たちまちに三途の闇に向かわんとす。何のわざをかかこたむとする。仏の教え給う趣は、琴にふれて執心無かれとなり。いま、草庵を愛するも咎とす。閑寂に着するも、さわりなるべし。いかが要なき楽しみを述べて、あたら時を過ごさむ。

 静かなる暁、ことわりを想い続けて、みずから心に問いていわく、「世を遁れて、山林にまじわるは、心を治めて道を行わむとなり。しかるを、汝、姿は聖人にて、心は濁りに染めり。すみかは、すなわち、浄名居士の跡をけがせりといえども、たもつところは、僅かに周利槃特が行いにだに及ばず。もしこれ、貧賤の報いの、みずから悩ますか、はたまた、妄心のいたりて狂せるか」そのとき、心さらに答えることなし。ただかたわらに舌根をやといて、不請の阿弥陀仏、両三遍申して止みぬ。

 時に建暦の二年、三月の晦ころ、桑門の蓮胤、外山の庵にして、これをしるす。

 

「コメント」

長明を追いかけて一年間、52回の講義。行きつ戻りつ、繰り返し。お陰でかなり身近になった気がする。世を捨てた隠遁者というより、うまくいかなくて拗ねた教養のある坊ちゃんのイメ-ジ。後鳥羽上皇に可愛がられ、和歌所に所属し、鎌倉に下向すれば将軍実朝にも会っているハイソな人である。現在であれば、元々保守であるが、現在は革新的な言辞を弄し、政権にもパイプを持つ人物、家柄のおっちゃん。筆は立つ。鎌倉時代というのはこのような人々を輩出していく時代なのだ。

好きなタイプではない。