200307 ㊾「鴨長明の生き方」
鴨長明の特徴はとにかく、歩くことが大好きであったこと。方丈記に出てくる五大災厄(安元の大火・治承の辻風・福原遷都・養和の飢饉・元暦の大地震)の現場にも出かけている。描写は具体的で詳細である。自分で調べているのだ。
「五大災厄」の描写の例
・福原遷都 1180,年
摂津の福原(神戸)。北側は山(六甲山)で、南は海で風が強い。波の音がうるさく、湿気が多い。
建設は捗っていなくて、なんとも大変な所だ。
・養和の大飢饉 1181年~1182年
仁和寺の僧が、放置された死者の額に「阿」の字を書いて、結縁させた。死者の数は42300人余り。
平安京の人口の半分が犠牲者であった。この事を出かけて確認している。
「出家後に各地に出かけた」
・庵に遊びに来る童と一緒に山登り
・琵琶湖周辺の石山寺・逢坂の関、猿丸法師の墓などを訪ねている。
・「方丈記」にも「常に歩き働くは養生なるべし」→歩くことは健康のためである。
・「無名抄」(長明の歌論書 和歌の故実・歌人の逸話、歌の心得などの雑録)
平安京にある貫之・業平・周防内侍・喜撰法師などの有名歌人の屋敷跡を訪ねている。
・「無名抄」 17話 井手の山吹、かはづ
井手という所の山吹が素晴らしく、また蛙(カジカカエル)の鳴き声が美しいと評判。残念ながら行く
ことが出来なくて、3年経ってしまった年を取ったら歩くことが出来なくなるのに。かの登蓮法師も
雨の中、行ったのに。
この様に、長明は行動的であるが、心理面を見てみる。
まず彼の恋の歌を見てみよう。
「鴨長明集」 三首とも激しい。こんな歌を貰うと、相手はドンピケ。
我はただ来世(こむよ)の闇もさもあらばあれ君たにおなし道に迷わば 69番
→私は来世、闇の世界に入り込んでも構わない。貴女が一緒ならば。
恋しさの行方(ゆくかた)も無き大空にまた満つものは恨みなりけり 79番
→恋しさがつのるが大空に出すこともできない。満ち溢れるのは恨みばかりだ。
憂きながら杉野のきぎす声立ててさ踊るばかり物をこそ思え 93番
→杉野のキジが鳴きながら飛び跳ねている様に、私はとても辛いが、君の事が大好きだ。
「発心集」巻7 5話 太子の御墓覚能上人、管弦を好む事
発信集にある人物描写は、自分を投影していることが多い。
覚能上人は楽器を作り、演奏して楽しんでいた。童が悪戯して楽器を壊したら、大変怒ったという。
→自分が大事にしていることには、とても厳しい。
次は、世の中の無常を感じて出家する発端のエピソ-ド。
「発心集」 巻2 6話 津国妙法寺楽西聖人の事
津の国(兵庫県須磨)に楽西聖人という人が居た。農作業で農夫が牛を鞭で叩いているのをみて、こうして作ったものを食べるのは罪深いことと思う。この事から、動物は哀れだとして、発心して出家したという。
「発心集」巻5 15話 正算僧都の母、子の為に志深き事
長明の故郷、下賀茂神社辺りで出家した人が居た。ことの起こりは、この人が鷹を飼っていた時の事である。タカの餌にと犬を射て鷹の餌にしようとした。雌犬で腹を射抜いたら、腹から子犬が出て来た。逃げた親犬は戻って、その子をつれて逃げようとしたが、力尽きて死ぬ。これを見て、出家したという。
長明が、率直で素直であり、また気分屋だったエピソ-ド。
「無名抄」 11話 せみの小川の事 石川やせみの小川の清ければ月も流れを尋ねてぞ澄む
この歌に、同族の下鴨神社の禰宜は、「せみの小川」というのは、忌事として使ってはいけない言葉だと非難した。しかし後、新古今和歌集に採られた。嬉しいことだが、詰まらないことと落ち込む。
「無名抄」 12話 千載集に一首入るを悦ぶ
長明の一首が千載集に入った。→後白河の勅撰集。選者 藤原俊成。
大した歌でもないのに、入ったのはとても嬉しいと正直。
今日は、長明の行動パタ-ン、考え方、人となりを見て来た。行動的、喜怒哀楽の激しさ、ある意味素直。
「コメント」
素直だけど、感情のままに生きている長明。友人としては、いい時だけ付き合いたい人。普段はきつい。