200222 ㊼「月への想い」
今回は長明の月への思いを話す。まずは月に関する歌を列挙する。
「長明集」 105番
「朝夕に西背かじと思えども月待つほどは背こそ向わめ」 鴨長明
朝晩、極楽のある西に背中を向けまいと思うけれども、月が東に上がってくるのを見ると、背中は西を向いてしまうのだ。
少し理屈っぽい歌。長明は月がとても好きだった。この時代、「月輪観(がちりんかん)」と言う思想が流行っていた。→密教の基礎的修法。月を眺めて、煩悩を捨てること。
「新古今集」 1978首の最後の歌
「闇晴れて心の空に澄む月は西の山辺に近くなるらん」 西行
煩悩の暗闇が晴れて、心には澄んだ月が西の山に沈んでいくのだろうか。→西方浄土に往生するのかな。
この歌が新古今の最後の載せられているのは、意味がある。
満月を見て往生するのは。当時の人々の願いであった。象徴的なのは西行の有名な歌である。
「山家集」77番
「願わくば花の下にて春死なむ其の如月の望月の頃」 西行
この歌の通りに、死んで富田林の弘川寺に墓がある。
次に長明の作品集から月に関する部分を抜き出す。
「発心集」 巻1 9話 神楽岡清水谷仏種坊の事
仏種坊という偉い僧がいた。魚を食うことが禁じられているにも関わらず、食べたくなって檀家の所に行って食べさせて貰う。そして風邪をひいて、寝ていたが死期を覚り、念仏を唱えながら死んだ。それは隙間から月光の漏れる夜であった。西を向いてそのまま往生した。
「家長日記」
長明は、下鴨河合神社神官就任が叶わず、絶望して出家。その時に和歌所同僚の源家長に、心境を歌で送る。
「住み侘びぬげにや深山の槙の葉に曇るといいし月をみるべき」
もう生きていくのが嫌になった。深山の槙の葉越しに、曇っている月を見ることになるとは。
「夜もすがら一人深山の槙の葉に曇りも澄める有明の月」 新古今1523
一晩中、曇ったり澄んだりする月を深山の槙の葉越しに見ています。
この歌を見た家長は、あの強情な性格ならば仕方ないのではと、感想を書いている。
「藤原定家との歌合わせ」 4首提出 判者 藤原俊成
「夜もすがら一人深山の槙の葉に曇りも澄める有明の月」 その一つ
この歌は、定家との歌合せに勝利。
終生、極楽往生を願い、月への思いは強かったのである。
「コメント」
当時の風潮とはいえ、月の歌・話しが如何にも多い。極楽往生と煩悩消滅を願う気持ちが強かったのであろう。