200125 ㊸「長明の友人たち」
まずは、西行、兼好の友人観を見てみよう。
「山家集」
369番 もろともに影を並ぶる人もあれや月の漏りくる笹の庵に
→月の光の漏れてくるこの庵に、ともに並んで月を愛でる人が居て欲しいものだ。
513番 寂しさに堪えたる人のまたもあれな庵並べる冬の山里
→寂しさに堪えている人が、庵を並べているといいなあ。
「徒然草」
137段 花はさかりに
→美しい月を眺めて、風流を解する友が居たらいいなあ。
西行も兼好も、心の通じる友が居たらいいなあと言っているのに対して、長明は友をどこか拒否している。一人で楽器を奏で、花と月があれば十分であるとの態度。
発心集に友の事をどう扱っているか、見てみよう。
「発心集」
巻5 9話 成信・重家、同時に出家する事
親王の子・成信中将と、右大臣の子・重家少将は光り輝く貴公子で、同時に出家しようと、場所・日を決めて約束した。所が約束の三井寺に、重家がなかなか現れず、仕方ないので成信は一人だけで
出家した。成信が帰ろうとしていると、重家が、事情があって遅れたと言って現われた。その姿は、
既に髪を下ろしていた。
時間こそ、違えたが二人は約束を守ったのだ。
巻8 3話 仁和寺西尾の上人、我執に依って身を焼く事
仁和寺の奥に二人の僧がいた。二人は徳を競い合っていた。遂に片方が身灯(自分に火を放ち、仏に捧げる事=焼身自殺)をすることにした。これを聞いた人々は、結縁を願って集まった。火が付けられ、僧が焼け死ぬときに「これであいつに勝った」といった。仏に仕える人の言葉とも思えないことである。
巻8 11話 聖梵・永朝、山を離れ南都に住む事
聖梵と永朝という僧がいた。二人は比叡山で修業していたが、南都(奈良)に行こうと山を下りた。奈良坂に至り、周囲の風景を見て、聖梵は「東大寺には人が見えない。興福寺には人が多い。人が多いと出世できないだろう。私は東大寺に行くので、あなたは興福寺に行きなさい」と言った。二人は優秀な僧であった。永朝は興福寺で出世したが、永梵は出世しなかった。永朝は心優しい立派な人で
あったが、聖梵は腹黒く、お経の本を借りても必要な所を切り取って、さりげなく返すような所が
あった。遂には落ちぶれて臨終の時に「あいつめ」と言って死んだという。
何事も、心がしっかりしての話しである。
長明は友人関係というのは、「良い所と悪い所がある」と言いたいのであろう。そして長明はマイナスの面を強調するきらいがある。
次に女の出家者の話しである。
巻6 13話 上東門院の女房、深山に住む事 穢土を厭い、浄土を欣ぶ事
ある僧が都を厭う心が強くなって、北丹波の谷に隠遁しようとした。川上から切り花が流れて来たので、人が住んでいるとして、探していく。すると庵が二つあって、女が二人住んでいた。「建礼門院(藤原彰子)に仕えていたが、宮廷が嫌になって、二人でここに住んでいる。最初は獣の気配や嵐が恐ろしかったが、二人で助け合って、静かに暮らしている。」と答えた。
長明の言わんとするところを、推測すると、
「女の場合は了解があって気が合えば、心静かな生活ができる。男の場合は何処か競い合う気持ちが残りうまくいかない。」男の場合の友人関係は難しい。
「コメント」
そもそも隠遁者というのは、我儘で自分勝手な人。故に世間と折り合わず、隠遁するのである。
女の隠遁者はレアケ-スで、山奥で、女同士で暮らすには、協力しなければ成り立たない。
折り合えない、友人などいない人達が隠遁者なのだ。隠遁者に友人などいないのは当たり前。
西行や兼好のように、たまには友が居たらと思うこともあるのだろうが。