200111 41「長明と家族」(其の三)母への想い

長明の母がどんな人かは伝わっていない。

参考に西行・実朝・行基の歌を挙げ、長明の作品集から、どの様な思いでいたかを探ってみる。

「西行」 聞書集 143

(垂乳根の母の乳房をぞ思い知るかかる祈りを聞くにつけても)

有難いお経を聞くにつけて、母の恩を思い知った。

「実朝」 金塊集 349

(いとおしや見るに涙も止まらず親なきこの母を尋ぬる) 349

痛ましいことだ、みなし子が母を探して泣いていることだ。

(乳房吸うまだいとけなきみどり子と共に泣きぬる年の暮かな)

乳を吸うまだあどけないみどり子と共に泣いてしまった年の暮だなあ。

「行基」 拾遺和歌集

(山鳥のほろほろと鳴く声聞けば父か母かとぞ思う)

(百草の八十草添えて賜いてし乳房の報い今日ぞ我が知る) 竹林寺(生駒)に歌碑がある。

沢山の乳を頂いた母の恩をやっとわかるようになったことだ。

古来、乳の量は180石(+八十)とされている。→牛乳瓶 18万本

 

以降「発心集」から拾う。

「正算僧都の母、子の為に志深き事 巻5 15話」

(比叡山)に正算僧都という人がいて、西塔に住んでいた。年の暮に訪れる人もなく、炊飯の煙も出ないほど貧しかった。京都に母がいたが、心苦しいので、貧窮を知られたくなかった。母は山を見上げて、息子が苦労しているだろうと思って、ある時手紙を付けて少しばかりの食糧を届けた。

僧都は有難く頂き、使いの者に届けられた食物をあげた。その男は、箸を落として泣いてこういった。

「母上はこの食物を簡単に入手されたのではありません。自分の髪の毛を売って、手に入れたのです。」使いの男は母の心づくしを思って泣いたのだった。

 

憐みの心は、母の想いに過ぎるものはない。鳥や獣も同じである。

その頃、故郷(下賀茂)に、隠遁した人がいた。どうしてそうなったのかと聞いたら、「鷹を買っていて

その餌にと犬を射た。

矢が腹を射抜いたら、腹から数匹の子犬がこぼれ落ちた。母犬は逃げたが、戻ってきて、子犬を咥えていこうとした。しかし力尽きて死ぬ。この光景を見て、この男は出家したのだ。

 

「証空、師の命に替る事 巻6 1話」

三井寺に智興内供という尊い人がいた。重い病気になり、祈祷師の安部清明が「このままでは治らない。どうしてもというなら、弟子の誰かが身代わりになって貰うしかない。」誰も応じなかったが、証空という若い層が名乗り出て「母に説明してから身代わりになる」と言った。母にこの事情を話すと「私はあなたを幼い頃から慈しんで育てた。お前が頼りなのだ。でも自分で決めた事なので、仕方ない。身代わりとなって浄土に行き、私の事を祈って欲しい。」

証空は安倍晴明に身代わりを告げ、不動明王に祈った。そうすると不動明王が現れ「お前は立派な奴だ。私が身代わりになってやろう。」と言った。そして証空も智興も助かったという。

 

「母子三人の賢者、衆罪を遁るる事 巻6 4話」

ある母がいて、上の子は先妻の子、下は自分の子であった。上の子の妻は美人で男が通ってくる。

これに憤慨した弟は、その男を殺したので、死罪となる。兄は「弟には罪はない。悪いのは私だ、私を死罪にしてくれ」と言った。困った裁判官は、「それでは母に決めさせよう」と言った。母は、自分の子である弟にしてくれ、兄は義理の仲であるが、私に孝行をしてくれたと。裁判官は素晴らしいことだとして、全員無罪とした。

この話は、かの山蔭中納言の奥方とは大違いである。

 

山蔭中納言の奥方の話は「今昔物語 19巻 29話」にある。発心集には出ていないが、引用する。

「今昔物語 19巻 29話」

山蔭中納言(藤原山蔭)は、継母に育てられていた。父の大宰府下向の時、舟で瀬戸内海を渡って

いた。継母は、小便をさせるふりをして、彼を海に落とす。しかしよく見ると、亀の背に乗って浮いて

いた。これは父が、昔亀を助けた恩返しであったのだ。

 

何故、長明は山蔭大納言のエピソ-ドを入れたのだろう。次を見てみる。

「或る武士の母、子を怨み頓死の事 法勝寺の執行、頓死の事 末代といへど゛も卑下すべからざる事  巻8 7話」

一人の武士がいた。出世をしたが生母の身分が低かったので、この事を人に知られたくなかった。

継母の事は大事にしていた。実母を人に知られない所に住まわせていた。これを継母に咎められたので、実母を追い出してしまう。この事で実母は何も言わなくなった。周りの人が心配して、話しかけると、その時もう死んでいた。

この男の名前は知っているが、あえて書かない。

 

継母の継子いじめの話は、発心集に沢山ある。長明に継母がいたという確証はないが、作品を読むと、実母の事が無く、継母の事が繰り返し出てくる。この事から、長明には継母の存在が想像される。

 

「コメント」

当時は一夫多妻、簡単に妻を変えたので継母・継子の存在は沢山あったのであろうか。又発心集は仏教説話集なので実に教訓的なのも仕方ない。

しかし母の愛のエピソ-ドは時を越えて、心を打つものがある。先日のNHKの番組で、動物の母性愛とみられるものは、愛ではないとして、合理的説明がなされていた。となると人間のは?