200104 40「長明と家族」(其の二)家族の絆
前回の親子の別離の話は西行について、発心集にもある。
●巻6 5話「西行が女子、出家の事」
西行は家に帰った時、まとわりつく小さな娘を、これこそ煩悩の種だといって、庭に突き落とした。さして、娘を弟に預けて出家する。2/3年後、弟の家を覗くと身分の低い者どもと娘が遊んでいた。その後、娘が大きくなって、ある家の女官となっているのを聞いたので、呼び出して話をした。「お前には名家の女官になってほしかった。こんなことは不本意なので、いっそ出家して、尼になりなさい。」という。娘は「分かりました」と言って、母の出身の高野山の麓で尼になった。
西行はその後も、しばしばその様子を見に行った。
今日は家族が再び、繋がりを持つことに焦点を合わせて話す。「発心集」に従って話す。
●巻3 9話「樵夫、独覚の事」 樵・・木こり 独覚・・自分でさとること
最近の事であるが、近江の池田(今の滋賀県水口町)に木こりがいた。息子がいて、二人で仕事を
していた所、突然木枯らしが吹いて、木の葉が雨のように降った。男は言った。「10歳は若葉の頃で、30歳は葉の茂る夏である。私は60歳となって強い風が吹くと、散ってしまう。この先生きていく意味がないので、出家して奥山で暮らすので、お前は家に帰れ」
これを聞いて息子は言った。「お父さんの言う通りだと思う。でもここには庵もない、田畑もない、獣の心配もあるし、どうやって雨風を凌ぐのだ。私もここにいて、木の実を拾い、水を汲んで、お父さんの最期を見届ける」
父は、有難いことだといった。二つの庵を建てて、そこで念仏をして過ごしたという。
●巻8 4話「橘 逸勢の女子、配所に至る事」 三筆の一人。橘奈良麻呂の孫。承和の辺で配流される。橘逸勢は承和の変に連座したとして、伊豆に配流。途中の遠江で病没。
配流に際し、逸勢の娘は同行するといったが、許されず、後を追う。途中で再会するが、娘は痩せ衰えていた。逸勢は重病となって、娘の看病を受けつつ死去。娘は遺骨を持って帰りたいと国司に頼んで、帝も許した。娘は遺骨を首に掛けて、都に戻った。娘は出家して、孝女として評判となる。
この様な一連の説話から、長明の心の底は、家族の離散はあっても、結局は繋がっていたいと言う事ではなかろうか。
「コメント」
自分が勝手に出家隠遁するのは仕方ないとしても、家族を巻き添えに、また自分の出家隠遁の
世話をさせるとは、身勝手も極まれり。こんなことがまかり通っていた当時の風潮は何なのだろう。家族は自分の道具なのか。西行にしても、長明にしても、歌人・文筆家として評価されるが、その
生きざまには強い反発を感じる。