191116㉝「数寄の道」(其の四)秘曲尽くし事件

数寄の意味はあることを好きになって没入すること。「好く」という動詞の連用形。数寄というのはいささか周囲に迷惑を掛けることがある。今日は秘曲について話す。秘曲は師が一人の優秀な弟子に伝授するもので、伝授されたものは師から許しを得て演奏することが出来るものである。琵琶には秘曲が三つある。「流泉」「楊真操」「啄木」

秘曲の伝授がどのように行われたか。

「古事談(こじだん) 鎌倉初期の説話集 巻6 17話  秘曲を聞きたくて、時光を見張っている者が

             いた話。

大納言 藤原宗俊は、笙を時光に習っていたがまだ秘曲の伝授を受けていなかった。時光が其の秘曲を伝授しようというので、喜んだ。そして時光は「ここでは盗み聞きするものがいるかもしれないので、場所を変えて大極殿でやろう」と言った。更に「ここでも聞いている者がいるかもしれない」と言って、真っ暗闇に松明を持って調べると、不審なものがいた。「誰だ」と問うと、「笙の演奏者です」と

言った。時光は「やはりそうか」と言って、帰ってしまった。

時光の秘曲を聞きたいので、常時見張っている者がいたのである。

この話は「今鏡」「続教訓抄」に出ている。

「今昔物語」 巻24 23話 琵琶の名手蝉丸(歌人)の秘曲を聞くために、3年間毎晩忍んで通った

         源 博雅の話。

逢坂の関には盲目の琵琶の名手蝉丸法師がいた。源博雅は、秘曲を教えてもらうために、京から毎晩こっそり通って、蝉丸が弾くのを待った。3年目の満月の素晴らしい夜に、蝉丸は琵琶を弾いて、

言った。「こんな素晴らしい夜だから、語り合える人がいたらいいな」源博雅が「私がここにいます」と身分を明かす。蝉丸は喜んで、秘曲を弾き、語り合ったとか。この話は、大江匡房の「江談抄」にも

出ていて「数寄者はこうでなくてはいけない。」と言っている。

大江匡房(まさふさ)→平安後期の公家・歌人。百人一首では、権中納言匡房。

「長明の秘曲尽くし事件」  「文机談」に出ている。 隆円著。琵琶の歴史を語る音楽書

長明は、笙・笛などの名人に集まってもらい、演奏会を行った。名人たちの演奏に興奮して、長明は琵琶の秘曲「啄木」を数回弾いた。皆で大いに盛り上がった。この事を聞いた藤原孝道は、秘曲を

無断で演奏したと、後鳥羽院に訴え、批判した。

後鳥羽院は長明に事情を質した。以下は長明の弁明。

「確かにそのようなことはありました。しかし許しを得ていないので、啄木を私は演奏していません。ただ、他の曲を啄木風に演奏はしました。そうであっても、芸を愛する数寄の気持ちがやったことで、

罪には値しません。どうかお許しを頂きたい。」

藤原孝道は、秘曲啄木に執着するあまり病気になるほどであったという。そうなのに長明如きが演奏したとは許せないと怒っていたのだ。

 

・長明の数寄に関する考え方は面白い。瀬見の小川を歌に詠んで、下鴨神社禰宜と悶着を起こした件、今回の秘曲尽しといい、数寄のこと故、許されるべきと言っている。しきたり、慣習、決まりを無視する傾向が強い。数寄ファ-スト。

 

「コメント」

当時の上層階級には、生活のための仕事というのはない。文芸、音楽に向かうしかない。その中でこのように数寄者という人種が生まれてくる。