190914 24「長明の半生 其三『後鳥羽院の厚情』」
歌人と音楽家として活躍する長明の傍らには、いつも後鳥羽院の存在があった。院は才能のある人を発掘して取り立てていた。又御所の歌所寄人として呼び出された時の、長明の喜びも大きかった。
歌所の事務局長であった源家長は、その「家長日記」に長明の歌所出仕から、失踪までの事を記している。
「院の内意による下鴨神社摂社禰宜の人事案」
父を亡くした長明は、賀茂社関係の付き合いもせず、引き籠っていたが、和歌の上手によって、後鳥羽院に見出され歌所の寄人になった。歌所では、外出することもなく、真面目に昼夜奉公をした。
院は褒美として、下鴨神社の摂社河合神社の禰宜の欠員に長明を当てようとのご内意があった。
長明もこれには涙を流して喜んだ。
しかしこれは下鴨神社関係者から激しい反対にあい、院も断念し別案を提示した。
「長明の失踪」
しかし院の別案を断り、長明は歌所から失踪する。そして、歌所に居所も知らせず、歌を送ってきた。後鳥羽院に褒められた歌を、意識したものである。
「生きているのが辛くなった。山奥の木の間に曇った月を見るとは思わなかった。残念なことである。」
これについて、家長は「ただ事ではない。呆れたことだ」ともとれる感想を述べている。」
父の死の時も「死にたい」と言い、今回も「生きているのが辛い」という長明。
後鳥羽院は、こんな長明を思いやって、長明の死後、草庵の跡を訪ねたとも伝えられる。
「コメント」
何処か、大人になり損ねた坊ちゃんを感じる。周囲もあきれていた様子が伝わる。後鳥羽院が異能の人であったように長明の変わった性格を感じさせる経緯ではある。ドウモもう一つ、好きになれないタイプだが、歌や音楽には秀でた人ではあったのだろう。20歳で父を亡くして世の中に絶望し、後鳥羽院の好意を得ても、希望がかなえられなくて失踪する人。