190601⑨「住みにくき世」
前回で「方丈記」の前半部分は終了。前半は、五大災厄で、後半は、自分の身の回りのこととなる。
「方丈記」は、実に短い作品で1万字、400字詰め原稿用紙20枚程度。
「源氏物語」の1/100程度の長さでしかない。
「朗読1」
すべて世の中のありにくく、わが身とすみかとのはかなくあだなるありさま、またかくのごとし。いはんや、所により、身の程にしたがひつつ、心を悩ますことは、あげて数えふるべからず。」
だいたい、世の中が生きにくく、わが身と家とが頼りなく、かりそめなものである有様は、また、この
とおりである。まして、場所により、置かれた状況に従いながら、悩ましいことは、いちいち数えることが出来ないほど沢山ある。
・長明は、発語として「すべて」を多用する。
発語→言い出しの言葉。さて・そもそも・すべて
「朗読2」
もし、おのれが身数ならずして、権門のかたはらにをるものは、大きに楽しむにあたはず。嘆き切なる時も、声をあげて泣くことなし。立居につけて恐れをののくさま、たちへば、雀の鷹の巣に近づけるがごとし。
もし、貧しくして、富める家の隣に居るものは、朝夕すぼき姿を恥じて、へつらひつつ出でいる。妻子、僮僕のうらめるさまを見るにも、福家の人のないがしろなるけしきを聞くにも、心念々に動きて、時として安からず。
もし狭き地に居れば、近く炎上ある時、その炎をのがるることになし。
もし、辺地にあれば、往反わづらひ多く、盗賊の難はなはだし。」
もし、自分がたいした身分でなく、権力者の傍に住む者は、深く喜ぶことがあっても、大いに喜ぶことは出来ない。嘆きが切ない時も、大声で泣くこともできない。何をするにも不安で、日常の振る舞いも、びくびくしている様子は、雀が鷹巣に近づくようなものである。
もし、貧乏で、金持ちの隣に住む者は、朝晩みすぼらしい姿を恥じて、媚へつらいながら自宅に出入りする。妻子や召使が、隣を羨ましがっている様子を見るにつけても、金持ちの人が、自分たちを見下している様子に、心が動揺して、気が休まらない。
もし、狭い所に住んでいれば、近くに火事があれば、その類焼を免れない。
もし、辺鄙な所に住んでいると、出掛けるのに大変で、盗賊の危険も大きい。
・住みにくさを、「もし」と例をあげて描いている。ここでは「もし」が発語。
「朗読3」
また、勢ひある者は、貪欲深く,ひとり身なる者は、人に軽められる。財あれば恐れ多く、貧しければ恨み切なり。人を頼めば、身、他の有なり。人をはぐくめば、心、恩愛に使はる。世にしたがへば、身苦し。したがはねば、狂せるに似たり。
いづれの所を占めて、いかなるわざをしてか、しばしもこの身を宿し、たまゆらも心を休むべ゜き。
また、勢いのある者は、欲が深くて、孤独で後ろ盾のない者は、軽んじられる。財産が有れば、心配が多く、貧しければつらい。人を頼りにすれば、その身は、他の人の思うままになってしまう。人を可愛がると、心はそれに捕まってしまう。世の中に従うと、わが身が苦しくなる。従わないと、風変わりといわれる。どんな場所に住んで、どんな行動をしたら、暫らくの間でも、この身を置いて、少しの間でも心を安らかにできるのであろうか。
・「発心集」 鴨長明の仏教説話集。 世の中、恩愛からの脱却を、テ-マとしている。
・「行基菩薩遺戒」
行基 奈良時代の僧。道昭に師事し、社会事業を行う。はじめ弾圧されたが、大仏造営に尽力。
死後、その説話が伝承されて、「行基菩薩遺誡」となる。
この中の一説が、方丈記の「世にしたがへば、~たまゆらも心を休むべき」に引用されて
いるとされる。
・「沙石集」 無住 鎌倉後期の臨済宗の僧。
「発心集」を,引用したと思われる文章がある。
・「平家物語」
ここにも「発信集」の文言が引用されている。
・「草枕」夏目漱石 この中に、この文体が使われている。「方丈記は、漱石の愛読書の一つ。
「方丈記」の英訳本を作っている。
「智に働けば角がたつ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくこの世は
住みにくい。」
「古典作品の引用」
・当時の人々は、古典作品の名文を利用して、その上に自分流の工夫を載せて作品を作った。
和歌の本歌取りである。
・長明の時に「新古今和歌集」が編纂された。本歌取りの歌のオンパレ-ドである。
・現代では、盗作とかコピ-とか言われるが、当時の知識人のベ-スは古典の吸収が基礎であった。
・「学ぶ」の語源は、「まねぶ」だといわれる。 真似るのが学ぶことである。
「コメント」
方丈記でおおいに参考になるのは、書き出し→発語である。平安時代では少し古すぎ、「方丈記」の時代の鎌倉なら現代にも通じる。
夏目漱石の基礎教養は、漢籍から日本の古典、そして英文学・科学・詩歌と目を見張るものが
ある。やはり大作家ではある。