190511⑥「養和の飢饉」其の一
平清盛は福原遷都の失敗で、気落ちするどころか次々に手を打つ。反平家の拠点の一つであった
奈良勢力を叩く。遷都から京に戻った年の年末の、平重衡による東大寺・興福寺の焼き討ちである。
そしてその翌年の養和元年、清盛は熱病のため没した。遺言で「供養は不要、頼朝の首が供養で
ある。」とした。
治承から次の養和にかけては、気候不順、動乱による農作業の不振、疫病によって、養和の大飢饉が発生する。
朗読1
「また、養和のころとか、久しく成りて覚えず。二年が間、世の中餓渇して、あさましきこと侍りき。或いは春、夏日照り、或いは秋、大風、洪水など、よからぬことどもうち続きて、五穀ことごとくならず。空しく春かへし、夏植うるいとなみありて、秋刈り、冬収むるぞはなし。これによりて、国々の民、或いは地を捨てて境を出で、或いは、家を忘れて山に住む。さまざまの御祈りはじまりて、なべてならむ法ども行はるれど、さらにそのしるしなし。
京のならひ、何わざにつけても、みなもとは、田舎をこそ頼めるに、絶えて上がるものなければ、さのみやは操もつくりあへむ。念じわびつつ、さまざまの財物、かたはしより捨つるがごとくすれども、更に目見たつる人なし。たまたま換ふるものは、金を軽くし、栗を重くす。乞食、路のほとりに多く、憂へ悲しむ声、耳に満てり。」
また養和の頃であったか、長い年月が経って記憶していないが、二年間、世の中が飢饉と水不足で、ひどい状態となった。春から夏まで日照りが続き、秋に大風や洪水など、よくないことが続いて、穀物が全く実らない。
無駄に、春に田を耕し、夏に田植えをして、秋には冬に収納する動きもない。これによって、民衆は、土地を捨てて国境を越え、家を捨てて山に住む。様々な祈祷がされたが、全くその効果はない。
京都では、何事につけても、物資は田舎を頼りにしているが、それが途絶えて、運ばれてくるものがないので、体裁を取り繕う事もできない。色々な財宝を、片っ端から捨てるように売り払うが、全く目をつける人もいない。たまたま交換する人は、金目の物を安く、穀物を高く見る。乞食が道端に多くいて、嘆き悲しむ声が満ちている。
朗読3
「前の年、かくの如く、かろうじて暮れぬ。明くる年は、立ち直るべきかと思ふに、あまりさえ、疫病うちそひて、まさざまに
あとかたなし。世の人、みなけいしぬれば、日を経つつ、きはまりゆくさの、少水の魚のたとへにかなえり。果てには、笠内着、足ひきつつみ、よろしき姿したるもの、ひたすらに家ごとに乞ひ歩く。かしわびしれたるものどもの、歩くかと見れば、すなわち倒れ伏しぬ。築地のつら、道のほとりに飢え死ぬるもののたぐひ、数も知らず。取り捨つるわざも知らねば、臭き香、世界に満ち満ちて、変わりゆくかたち、ありさま、目も当てられぬこと多かり。いはんや、河原などには、馬、車の行き交う道だになし。」
前の年は、このようにしてようやく暮れた。翌年は、回復するかと思っているうちに、疫病が加わって、悪化するばかりで以前の痕跡もない。世の中の人々は普通ではなくなっていったので、日が経つにつれて、少しの水の中で死んでいく魚の例えに当てはまっている。果てには、笠を被り、足を包んで、いい身なりをしている者が、物乞いをしている。
このように神経がおかしくなった人たちは、歩いているかと思うと、たちまち倒れ伏してしまう。土塀の側や道端に、飢え死にする人の数は数えきれない。死骸を取り除く方法もないので、死臭は一面に充満し、死骸が変わっていく様子は見てはいられない。まして、賀茂川の河原などでは、死骸が多くて、馬や牛車の通る道もない。
・「少水の例え」
恵心僧都源信「往生要集」の「少水の魚の如し」とあるものの引用。
・京都の埋葬地
当時は死の穢れを忌んで、平安京市街地内には埋葬せず、羅城門・東山・鳥辺山・化野・船岡山が
その地。
徒然草第七段にこの情景がある。
「あだし野の露の消ゆる時なく、鳥辺山の烟立ち去らで~四十に足らぬほどにて死なんこそ、
目安かるべけれ。」
・不浄観
身体や外界の不浄をみて、それによって執着を断ち切ろうとする観法。特に死体が腐敗していく
過程を心に観じること。原始仏教に始まるとされる。平安時代に盛んであった。
朗読3
「あやしき賤、山がつも、力尽きて、薪さへ乏しくなりゆけば、頼む方なき人は、自らが家をこぼちて、市に出でて売る。一人が持ちて出でたる価、一日が命にだに及ばずとぞ。あやしきことは、薪の中に、赤き丹つき、箔など所々に見ゆる木、相交はりけるを尋ぬれば、すべき方なき者、古寺にいたりて、仏を盗み、堂の物の具を破り取りて、割り砕けるなりけり。濁悪の世にしも生れあひて、かかる心憂きわざををなん見侍りし。」
身分の低い者や木こりも、力が尽きて、彼らが供給する薪さえ不足するようになったので、方法のない人々は自分の家を壊して、市に出掛けて売る。それでも一日の命をたもつ価格にもならないという。変なことには薪の中に、赤い丹がついていたり、金箔などが所々に見える木が混じっていることを調べると、どうしょうもなくなった者たちが、古寺に行って、仏像を盗み、仏具を壊し取って、割砕いたものであった。けがれ、罪の世に生まれついて、このような情けない有様を見てしまった。
・「日本霊異記」 平安時代の仏教説話集、僧景戒作 因果応報を描く。
ある僧侶が仏塔を作ると嘘をいい、寄進を受け、これを飲食に使ってしまう。しかし死ぬときに熱病
にかかり「熱い、熱い」と言いながら死ぬ。これが清盛の死因の熱病説の元になったといわれる。
南都焼き討ちの罰というわけである。
「コメント」
長明は神職の家に生まれるが、その道では出世できず、和歌や管弦に堪能な教養人として生きた。好奇心旺盛な勉強家、しかしある意味では野次馬。