190420③「治承の辻風」
前回の安元の大火は、平安京の1/3を焼いたものであった。
朗読1
「また、治承四年卯月の頃、中御門京極のほどより、大きなる辻風おこりて、六条わたりまで、吹けること侍りき。三四町を吹きまくる間に、こもれる家ども、大きなる小さきも、一つとして破れざるはなし。さながら、平に倒れたるもあり。桁、柱ばかり残れるもあり。門を吹き放ちて、四五町が外に置き、また、垣を吹き払ひて、隣と一つになせり。いはんや、家のうちの資材、数を尽くして空にあり、檜皮、葺板のたぐひ、冬の木の葉の風に乱るるがごとし。塵を煙のごとく吹きたてれば、すべて目も見えず。おびたたしく鳴りどよむほどに、ものいう声も聞こえず。かの地獄の業の風なりとも、かばかりにこそはとぞ覚ゆる。」
「また、治承四年四月頃、中御門京極の辺りから、大きなつむじ風が起こって、六条大路の辺りまで吹いたことがあった。四町を吹き荒れる間に、その中に入っている家々は、大きなのも小さいのも、
一つとして破壊されないものはない。完全に平らに倒壊したものもあるし、桁、柱だけが残っている
ものもある。また、垣根を吹き払って、隣と一緒になった。
まして、家の中の財産は、残らず空に吹き上げられ、檜皮や屋根板の類は、冬の木の葉が風に吹き乱れているようである。塵を煙のように噴き上げたので、まったく目も見えず、騒がしく鳴り響くので、ものをいう声も聞こえない。あの、地獄の業風であっても、これぐらいであろうと思われる。」
「時代背景」
源氏勢力の台頭と平家の衰退で、政情不安の時代であった。
・安元の大火(1177年 太郎焼亡)、治承の大火(1178年 次郎焼亡)と大火が続く。
・鹿ケ谷の政変 治承元年(1177年)
俊寛らが会合して、平家打倒を図って露見する。
・安徳天皇3歳で即位 1180年 治承3年
朗読2
「家の損亡せるのみにあらず、これを取り繕う間に、身をそこなひいて、かたはづける人、数もしらず。この風、未の方に移りゆきて、多くの人の嘆きなせり。辻風は常に吹くものなれど、かかることやある。ただこどにあらず、さるべきもののさとしか、なとぞ疑ひ侍りし。」
「家が損害を受けたばかりではなくて、その家を修理する間に、体を傷つけ、障碍者になった人は数知れない。このつむじ風は、南南西の方角に移っていって、多くの人々は嘆いた。つむじ風は、いつも吹くものであるが、こんなことがあろうか。ただ事ではない。しかるべきお告げであろうか、などと不審に思った。」
最後の
ただこどにあらず、さるべきもののさとしか、なとぞ疑ひ侍りし。
この行は、この時の政情不安・源平の争い・幼少天皇の即位など、こののちの騒乱を感じさせるものである。
「他の資料による治承の辻風の記述」
・「明月記」 藤原定家の日記 鎌倉時代の資料として貴重 冷泉家に現存
・「玉葉」 九条兼実の日記 平安末期~鎌倉しょきの政局を詳述
方丈記の記述が、より具体的かつ詳述されており、現場検証をしたと思われる。
・「古今著文集」 鎌倉時代の説話集 橘成季の編
「コメント」
この頃の文章は、現代語に近いので読みやすくて助かる。作者は、事件大好き人間のようだ。