こころをよむ 「いま生きる武士道」                          講師 笠谷 和比古(帝塚山大学教授)

 

151227⑬ いま生きる武士道

 

現代に戻って武士道が我々にとってどのような意味や意義を持つかという事について考えてみる。第一回で事故や災害といった時に、発揮される心構えとしての武士道という事について話した。大災害の時に助け合い、慎み深く行動し救援物資なども譲り合うという形で対処していく姿の中に、又事故で困っている人を皆で助ける行動の中に、我々の中に流れている武士道のDNA、社会の中のDNAを感じることを述べた。それは日本の社会に連綿として流れる武士道の伝承といってもよい。

 

他方では積極的にこの武士道精神を意識的に捉えることによって、現代日本社会が直面する諸問題に有効に対処することが出来るのではないかという事を考えてみたい。

 

 

 

「いじめ」の問題

 

武士道の今日的意義、或いは果たさねばならない大きな役割として、学校における「いじめ」を挙げねばならない。

 

子供たちが喧嘩とか取っ組み合いとかの経験も無しに、PCやゲ-ム機だけに向かう事によって人間関係が希薄になるのは正常とは言い難い。喧嘩も取っ組み合いもないというのは発展段階として、極めて未熟であり不毛でさえある。

 

有ってはならないいじめというのは、目立つ、優秀な、個性的な子に対する妬みから起きるいじめである。これは捨て置きがたい問題であると思う。無視をして仲間はずれにし、日頃の人間関係を断ち切るように仕向けるのである。対象となる子を孤立無援にしてしまう極めて陰湿な方法である。

 

●村八分  規約違反などがあった場合、申し合わせによりその家と交際や取引を断つこと。火事と葬式の二分を除いて。

 

江戸時代以降村八分という制裁のシステムがあったが、これはいじめとは全く違う。地域のル-ルを破った者に対する

制裁である。これは地域存続のために不可欠の処置なのである。

 

●現在の学校のいじめ

 

原因は様々であるが、対象となる子の存在を全く否定する醜悪で陰湿極まりない理不尽な事なのである。一般的には

暴力は表に出ず、外面的には分からないで進行していく。不幸な事案があると学校は「いじめの具体的事実は無かった」と責任逃れをするが、事実当事者以外分かりにくい。暴力を伴わない精神的いじめである。

 

●対処方法

 

・武士道精神というものが役立つと思う。多くの人間が寄ってたかって特定の人間をいじめるというのは卑怯であるという感覚を呼び起こす事だけでも、少なからず意味があると思う。「心に恥じる心」という観念、自己の心に照らして一人の

人間を陰湿な方法で追い詰めるという事は正しいのかという事を、心に問うた時、そのことは是認されるはずはない。己の心に照らしてその行為が是か非かと問いかけ、恥という観念を持てばそのようにいじめと云う行動に到ることもないし、同調もしないであろう。

 

・武士道では相手が如何に嫌な奴であっても正当に評価する、これが武士として当然のこととした。「相手を正当に評価できないのは弱い武士である。」

 

●いじめの影響

 

 ・この様ないじめは学校から一般社会まで繋がっていく。小学校→中学校→高校→大学→一般社会

 

 周りの人間は自分がいじめの対象とならないようにするための自己保身が拡がって行く。これが大勢順応・思考停止・

 見て見ぬ振りを一般化していく。子供の頃からの身に付いてしまう。よって学校におけるいじめを、もっと社会の大きな

 問題として捉えるべきである。

 

・いじめの構造から派生するもう一つの重大な問題がある。それは「創造性の欠如である」。自己保身を考え、自己抑制

 し続けた人はもはや創造性を喪失している。同調する事しか生きる道とはないとさえ思っている。

 

・以上の事には日本の教育の問題が関わっている。減点法の教育である。先生の言う事は全て正しいとして、いかに

 それに近づくかが問われる。オリジナリティは抑制される。このやり方は日本全体を支配していると考えてもよい。

 

・このいじめと教育の問題は、二重の抑圧となって日本の各階層に浸透している。日本の社会においては独自性・創造性を容認しない風潮が目立つ。

 

●この10年

 

 ・前の世代では自動車産業・電子産業・鉄鋼業・造船業などでは独自技術、製品で世界的評価を得たが、ここ10年の間

  には見るべきものは少なく衰退しているものもある。これは創造性の欠如が原因であることは明白である。

 

  ・ノーベル賞受賞者が続々と出ているじゃないかという反論があるが、受賞者の年令とその研究がなされた時期を

  みれば、10年以上も前であることを認識すべきである(山中教授は例外)。この10年が評価されている訳ではない。

 

「武士の社会の能力主義」

 

●徳川幕府

 

武士の社会では幕府を中心として18世紀から、積極的な能力主義が行われていた。福沢諭吉は「身分制度は親の

仇」といっているが、中津藩は特別であったのであろう。徳川幕府の制度を見ていると、行財政役には能力主義登用が

頻繁に行われている。今日の日本の社会からはとても想像できないくらいである。という事は抜かれている大勢の人々

がいるが、目立った足の引っ張りはない。これは武士道としての考え方からである。

 

徳川幕府が260年にわたって続いたのは、この能力主義による人材登用であると言っても過言ではない。

 

創造性のある、現状打破能力のある人を重用したからである。

 

「武士道の現代への貢献」

 

現状の諸問題に武士道精神は少なからず貢献できると確信している。この根本は学校におけるいじめである。

 

近年大きな問題となってきたいじめは学校に端を発し、一般社会へまで深刻な影響を与えている。この解決なくして

将来の日本はないとまで言えるかもしれない。武士道を過去のものとして捉えるのではなく、今日の目で見直しもう

一度深く考えるべきであろう。

 

 

 

「コメント」

 

確かに今の日本人の考え方は「武士道」精神の影響を受けてはいるであろう。しかし多くの部分は温暖な気候、豊かな自然、自然災害の頻発、更には儒教の影響などが形作った。農耕民族であり、灌漑など集団での協調が強く求められたことも大きいと思う。

 

それと武士道を守るために不幸な目にあった多くの人々がいた事を忘れてはいけないと思う。

武士道は楽ではない。

 

講師は武士道が特効薬の様に言うが、そんなに問題は簡単なものではない。同感したのは現代において、社会から創造性が失われ、変化を恐れ大勢順応が増えているのは憂慮すべきと思う。周りを見渡してもそう思う。