科学と人間「生物進化の謎と感染症」 講師 吉川 泰弘(千葉科学大学教授)
151023④ 人の感染症の起源
・7000万年前 霊長類は他の哺乳類と分かれた。その後原猿類と真猿類が分かれた。
・4000万年前 真猿類が新世界猿と旧世界猿に分かれた。新世界猿はアメリカ大陸の猿、旧世界猿はアジア・
アフリカの猿。霊長類は夜行性の哺乳類から分かれ、昼行性になった。樹上生活で器用な手と両眼立体視の目と
進んだ運動感覚連合野を発達させた。
「人類の誕生」
・1000万年前 類人猿の手長猿が分かれた。
・800万年前 霊長類ではオランウ-タンが分かれた。
・700万年前 人類の誕生。チンパンジ-と分かれた。
人類はその後原人・旧人・新人と進化した。現生人類の直接の祖先は、6万年前にアフリカ大陸を出てそれまでの人類
を凌駕し、全世界に適応し定着した。人の進化をもう少し詳しく見てみよう。
「人類の進化」
・1000万年前 アフリカ地溝帯に隆起帯が形成され東側は乾燥し草原となった。その後熱帯雨林の樹間で生活して
いたグル-プの一つが草原に降り立った。最初の猿人である小型のアウストラロピテクスと大型のロブストス猿人の
化石が見つかっている。
・200万年前 アウストラロピテクスの他にホモハビリスが共存していた。
・150万年前 原人は前期石器時代に栄えた人類で石器と火を使っていた。原人は北京原人・ジャワ原人に代表
されるようにアフリカから欧州・アジアへと分布している。
・20万年前 中期石器時代に反映した人類はネアンデルタ-ル人を代表とする旧人で、脳容積は現代人と同じ
1500ccである。しかしその後に出現する新人ホモ・サピエンスの様に前頭葉は発達しておらず、原人に類似している。
ネアンデルタ-ル人は死者の埋葬や各種の石器を開発し、化石は欧州や中近東から多く発見される。
・10万年前 新人(ホモ・サピエンス)がアフリカに出現し全世界に広がった。欧州ではクロマニオン人として
3万5千年前にネアンデルタ-ル人に取って代わっている。両者は共存した時期もあったが、ネアンデルタ-ル人と
クロマニオン人との混血はなかったと言われている。クロマニオン人は絵画・身体装飾・彫刻等の文化を持っていた。
・6万年前 我々の直接の祖先はアフリカから世界に進出した。
人類の進化は猿人・原人・旧人・新人と単一系統の進化をしてきたとする時代もあったが、現在では様々な系統が出現
しては消滅しサボテンの様な枝分かれが起こったと考えられている。
「感染症との出会い」
(野生動物の接触)
チンパンジ-と人類の共通祖先が熱帯雨林の樹林で三々五々果実や木の葉や昆虫を食べて生活していた頃には
感染症は多くなかった。その後隆起したアフリカ大地溝帯の東側の草原に人類の祖先が進出した時、初期人類が
そこに生息している野生動物に接触する機会が一気に増大する。野生動物は狩猟の対象となり重要な蛋白質の
資源となったが、筋肉や臓器中の病源体や、動物の糞尿との曝露は感染機会を増大させた。
(感染症の拡大)
感染症の拡大・蔓延する力は、病原体の伝播力と感受性を持つ宿主の生息密度と宿主が病源体を排出する期間の
積で表される。人でいえば一人の患者が次に何人に病気をうつすかという増殖率を表す。初期の人類は比較的小規模
の人口範囲で狩猟採集生活をしていた。こうした小集団では急性感染症は流行を維持できない。流行が起こっても
集団全体が病気から回復して免疫を持ってしまうか、集団が重篤になって死んでしまうかである。他方、病原体が宿主
の体内で長期間生存できるか或いは人類以外に野生動物など他に宿主を持つ感染症であれば維持される。例えば
結核やハンセン病の様に宿主体内で感染能力を維持できる病原体は小集団であっても次世代の感受性を持つ
グル-プが増えた時に新しい宿主に感染していく。この例に以下の事がある。
「九州にあるチンパンジ-コロニ-で子供の頃アフリカから来たチンパンジ-が数十年たってハンセン病を発症した。」
「人の結核も同様に小児期に感染し老人になってから発症する例が多く報告されている」
「霊長類学者で、アフリカの猿類を研究していた頃にマラリアに感染し、定年後発症した。」
(媒介動物)
更にマラリアや住血吸虫の様に人間以外に宿主を担保する媒介動物や中間宿主を持つ動物と人との共通感染症も
初期人類の時代に維持されていたであろう。媒介動物とは病原体の運び屋、時には運ぶだけではなく病原体が増殖
できる宿主にもなる動物の事である。
「移動生活時代」
人類が小規模集団で狩猟や採集生活をしていた社会では食料の再生産は不可能。食料は自然環境に依存し定住
することは困難であった。その為人類は一定の地域で食料を食べ尽くすと、そこから周辺へ移動する生活であった。
感染症の発生から見ると移動社会は定住社会よりリスクは少なく、糞便などからの再感染は少なく環境汚染も進ま
ない。過去の感染症を調査する方法として糞石を分析する方法がある。糞石とは人間や動物の排泄物が化石化した
ものである。糞石分析の結果、移動生活をしていた先史時代の人類はその後の定住化した人類より寄生虫や感染症と
比較的無縁な生活を送っていた事が分かった。この時代の重要な感染症に炭疽やボツリヌス症などを起こす細菌
感染症があげられる。両細菌とも芽胞を形成することが出来る。生息条件が悪くなると宿主体内に芽胞を形成し
休眠し、条件が整うと菌として増殖する。
芽胞→極めて耐久性の高い細胞構造。100℃にも耐える。
通常人から人への感染はないが、菌は芽胞の形で土壌中に何十年も生き続けるので、汚染された土壌ではいつまで
も風土病的に流行が起きる。
「定住化」
原因は不明だが、地球の気候変動が安定化したことが原因であると言われている。年間通して安定した季節が来る
ようになり、農耕が始まり定住と言う新しい生活様式が可能になった。更に農耕が進んだ結果、単位面積当たりの
収穫量が増大した。これにより人口が増加し、前に述べた感染症のリスクと言うものから考えると病原菌の汚染と
循環が起こりやすくなった。
「野生動物の家畜化」
感染症爆発のもう一つの原因は野生動物の家畜化である。家畜化はメソポタミアで始まったと言われている。家畜の
糞は質のいい肥料として利用された。又牛馬の力より耕作面積を拡大することが出来た。又飢饉の時には家畜を食料
に出来た。これは人類の文明を発達させる画期的な生活様式の変化であった。しかしこれが感染症の爆発をもたら
した。
野生動物の家畜化は動物に由来する感染症を人社会に持ちこんだ。例えば今は人の感染症となっている天然痘・
麻疹・インフルエンザ・百日咳などはこの時期に人間社会に持ち込まれ適応していった。
定住と家畜化は糞便の肥料利用と共に鈎虫症や回虫と言った寄生虫疾患を増加させる。人の回虫症は人糞肥料を
使用している所では現在も問題となっている。又蓄積された余剰作物はネズミなどの餌になる。ペストやウイルス性
出血熱など、齧歯類はノミやダニを通じ、又は直接的に人社会に感染症を持ちこんだ。
「文明社会は感染症のゆりかご」
メソポタミア文明は人口増加を通じて麻疹や天然・痘百日咳が流行しこれらの急性感染症は文明社会への定着に成功
した。急性感染症は少数の人口集団では維持されないが、増加した人口集団では老人や子供のように感受性の高い
集団、こうした集団は生体防御の機能が弱く体内での病原体の増殖が盛んになる為、病原体の排出持続時間が長く
なる。病源体に曝露されることによって抵抗性や免疫を持つ人口も増加し結果として文明社会に定着する。しかし
これは周辺の少数民族や病源体処女地域の人々には脅威の感染症であり、文明に定着した感染症はいわば生物
兵器としてその文明を保護し、文明の拡大を押し進めた。又一方で広がっていた文明は地域の風土病の様な感染症を
取り込み感染症のレバ-トリ-を増大させていく。
「感染症は文明の生物学的攻撃機能或いは防御機能を持つ」
こうして文明が取り込んだ感染症はその文明を守るための新生物兵器となった。感染症が文明の生物学的攻撃機能
或いは防御機能として機能したことは新大陸の人類が旧大陸の人類に出会った時に最も激烈に見られた。
インカ帝国やアスティカ文明の滅亡には欧州から持ち込まれた感染症の伝播が大きな要因となっている。第3回の
講義で述べた地球の生命史から見た微生物の世界や今日の人類の進化と感染症の変化で見てきたように実は
感染症というのは生命体の食物連鎖、共生・寄生に相通じる現象で人類が出現する以前から存在していた。人特有の
感染症と考えられるものでも野生動物や家畜に由来している事が理解できたと思う。
「人の感染症の五つのステ-ジ」
このステ-ジが上がるごとに人の社会に定着し、人から人に感染し易くなっていく。
・ステ-ジ1
動物の間の感染でまだ人類を巻き込むことはない。家畜の重要な感染症である口蹄疫などがあげられる。
・ステ-ジ2
第1回で取り上げた狂犬病やリサウィルス感染症。基本的には野生動物の間で病源体が循環している。しかし時に
家畜や伴侶動物(コンパニオン アニマル、ペットの事)を巻き込んで人に感染する。しかし人から人への感染は
起きない。
・ステ-ジ3
動物に由来するが、人から人へ感染して時に大きな流行を起こす。昨年2014年から西アフリカで爆発的流行を
起こして世界の脅威となったエボラ出血熱やマ-ルプルン病がこれに当たる。後で説明するがエボラウィルスも
マールプルンウィルスも自然宿主はオオコウモリである。
・ステ-ジ4
昨年日本国内で問題となったデング熱や黄熱がある。本来熱帯雨林の中で猿類と蚊の間で循環していたウィルスが
途上国における都市開発に伴い、都市に定着し森林の中で回っているサル→蚊→サルという循環がヒト→蚊→
ヒトというバタ-ンを変えることにより爆発的に流行するようになったものである。
・ステ-ジ5
本来動物の感染症であった病原体がヒト社会に適応しヒト→ヒトへ感染を維持できるようになりヒト由来のウィルス
病と考えられるようになったもの。麻疹、天然痘。
「インフルエンザの大流行」
感染症は次々と現れるし、時間と共にステ-ジを変えている。最も典型的な例は新型インフルエンザである。20世紀になって人類は、3回の世界的大流行を経験した。これはいずれもパンデミックな感染症という事になる。
・スペイン風邪 1918年 スペイン 死者 1億人
・アジア風邪 1956年 中国
・香港風邪 1968年 香港
これはいずれも現在では季節性インフルエンザのウィルスとしてヒト→ヒトの感染を起こし、ヒトの社会に定着している。
類似の例はエイズウィルスやA型肝炎ウィルスでも起こっている。インフルエンザは水鳥から豚を介してヒトに来たものであるし、エイズや肝炎はサル類から人の社会に侵入したもの。次回で紹介する20世紀末に定義された新興感染症の
殆どは動物に由来する感染症である。何故ここに来て20世紀後半に人類史において野生動物の家畜化由来の感染症の爆発が起きたのだろう。その理由としては以下の四つがあげられる。
●開発途上国の熱帯雨林開発
今や地球上の熱帯雨林は世界の5~6%に減少している。それでも熱帯雨林の生物種は全世界の生物種175万種の
50~90%を占めている。地球上唯一1億5千万年前からの生物多様性が残っている地域である。したがって熱帯雨林
は未知の野生動物が持っている病源体と人類が接触する事を意味する。これらの例としてエボラ出血熱・マ-ルプルン
病・・・。
●自然開発が進み農業生産性が向上する。穀類生産の向上はいいことだが、それに伴って齧歯類の繁殖が盛んに
なる。生態系が乱れ野生の齧歯類が人家に侵入する機会が増加する。その時、野生齧歯類が保有する病原体が流行
することになる。ボリビア出血熱・アルゼンチン出血熱などの南米出血熱、アフリカのラッサ熱。
●生産性の向上に伴う途上国の急速な都市化。
ヒトの集中と貧弱なインフラ整備による公衆衛生の劣化、森林でサル類と蚊の間で循環していた感染症が都市に定着
し、ヒト→ヒトという循環になり熱帯・亜熱帯地方で爆発的な流行となっている。黄熱・デング出血熱・チキングニ熱・・・・。
地球温暖化の影響を受けてこれらの感染症は温帯地方も巻き込み始めている。
●航空機発達によるヒトと動物の短時間の移動による感染の拡大
先進国では一般にこれらの感染を移入感染と呼ぶが、途上国で感染し潜伏期間中に先進国に持ち込んでから発症
するという感染である。ラッサ熱・エボラ出血熱・マ-ルブルグ病・サーズ・或いは最近の韓国のマ-ズ・・・
マ-ズの自然宿主は確認されていないが、コウモリとラクダが候補になっている。
「まとめ」
今日は人類の進化と感染症について考えた。通常ヒトの感染症と言っているものが、動物に由来するものである事、又
多くの感染症が今でも動物に由来しヒトの社会に定着している事が理解できたと思う。このような現象は今も続いているし、今後も続いて行くであろう。
「コメント」
・文明の進化によって起きたのはよく理解できた。しかし未知の感染症が今後も現れるというのはショッキング。
ウィルスとの終わりのない戦いなのだ。
・芽胞みたいに何年も生きている病原菌もいるが、宿主がいて循環して生きているというのも講義で知ったこと。
・都市化というのは、寝た子を起こしているのだ。
・免疫と言うのは過去の経験から得たこと、今後の事への対応は?