.こころをよむ「漢詩に見る日本人の心」                 宇野 直人(共立女子大学教授)

150510⑥「和漢交響~与謝蕪村」

今回は江戸時代の中期~後期にかけて活動した与謝蕪村の話をする。この人は俳人並びに画家として有名であるが、漢詩への造詣も深い人。漢詩の創作も勿論であるが、更に俳諧を作る際、その前提として漢詩の教養を重視した。

彼の俳諧論の中で、とにかく漢詩を沢山読むように、それによって俗な気分から離れる事が大切と説いている。其れと共にそうした

漢詩の文体を和文の文体と合体させて新しい詩の形式を開拓するという事までしている。その新しい詩の事を俳詩と呼んでいる。これなどは漢詩文が当時、日本人の文体として定着したことを端的に示す例である。

与謝蕪村は大阪の出身、10代の終わりに江戸に出て俳諧と漢詩を学んだ。幼少時より絵に長じていたが、各地を回りながら絵の修業を積む。40代で京都に定住し、以後は画家として俳諧に親しむ人生であった。江戸時代は全体として儒教を学ぶ儒者が、漢詩文の主な担い手であった。中期以降になると、儒者以外にも漢詩文をよくする人が増えてきた。彼もその代表的な人の一人。

天明期の俳諧の中心であり、画家としては池大雅と共に日本南画の様式を確立、俳諧の境地を画に描き「俳画」の先駆者。正岡子規の俳句革新に大きな影響を与えた。

蕪村の名句

・春の海 終日(ひねもす)のたりのたりかな

・菜の花や 月は東に 日は西に

・月天心(てんしん) 貧しき町を 通りけり

 

興味深いのは、連作詩において漢詩と漢文訓読体(漢字仮名交じり)とを並べたり、一首の中でそれらを併存させたりする手法。和文と漢文が響きあってユニ-クな境地を表している。その例を見ていく。

 

澱河歌三首  

ある男がいて舟旅に出る。これを女が見送るという場面。この女の心を詠んでいる。詩の内容から、男は京都から大阪に行く。淀川を下るが今、2人は宇治川の船着き場。

(其の一)    五言絶句

前半2句  春の川に梅の花びらが浮かんで流れている。その眺めから歌い起こしている。

後半2句  女はその船出を止めさせたいという気持ちを述べ、別れたくないという心情を表している。

春水浮梅花  (しゅん)(すい) 梅花を浮かべ       春の川は梅の花びらを浮かべ

南流菟合澱  南流して () (でん)に合す     南に流れて 宇治川は淀川となる

錦纜君勿解  (きん)(らん) 君 解くこと(なか)れ      ともづなを 君よ 解かないで

急瀬舟如電  急瀬(きゅうらい) 舟 (いなずま)の如し       浅瀬の上を 舟は稲妻のように 行ってしまう

・澱 淀川の漢語表記 

・菟 宇治川 菟治川とも表記されたので

・錦纜  (ともづな)の美称

 

(其の二)   五言絶句

其の一の気分を受けて女は何時までも一緒に居たいという未練の気持ちを詠んでいる。

前半2句  川に注目している。

後半2句  切ない思いに移っていく。川に流れを見るにつけ、私はあなたと一緒に居たい思う心。

菟水合澱水  ()(すい) (でん)(すい)に合し          宇治川は淀川に合流し

交流如一身  (こも)(ごも)流れて一身(いっしん)の如し       二つの川はまじりあって一つに

舟中願同寝   舟中(しゅうちゅう) 願わくば(しん)を同じうし    どうか舟の中で 共に過ごして

長為浪花人   (とこしえ)に 浪花(なにわ)の人と為らん     何時までも浪花の人になりたい

・浪花 難波・浪速・浪花とも書く

(其の三)  漢文訓読体(漢字仮名交じり)

其の一、其の二と内容が変わって、女は感情を抑えて何とか未練を振り切ろうとしている。どうしても別れなければならない二人の運命を例えを使って嘆くのである。何とか自分を納得させようとしている。

君は水上の梅のごとし               あなたは水面の花びらのよう

花 水に(うか)びて (さる)こと(すみやか)ヵ也         その花びらは水に沈んでそそくさと流れ去ってしまう

(しょう)江頭(こうとう)の柳のごとし               一方この私は岸辺の柳の様だ

影 水に(しずみ)て したがうことあたわず      その柳の影が水中に沈み込んで、あなたにお供することは出来ない

・君は・・・・妾は・・・・

  この句法は、魏・曹植の「七哀の詩」を基にしている言い方。

・友人への惜別の情を、遊女が客を送る心境に託して詠んでいる。この手法は、中国唐代の詩によく見られる。蕪村もそれを使った。

 

春風馬堤曲

澱河歌三首は、其の一と二が五言絶句、其の三が漢文訓読体であったが、蕪村はそれを更に進めて漢文体と和文体を合体させる試みを行っている。

制作の事情は序文で述べられている。春のある日、故郷の毛馬村(現在の大阪、淀川河口)に帰る途中で、藪入りの娘と道連れになり、その心情を本人に代わって詠んだ、というもの。

()

余一日問耆老於故園 渡澱水       余 一日 ()(ろう)故園(こえん)に問う (でん)(すい)を渡り 

                          私はある日、長老に挨拶するために郷里に行った。淀川を渡り

過馬堤 偶逢女帰省郷者 先後      馬堤(ばてい)を過ぐ。偶々(たまたま)(じょ)の (きょう)に帰省する者に逢う。先後して

                          毛馬村の堤を歩いていたら、たまたま帰省する女に逢う。前後して

行数里 相顧語 容姿嬋娟 痴情可憐  行くこと数里、(あい)(かえり)みて語る。容姿嬋娟(ようしせんけん)、 痴情(ちじょう) 憐む()し。

                          歩くこと数里、言葉を交わすようになった。姿は良くて、愛くるしい。

因製歌曲十八首 代女述意         ()って歌曲十八曲を製し、(じょ)に代って意を述ぶ

                           そこで歌曲十八首を作り、娘に代わって心境を述べた。

題曰春風馬堤曲                題して「春風 馬堤の曲」と()う。

                           名付けて「春風 馬堤の曲」という。

()(ろう)  老人→長老

・馬堤  蕪村の故郷 毛馬村の堤

・嬋娟  器量がよい事

・痴情  愛くるしい様子

 

春風馬堤曲十八首

此の一首の中に三種類の詩形が代わる代わる出てくる。(発句、漢詩の五言絶句、漢文訓読体)

○やぶ入りや 浪花(なにわ)を出て 長柄(ながら)  発句

○春風や 堤長うして 家遠し      発句

 

堤下(ていか)摘芳草  堤より(6)って芳草を摘めば  堤よりおりて草を摘もうとしたら

荊与棘塞路  荊棘(けいきょく)(とも)(みち)を塞ぐ      いばらが道を塞いだ

荊棘何無情  荊棘 何ぞ無情なる      荊は何とひどいことを

裂裙且傷股  裙を裂いて 且つ股を()る  娘の着物の裾を破り 腿を傷付けた

・荊棘  いばら 困難なことの例え 荊棘共に、とげのある木

 

○渓流石点点  渓流 石 点点(てんてん)            谷川の水面に 石が点々とある

  踏石撮香芹  石を踏んで(こう)(きん)()る       それらの石を踏んで 香る芹をつむ

  多謝水上石  ()(しゃ)す 水上の石            有難いことに 水面の石は

  教儂不沽裙  (われ)をして 裙を(ぬら)さざら()    私に 着物の裾を 濡らさないようにしてくれる

 

○一軒の 茶見世の柳 老にけり     発句       茶店のお婆さんは暫く見ないうちに老けたみたいだ

○茶店の老婆子 儂を見て 慇懃に   漢文訓読体   お婆さんは私を見て優しく、 

  無恙を賀し 且 儂が春衣を美ム             無事を喜んで私の着ているものを褒めてくれた

 

五言絶句

○店中有二客  店中(てんちゅう) 二客(にきゃく)有り           店の中にはお客が二人

  能解江南語  ()江南(こうなん)の語を解す        二人は大阪弁を話す

  酒銭擲三緡  (しゅ)(せん) 三緡(さんびん)(なげう)ち           酒代として 緡三本を出し

  迎我譲榻去  我を迎えて (とう)を譲って去る    私を招き 席を譲って出て行った

・江南 江を淀川として 大阪を指す ここでは特に道頓堀をいう

・緡 ぜにさし 銭の穴に紐を通して束ねたもの 

・榻 こしかけ 

 

○古駅三両家 猫児 妻を呼ぶ 妻来らず   古い民家の周りに2~3軒の家がある 猫が妻を呼ぶが来ない

○呼雛籬外鶏  雛を呼ぶ 籬外の鶏       若鳥を呼んで鳴く まがきの向こうのにわとり

 籬外草満地  籬外 草 地に満つ       まがきの向こうは草が一面に生い茂る

 雛飛欲越籬  雛飛んで 籬を超えんと欲し  若鶏はまがきを越えようとするが

 籬高堕三四  籬高くして 堕つること三四   まがきは高く 何度も落ちてしまう

・籬 垣根 

 

春艸(しゅんそう) (みち)三叉(さんさ) (うち)捷径(しょうけい)あり 我を迎う              草が茂る草原に三叉路がある。その中に小さな道があって私を誘う

○たんぽぽ花咲けり 三々五々 五々は黄に            たんぽぽが咲いている 白と黄色に 

 三々は白し 記得す 去年 此の路よりす             この道を通って奉公に出た

○憐みとる(たん)(ぽぽ) 茎短して 乳を(あませり)                 心惹かれるたんぽぽを摘むと 茎から乳色の汁が出る

○むかしむかし しきりにおもう 慈母の恩              今は昔のように思われるが、しきりに思われるのは優しい母

 慈母は懐袍(かいほう) 別に春あり                        母の心は春の様に温かい母の愛に包まれて成長した

○春あり 成長して浪花にあり                     成長して大阪に奉公に出た

  梅は白し 浪花(きょう)(へん) (ざい)(しゅ)の家                  梅の花が白く咲く浪花橋近くの金持ちの家であった

  春情 まなび得たり 浪花風流(ぶり)                   私は年頃になって浪花の流行を見の付けることが出来るようになった

○卿を辞し 弟に(そむ)く ()三春(さんしゅん)                     故郷の家を出て、弟と別れ3年を過ごした

 (もと)をわすれ (すえ)を取 接木の梅                   本当の自分を忘れ、目先の楽しみにとらわれてしまった 接木された梅の様

○故郷 春深し 行々(ゆきゆき)て 又 行々(ゆきゆく)                  故郷は春たけなわ,歩こう歩こう もっと歩こう                

 (よう)(りゅう) 長堤(ちょうてい) 道 漸くくだれり                    柳並木が続く堤が下り坂になってきた

矯首(きょうしゅ)はじめて見る 故園の家                   首を伸ばすようにして眺めると、私の家が見えてきた

 黄昏(こうこん) 戸に()る 白髪の人 弟を抱き 我を待つ 春又春  夕暮れに家に寄りかかる様に弟を抱いて白髪の母が私を待っている

(きみ)(みず)() 古人(こじん) 太祇(たいぎ)が句             あなたはご存知でしょう 今は亡き太祇の一句

  薮入の 寝るやひとりの 親の側        薮入で帰って寝るのはかけがえのない親の側

・春艸 春の草

・行々て 又 行々 「古詩十九首」よりの引用  長旅を続けること

・矯首 首を伸ばす

・戸に倚る 戦国策「倚門の望」からの引用  帰りを待つ形容

 

「漢詩の特徴の一つは 表面の意味の他に隠されたもう一つの意味が込められていることである。いわば意味の二重性。」

EX

・芳草を摘む  分かれている親しい人にあいたいと思わせる事を表す

・荊棘       トゲで、困難・不幸を表す

 

「コメント」

・今回も手間取ったが結構面白かった

・いつもながら、引用が多く意味が判然としない字が多く、解説が無ければ理解苦労する

・漢詩はともかく、漢文訓読体位は書けるようになりたいものだ。

・「春風馬堤曲」 状況は違うが、私の大学の時の春休み帰省を思いだす。