カルチャ-ラジオ「人間を考える」 ①               京都大学総長 山極 寿一

                                     専攻 ゴリラの社会進化と生態学的適応

141207

「はじめに」

これまでゴリラの後ばかり追いかけて、これで京大の総長が務まるかと心配だったが、見渡すと大学というのはアフリカのジャングルと似ている。猛獣が沢山いて各種各様。それを一律にせず、多様な能力を引き出すことが総長の役目と思っている。今は何とかやっていけるかと思い始めている。ジャングルの猛獣達の中に人間というものも入っているが、人間というのはずっと今の人間だったわけではない。何時からか徐々に進化を遂げてきたわけである。私達が現在使っている能力というのは其々の時代の要請に基づき、環境に変化に応じて生まれてきたものである。例えば手は、今は器用な手を持っている。決してパソコンを叩く為に進化したわけではない。何か他の目的の為、多分柔らかいフル-ツを手で掴むために進化した。それを今は別の目的に使っているのである。

この進化を知る為には人間に近いゴリラやチンパンジ-、オランウ-タンという類人猿の社会行動を見ることが必要。これが私達の学問である。

「人間と猿・ゴリラとの違い」 

 ヒト科は、哺乳類サル目(霊長類)の分類群のひとつ。ヒト亜科ヒト属チンパンジー属ゴリラ属を含む)と

オランウータン亜科で構成される。

まず人間はゴリラ・チンパンジ-と共にヒト科という分類群にいる。重要なのはサルとゴリラの違いよりもゴリラと人間の違いの方が小さいということ。我々もゴリラも同じく、サルとは違う存在なのである。これをヒト科という。ダ-ウィンの進化論は、昔共通の祖先がいてそれから順を追って分岐をして色々な枝に分かれたという理論である。

人はサルとはずっと前に分かれ、ゴリラ・チンパンジ-とは最近になって分かれた。だから人間とゴリラは、サルと人間より・サルとゴリラより近いということになる。形態上の違いはあるが、今日の話は社会や人の話であるからこれらの行動の話をしよう。

・食物を食べる時の違い

 典型的な違いは食物を食べる時に現れる。我々人間は毎日毎日食事を摂るが、肉食動物なら毎日摂る必要はない。遠く辿ればサルと同じ祖先を持つから、毎日三度々々食事を摂らなくてはならない。そういう胃腸の構造をしている。だからサルや人間にとって毎日食べるということは大きな関心事である。→誰と何時どのようにして食べるかということはサルも人間も関心事である。特に群れを作って生活するサルや人間にとって大変重要なことである。

(サルのケ-)

餌を間に置いて両方が一緒に手を伸ばすということは有り得ない。両方一緒に手を伸ばしたら喧嘩になる。必ず弱い方のサルが手を引っ込める。尻尾をあげた強そうなサルがやってきて、餌を独占する。その時、強いサルは、弱い相手の顔を見て「お前は俺に挑戦する気か」と言うようにプレッシャ-をかける。と弱い方のサルは歯茎を出してニッと笑う。これを「グリン フェイス」という顔の表情である。これは「私は貴方と戦う気持ちはありません。私はあなたより弱いです」と言っているのである。つまり、ニホンザルは瞬時に勝ち負け決めてしまって、勝った強い方が餌を独占するというル-ルを設けている。だからサルはいつも自分と相手のどちらが強いかという事を弁えて行動している。強いサルの前では遠慮して、弱いサルに対しては堂々と自分の権利を主張するのである。

 (ボノボのケ-)  チンパンジ-の一種 ピグミ-チンパンジ-のこと

強いボノボがサトウキビを持っているとする。そこに子連れのお母さんがやってくる。これは弱い。しかし手を出して「頂戴」というと、この強いボノボはサトウキビを渡す。これを分配行動という。だからボノボの社会ではニホンザルの社会と全く逆に弱い立場のものが強い方の立場のものに分配を要求する。ここがサルとは全く違う。我々人間はこっちの方に属する。

(チンパンジ-のケ-)

オスが餌の肉を持っている。この周りをおばさんチンパンジ-が囲んで分配をせがんでいる。オスはその要求に抗しきれない。これは結局円くなりながら同じものを食べるという光景となる。ニホンザルではこうした事は起きない。強いものが全てを独占してしまう。

チンパンジ-ゴリラ・ボノボでは人間の食事と同じ光景となる。人間は毎日そういうことをしている訳である。

 (Face to Face)

そもそも対面するというというのは、相手に対する脅しである。相手の顔を見つめるのは強いサルの特権である。弱いサルは見つめられると視線をそらさねばならない。或いはニッと笑って歯茎をみせねばならない。ところがゴリラ・チンパンジ-・オランウ-タン・人間でもこうやって対面するという事は通常起きる。しかし表情は平静である。類人猿では対面することは脅しではない。色々な意味を含んでいる。私はゴリラに見詰められた経験がある。それまではニホンザルの研究をしていたので、サルから見つめられたら目をそらさなくてはいけないと思っていた。そうしないと戦いになって攻撃されてしまう。私はゴリラに見つめられて目を伏せてしまった。そうしたら、顔の前に回り込んできて、また顔を見つめる。これを繰り返したらゴリラは不満そうに、胸を叩いた。これは不満の表明。これはチンパンジ-も同じ。これを見て次のことを思った。

  1. 人間もやっているな

  2. しかし人間とは少し違うな

    人間はそんなに顔を近づけない。人は近づけすぎると気持ちが悪い。安心できる距離を置く。

      (人間が対面する理由)

    会話をする為に、食事をする為に対面しているのだろうか。意思を伝えたり、食事をするだけなら向き合う必要はない。後ろ向きでも構わないはず。最近の若者は面と向かわないで、近くにいても携帯で話すと言われる。向き合って話したり、食事するのは何故だろう。最近面白いことが分かった。

     ・サルの目と人間の目、類人猿の目と人間の目。人間の目だけ際立っている。白目である。白目が曲者。我々は白目を見るために向き合っているのだ。白目が一寸動くだけで、相手の内面の動きがモニタ-出来る。どういう白目の動きが気持ちを表しているのかというのは正確には分からないが、我々は感じ取っているはず。我々にはそれが必要なのだ。言葉は伝えても相手がどう聞き取っているのか、どんな感情を抱いているのかが気になるのだ。勿論、意思を伝達する言葉もないのは論外であるが。

    それを人間は読み取ろうとする。食事の時、美味しいものを食べながら会話して、目を使って意思疎通を図っているのだ。社会生活を営むために必要だから面と向かうのである。信頼関係を構築する時、相手を評価する時に必ず面接をする。顔を見ないとダメなのである。対面というのは人間の極めて大事なコミュニケ-ションの手段。

      (人間の言葉)

    言葉というのは人間の歴史の中では非常に新しい道具である。人間の脳が完成されるのは60万年前、言葉が出てくるよりずっと前。脳が大きくなった結果、言葉が使えるようになったのである。言葉というのは人間にとって新しい道具だから、使い慣れていない。すごく安っぽいチャチな道具である。まだ信頼を作るのには適していない。信頼を作るには他のコミニュケ-ションツ-ルの五感を使う必要がある。視覚・

    嗅覚・触覚・抱擁・同じ植物を食べる。昔から持っている本能に近いものである。

    言葉は便利な道具でもあるが、逆に裏切る道具でもある。では、人間が最初に手にした人間らしい道具とはなんであろうか。

    立って二本足で歩くこと→二足歩行

       (人間集団の数と脳の大きさ)

    二足歩行の頃の人間の脳の容量は400cc。チンパンジ-並。この頃から石器使用を始める。次に脳が大きくなり出すと、火を使ったりする。

    では何故人間の脳が大きくなったのか→群れて生活したこと。群れサイズが大きければ大きい程、脳が大きくなった。

    集団の規模が大きくなると付き合う人も数も多くなり複雑化する。記憶力・応用力が必要となる。そのために脳は発達した。

       集団の規模           脳の容量

       30人~60人          600cc

            70人            800~1000cc

          160人            1400cc(現代人並)

        *160人は、マジックナンバ-と呼ばれ、普通人間の限界集団数。農業に頼らない、或いは家畜に頼らないで生活している

狩猟採集民の限界集団数。言ってみれば自然をそのまま利用して生活するレベル  

              (集団の規模)

           現代生活のなかでもこういう幾つかの規模の集団がある。

・10~15人    サッカ-(11人)・ラグビ-(15人)のチ-ム  共鳴集団とも言う。

   スポ-ツをやるときには一々言葉を交わさない。くどくど言わないで意思疎通が出来る数。

・30人~50人   学校のクラスの数、宗教の布教集団

   意思統一が図れる集団

・100人~150人   

   例えば年賀状を書こうとしたとき、思い浮かべられる数。名前と顔が一致する集団。信頼関係が保てる集団。

   言葉が出来てきても本当に信頼できるのはこの程度の数。言葉は150人を超えた人々との関係を作る手段となる。

(共感と同情)

 ・共感→相手の考えていることが分かるということ  

・同情→相手の立場を考え手を差し伸べる。  Other Caring Beheavier

   .類人猿に発達しており、特に人間はこれを頻繁にやる。過ぎると相手が望んでいないのに助けるお節介になる。

(勝つ論理と負けない論理)

・サルは最初から勝ち負けをはっきりさせる。故に喧嘩は起きないので、極めて合理的。これに対して

・ゴリラ  ゴリラは勝負を決めない、勝ちを作らない、負けそうな奴を助ける、勝者が出来ないシステム。負けないということと勝つこととは違う。

(最近の人間社会)

最近人間の社会は少しおかしくなっている。勝つことが重要になってきた。勝つということは相手を屈服させること。昔の社会はサルのように自分から勝ち負けを作るようには出来ていなかった。だから子供の社会でも勝った途端に友達を失っていく。屈服した奴は離れて行くから。負けないでいるということのゴ-ルは相手と対等な位置にいること、だから友達は逃げない。しかしトラブルはずっと持ち越すのでその当事者だけでは解決できない。だから第三者が間に入ってマアマアと言って面子を取り持つ必要がある。→これがゴリラの世界。我々の社会は、こっちの方から来ている。ただ今は負けることが嫌いになって、勝つことが好きになった。だんだんとサルの社会に逆戻りしている。これが今日の主題。

(人間とゴリラはそっくり)

ゴリラの胸叩きは自己主張であって、戦いの宣言ではない。距離を置いて自分の主張をしているのだ。これは歌舞伎の見得と全く似ている。

これがメスや子供に受けるのである。この仕草が類人猿共通ということは、社会がオスに求めていることは共通だということ。これは相撲も同じ。行司がいることに意味が有る。男の美しさを演出して、勝負は第三者の行司が決める。弱い小男の行事が決めることに大きな意味が有る。自己主張と面子を重んじる社会は実際にはなかなか難しい。主張しなければ認めてもらえないし、主張しすぎると敵を作る。ここに塩梅が必要。それには相手の考え、感情を推し量ることが必須。また相手、周囲の共感も得なければならない。故に人間はゴリラよりもっと高度な共感能力を持たねばならないし、現に持っている。それは人間が熱帯雨林を出てサバンナに進出してからである。これを人間とゴリラの子育てを比較しながら見てみる。

(子育て 人間とゴリラ)

熱帯雨林でやっていた育て方を変え、皆で一緒に育てるという方法を案出し、そこで共食を高めながら共同意識を持った集団を作り上げてきた。人間は大きく生むが、ゴリラは小さく生む。

             人間        ゴリラ

新生児の体重    3Kg        1.Kg     ゴリラは小さく産んで大きく育てる。

成人(オス)      60Kg          200Kg    

離乳まで       1年         4年     その後人間は離乳食 ゴリラは乳離れしたら成人と同じ                  

・人間のお母さんは忙しいので抱くのをやめるが、ゴリラのお母さんは乳を吸っている間、腕から離さない。だから人間の赤ちゃんは泣いたり、笑ったりして、意思をお母さんに伝えねばならない。ゴリラのお母さんはすぐ察知するので、赤ちゃんは泣く必要がない。

・ゴリラは離乳すると、お父さんが面倒を見る。お母さんは置き去り。赤ちゃんはお父さんのそばで社会性を身につけていく。お父さんは実に上手く子育てをする。ベスト保育士。お母さんは、あっさりと子離れし、次の出産に備える。

(人間の生育の特徴) 

・離乳までは短いが、すぐ大人と同じものを食べられるわけではない。まだ乳歯。類人猿は離乳したら永久歯。人間は永久歯になる6歳頃まで大人と同じ固いものは食べられない。

・独り立ちも出来ないのに離乳時期が早いのは、そこに進化の必然性がある。

・人間の子供は繁殖能力がついても、繁殖に参加しない時期がある。この時期を思春期と言う。→心と体のアンバランス

・繁殖能力が失われても20~30年生きている。類人猿は繁殖能力の終了が寿命の終了。

   この三つの人間だけに特殊なことが進化の仕方と大きく関係している。以下で今までの疑問を考えてみる。

(人間固有の成長の仕方の疑問について)

  1. 何故乳児期が短いのだろうか?

    ・熱帯雨林からサバンナに出てきたことによる。熱帯雨林は年中豊富な食物がある。サバンナに出るといつも歩きまわって食物を集めなければならない。

    ・類人猿は木の上で眠るが、サバンナの人間は肉食獣の脅威にさらされる。特に肉食獣は幼児と子連れのお母さんを狙う。このため、多産でなくてはならなかった。多産という事は離乳が早くなければならない。早く離乳して、次の出産に備える。

  2. 何故3Kgの大きな赤ちゃんを産むのか?

    ・人間の赤ちゃんは脳を急速に発達させる必要があるから。赤ちゃんの体重のほとんどは脂肪、15~25%で類人猿の5倍。

     脂肪の多さは脳の発達を助けるため。1年で脳の大きさは2倍になり、5歳までに大人の90%までになり、12~16歳で完成。

     ゴリラは離乳時すぐに完成。

  3. 人間の赤ちゃんは何故成長が遅いのか?

    ・そもそも人間は摂取エネルギ-の20%を脳の維持に使っている。脳は極めてコストの高い器官。赤ちゃんは摂取エネルギ-   の45~85%を脳に。赤ちゃんは脳にエネルギ-を取られるので、類人猿に較べて成長が遅れる。

    ・直接歩行をするようになって、産道が小さくなった。予め頭の大きな赤ちゃんを産めない。それで、小さな頭で生んで生後急速に脳を成長させることが必要となった。

    ・脳の成長が完成に近づく12から16歳で脳に過大なエネルギ-を送る必要がなくなるので、ここで急速な体の成長が始まる。

     これが思春期。女の子が男より2年程度早い。

    ・この時期は人間にとってとても重要な時期。

  1. 脳の成長に体が追いつく

  2. 繁殖力を急速に身に付ける

  3. 社会生活を送る能力の学習の必要

    この時期をつまづくと肉体的、社会的に実生活を乗り切れない事態が起きる。

    (このような人間固有の出産、育児の生活への影響)

    ・産道が狭い為に難産になり易いし、出産に時間が掛かり一人で埋めなくなる。よって介添えがいるし、この時期が猛獣に狙われやすい。

    ・早い離乳と遅い成長はお母さんだけでは出来ないので、共同保育となる。このため赤ちゃんは泣いたり、笑ったりする。意思を伝えたり、共感を得る為に。赤ちゃんの笑い顔は天使の微笑と言われるが、これには目的があり全員がだまされる。

    ・家族、共同体が助けないと赤ちゃんは生きていけない。

    (人間の持つ家族の論理と集団の論理)

    家族というのは人間にしかない。家族の論理と共同体の論理は違う。家族はえこ贔屓をする集団→自分の子供は可愛い・自分の親は大切。共同体では全て平等。そして皆が平等に負担する。助けてやればお返しがあるし、助けてもらえばお返しが必要。

    家族はお互いに収奪が当たり前、子は親から物・金を取り上げる。類人猿はこの二つの論理を同時に実現できない。ゴリラは家族的集団のみ、チンパンジ-は家族がなくて集団のみ。人間だけは、子育てをするために集団にこの二つの論理を持ち込まざるを得なかった。これは極めて高度なもので、共感力を高めなければ達成できない。共同体内部に複数の家族がある場合、家族間では対等な立場でやり取りしている。

    ・私たちはそういう共同体及び家族に一生帰属性を持つ。それを持つことによって、いろいろな違う集団を渡り歩くことが出来る。

    ・我々はその由来が不明な人を不気味に思う。いわゆる「よそ者」。例えば「私は長崎のこういう街の出身です」「私はあなたの知っている人の友人です」これは信頼を作る為に必要。相手の由来を知る、相手の帰属意識を表現することは、人と付き合うためには必須。

    (家族の崩壊)

    現代は家族が崩壊し始めていると言われる。大きな危機。これは家族が現代の社会のシステムに合わなくなったからではない。

    ・現代の科学技術は個人の自由・利益を最大化するように作られてきた。それが結果として家族や共同体を段々弱体化させているのだと

    思う。その最大の原因は急激なコミュニケ-ションの変化にある。

    ・既に言ったように、人間は言葉というものを、まだ使い慣れていない。だからトラブルが生じる。

    (コミュニケ-ションの変化)

    信頼に足る集団というのは、せいぜい150人程度まで。それをインタ-ネットはあっという間に大きく拡大してしまう。我々は顔の見えない人々と付き合わざるを得なくなっている。それは信頼関係を作れない人々。これが、従来信頼関係にあった人々にも不安を感じる原因になっている。目の前にいる人の背後にどういう人がいるのか、どういう人と付き合っているのか分からないからである。そして個人の評価が拡大して個人の利益というのが、生きるための目標になった。我々人間の集団というのは、動物の集団と違って集団のために何かをするということである。動物は自分のために、また血縁のために事を起こす。人間は共同体のために働いてきた。

    (現代の問題点)

    今まで話した人間の有り様が変わってきた。個人の評価が拡大し、自己実現が目標となり、自己責任がそれに伴わなければならなくなった。そして一番信頼できる家族というものが崩壊し始めている。Face to Faceのコミュニケ-ションが無くなり、家族同士の縛りも希薄化してきた。

    これは少子化というものに伴うものでもある。食事を一緒にして信頼度を高めるような関係も減ってきた。いわゆる個食の増大は象徴的。

    コンビニが出来、レンジが使用され食事を作る時間は省略されて個人の自由な時間は増えた。たが信頼というものは、時間を節約してできるものではない 。むしろ、時間を沢山使うことで信頼関係の構築に繋がる。「私はあなたの為にこれだけ大切な時間を使った」ということが信頼の第一歩なのだ。それを現代は効率化・経済化によって後ろに追いやってしまった。子育てというのは経済化も機会化も出来ないこと。子供の成長期間というのは、決して縮めることは出来ない。この為には最大の時間を費やさなくてはならない。子供が少なくなり、家族が

    崩壊してしまうと、集団論理だけの社会となる。これは突き詰めれば、サルの社会に段々戻って行くということである。

    (日本社会への危惧)

    以上のような状況の中で次のことが危惧される。何かトラブルが起きれば優劣によって予め勝敗を決め、それをお互い認知してトラブルを避けるということ。簡単で効率的なやり方で、これは今話題になっているいわば「格差社会」である。そうすると我々が何百万年かけて築き上げてきた共感能力を発揮する場がなくなるのである。信頼関係は消滅し、尚且つ自分の利益が得られない共同体に属している必要が無くなり自分の共同体にidentityを持てなくなる。そして自分に利益をもたらしてくれる仲間だけを求める集団にと変わっていく。その集団は極めて閉鎖的である。それが今の日本社会が辿り始めている道ではないかと危惧する。このことは、ゴリラの社会と今の日本を比較する中から明らかになってきたことである。

     

    「コメント」  理解しづらいところもあり、まとめるのに骨だったが、面白かった。

     

    ・京都大学は霊長類の研究が盛んであるのは知っていたが、その研究者が総長になるのだ。

    ・1時間で人間の進化とゴリラ・サルとの比較、更には現代社会の問題点への言及はなかなか大変であろう。基礎知識のない私には理解が及ばない部分も多かった。しかし、ゴリラとの比較はとても面白く、動物園に行ったらそういう目で見てみよう。

    ・自分自身、時々サルの様に生きている場面があるような気がするしまたゴリラ的でもあるなと感じる。

    ・言葉はチャチな道具と言っているが、これさえちゃんと使えない奴が多すぎる。昔の人の方が上手だったような気がする。

    ・東京人より田舎の人の方が共感性は高いとかねがね思っていたが、これは彼らが付き合う人数のせいだったのかな。