カルチャ-ラジオ「漱石と明治近代科学」 早稲田大学教授 小山 慶太
① 140105 漱石の科学への関心
今回のタイトルに普通の人は意外だなと感じると思う。文学と科学とは水と油と思われている。漱石は科学に深い関心を持っていたのである。その背景には二つの要因がある。
1、 明治という時代の固有性
明治期の日本というのは西洋の学問を輸入した時代。どういう分野に立つ日本人であっても、時代をリ-ドする知識人にとって西洋文明というのは対峙しなければならない対象であった。西洋文明の象徴というのは、近代科学ということになる。つまりリ-ダ-、知識人は西洋科学及びその応用である技術を深く意識せざるを得なかった。
2、 漱石の2年間の英国留学
ロンドンで科学の偉大さ/面白さを実感した。
この二つの要因から漱石の作品/評論を読み直してみると、漱石が科学を意識していたことが分かる。
「坊ちゃん」の主人公が数学教師の理由
自分と同じ英語教師とすれば書きやすかったのではと思われるが、どういう訳か数学教師になった。この理由は?
・悪役として帝大出の英語教師の赤シャツがいる。これは自分がモデルと言っている。自己否定というか、近親憎悪的。 赤シャツに恋人を奪われるウラナリ先生は英語教師。
・正義感の坊ちゃんと山嵐は数学教師。 理系 良い奴。 文系 悪い奴。
坊っちゃんが数学教師になった理由
・大の文学嫌いとして描いている。
「抜粋」
どこの学校に入ろうかと考えたが学問は生来どれもこれも好きでない。殊に語学とか文学というのは真っ平御免だ。新体詩などというのは20行ある内で1行も分からない。どうせ嫌いなものなら何をやっても同じことだと思っていた。幸い物理学校の前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたので入学の手続きをしてしまった。
→これが数学教師になるきっかけとされている。
漱石は数学の成績が良かった。
帝大予科時代数学の成績がよく、友人も理系に行くと思っていたし、当人も建築をと思ったふしがある。19歳の頃、進学塾の数学教師をアルバイトでやっている。
留学時代の科学との接点 →ここで文学と異質の自然科学に心を惹かれていく。
・物理科学者 池田菊苗と出会う。 ライブチヒ大学留学の帰途、漱石とロンドンで会い、議論。味の素の発明者。英文学の研究に行き詰まっていた漱石は、池田と議論して新らしい方向付けが出来た。
妻への手紙。
「文学が嫌になった。西洋の詩など読んでも何も感じない。こういう時に池田が現れた。理学者で哲学者。議論したがとても良かった。幽霊みたいな無意味な文学を止めて、もっと組織だったどっしりとした研究をやろうと思う。」
「余は下宿に立てこもりたり。一切の文学書を行李の底に収めたり。文学書を読んで文学をやらんとするは血を持って血を洗うが如し。」
物理学者 寺田寅彦との交友
第一高等学校時代の教え子。この時の寺田の回想「漱石先生は理工学的事柄に異常な興味をもっておられた」
漱石から寺田寅彦への手紙
「学問をやるならコスモポリタンなものに限る。英文学なんか縁の下の力持ち。君は物理学をしっかりやり給え。英国物理学会の最新ニュ-スを伝える。」
作品の中の登場人物
「吾輩は猫である」
・水島観月 物理学者 モデル 寺田 寅彦 作中に(首くくりの力学)が話題に
「三四郎」
・三四郎 第五高等学校(熊本)出身
・野々宮宗八 物理学者 光線の圧力の研究 モデル 寺田 寅彦
・美禰子 三四郎は恋慕するが、実らず。三四郎を翻弄する。
漱石の弟子の森田草平と心中未遂事件を起こした平塚雷鳥がモデル
寺田寅彦「夏目漱石先生の追憶」 漱石没後の回想文
この中に、第五高等学校時代教師時代のエピソ-ド、俳句の指導、東京での交流が詳しい。
石作品の中に,寺田寅彦との交流のエピソ-ドが入れ込まれているのが分かる。