私の日本語辞典「百人一首から広がる日本語の世界」 吉海 直人(同志社大學教授)

 

講師の専門は平安・鎌倉の文学、短歌で「百人一首」。源氏物語の研究からスタ-ト。

   13年1月12日() 21時~

       前半は百人一首と百人集歌との関係、歌の順番とか理解できない話なので

    パス。   後半中心に記録。

 

 百人一首は様々なものがあって、当初からのものと違ってきていることは理解。

 むしろ定家がどのような考え/やり方で編集したかの話が面白かった。

  

・定家及び時代時代の書き写した人が歌を変えてきている。一番書き変えたのは定家。歌の大家としての自負で元の歌を変えている。勝手に改作。

 

・今までもどうしてこの歌人が入っているの入ってないの、その歌はどうしてこの歌なのか、もっといい歌があるのではとの疑問はずっとあった。この理由

 

    定家の好み優先

     定家に鎌倉幕府に対する反感/対抗心があって、作者を選んでいる。天皇を代表する貴族文化を誇っている。

     天皇の歌が1番(天智)2番(持統)~99番(後鳥羽)100番(順徳)となっている。→天皇讃美

     武士の歌が一つもない。武士の文化度を低く見ている。

     平安時代以前をベストとしている。

     歌の順は時代順。歌で歴史を語り、天皇中心の貴族文化を偲んでいる。

 

秋の田のかりほの庵(いほ)を苫(とま)をあらみわが衣手は露にぬれつつ          天智天皇

秋の田のほとりにある仮小屋の苫の編み方が粗いので私の袖は夜露に濡れるばかりだ。

 

春過ぎて夏来にけらし白妙の衣ほすてふ天香久山    持統天皇                 

  春が過ぎて夏が来たらしい。白い衣を干すという天香久山に真っ白い衣がほしてあることよ。

 

人ををし人を恨めしあぢきなく世を思うゆえに物思ふ身は  後鳥羽院                   

 ある時は人が愛おしく、また或るときは人が恨めしく思われる。私はこの世を苦々しいものとして物思いしている。

 

ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり  順徳院                   

 宮中の荒れた軒端のしのぶを見るにつけ、皇室の衰微が情けなく昔の時代は良かったなと思う。

注 後鳥羽院/順徳院は鎌倉幕府に対抗して敗れ、讃岐/佐渡に流され没。承久の乱。

 

百人一首の特徴

・以上のように様々な定家の思いが込められていて、知らず知らずに日本人が引き込まれるアンソロジ-

・詞書(説明の文)がない。通常歌集には歌の説明が付く。ない理由

    作者が読んだ時の思いではなく、読者の解釈に任せている。

    教養のある人だけが分かればいいとしている。→どうせ武士には分かるまい。

普通は詞書がないと後世の人には歌の意味/背景が分かりにくい。

    作者のベストの歌ではなく、その人/その時代を表す歌を選んでいる。

例 「夜をこめて鳥のそら音をはかるともよに逢坂の関はゆるさじ」    清少納言             

   夜の深いうちに鶏の鳴き声を真似て、騙しても私はあなたに会いませんよ。

   中国、孟嘗君の函谷関の故事で相手の誘いをはねつける歌。清少納言の

    文才と機知を味わう歌。

    定家が勝手に改作している。→歌のエリ-ト意識。

  

私の疑問

天武天皇/額田王/大津皇子/大伯皇女/有間皇子が入ってない。 私の好きな歌人。

 

豆知識  百人一首への江戸時代の川柳  百人一首が庶民に流行したので色々作られた。

 

  「敷島の百人の道に関三つ」          百人一首に関所の歌が三つある。女が男を拒否する歌が三つあるよ。

 

  「百人の飢えぬようによみはじめ」 一番目の歌は田の歌で、後の人が飢えぬように田(稲)を準備したな。