211007①「『萬葉集』の編纂と家持歌日誌」
萬葉集は20巻、この最後の4巻7-20、大友家持歌日誌などと言う。これは家持の歌を中心に日付順に並んでいるので。万葉集全体の話しをまずしておく。
(萬葉集は謎の多い歌集である) 部たてがはっきりしない→基本的には古い順に並んでいる。
古今和歌集に較べてみると判るが、古今集が出来た年代は10世紀初め965年、編者は紀貫之他。歌集の性格も明確である。しかし萬葉集の方は序文もないし、編者も誰か分からない。成立年も奈良時代または平安時代とも。
万葉集の組織が雑然としていることにもかかわって居る。
・万葉集は三部建てと言われる。雑歌・相聞歌・挽歌。
雑歌 色々な歌という事で、儀式、宴会、旅、季節・・・
相聞 プライべ-ナなやり取り、恋歌が多い
晩歌 本来の意味は棺桶を挽く時に歌う歌 人の死を悼む
そう云う分類はあるが、万葉集全体が分類に従っている訳ではない。
巻1 雑歌 巻2 前半は相聞、後半は挽歌
巻3はこの繰り返しとなる。
巻4 相聞
巻5 雑歌
巻17-20 部類をしていない 家持の歌を中心に日付順に並んでいる。
・部立てははっきりしていないが、作られた日付順には並べられている。
(古今集の場合)
これに引き換え古今集は整然としている。 春 上/下 夏 秋上/下 冬 全20巻 1111首
巻1 春歌上、巻2春歌下、巻3夏歌、巻4秋歌上、巻5秋歌下、巻6 冬歌
巻11~16 恋歌
(萬葉集の場合)
(巻1~2)非常に古い時代の歌が並べられている。奈良時代以前の歌も。天皇の歌が順に並んでいる。
(巻3-6)奈良時代の歌が主体
(巻3-16)時代順に並んでいる
(巻17-20)新しい歌も出てくる。最後の歌は天平宝字3年759年正月一日の歌で終わっている。
これから見ても萬葉集は、歌をベ-スにした歴史の本だと認識するとよい
萬葉集には変わった歌が多い。
巻1-1 雄略天皇
21代天皇の自作ではない。万葉集の時代より200年も前の人 伝説上の天皇
埼玉稲荷山古墳の鉄剣の銘「ワカタケル」はこの雄略天皇と言われる。
籠もよ み籠もち ふくしもよ みぶくしもち この丘に 菜摘ます家聞かな 名告らさね そらみつ
大和の国は おしなべて 我こそ居れ しきなべて 我こそいませこそば 告らめ 家をも名をも
巻1-2 舒明天皇
鴎は豊穣のシンボル 海は見えないのに歌う。初期萬葉集にはよくある。
大和には 群山あれど とりよろぬ 天の香具山 登り立ち 国見をすれば 国原は 煙立ち立つ
海原は 鴎立ち立つ 美し国ぞ 蜻蛉島 大和の国は
巻1-27 天武天皇
よきひとの よしとよくみて よしと言ひし 吉野よく見よ よき人よく見つ
よしという言葉を繰り返すことで、言霊を読んでいる歌。壬申の乱の地に、草壁皇子・大津皇子・高市皇子・川島皇子・刑部皇子・志貴皇子を集め、争いなく過ごすように諭した。
巻1-28 持統天皇
春過ぎて 夏来たるらし 白妙の 衣乾したり 天の香具山
天の香具山に衣を乾すわけはないと批判される。この頃の天皇たちはいずれも不思議な歌を歌っている。山が衣を干していると解釈すべきであろう。
(萬葉集の既成のイメ-ジ) 天皇から庶民まで・素朴で雄大
・天皇から庶民まで参加して歌っている。→正しくない。正しくは天皇の歌から始まって、最後の方に庶民の歌もあるという歌集である。和歌と言うのは宮廷の儀式から始まって、次第に社会に広がっていった。巻20になると防人の歌なども出てくる。基本的には宮廷の文形と言うのが和歌で、それを集めたのが萬葉集。
・時代が下ってくると、巻1の天皇たちの不思議な歌は無くなっていく。→次第に分かり易くなっていく。
代表的歌人の家持の歌は、繊細で考えられた歌である。巻17-20は、殆どが家持の歌で、歌日誌とも言い、日付順。
巻3-16までにも家持の歌は多い。そして、歌の日付を付けているのが特徴である。旅人とか憶良もつけている。
(大友家持)
歌を作り始めたのは、天平5年(718年)16歳。
巻8-1566 天平8年9月 4首連作
ひさかたの 雨間も置かず 雲隠り 鳴きぞ行くなる 早稲田雁がね
→雨が降っている間も、雲に隠れるほど高く遠く飛んでいく、早稲田の雁が
巻8-1567
雲隠り 鳴くなる雁の 行きて居む 秋田の穂立て 繁くし思ほゆ
→雲に隠れて鳴いている雁が降りたつ秋の田の稲穂が茂っているようにあの人の事が思われる
巻8-1568
雨隠り 心いぶせみ 出で見れば 春日の山は 色づきにけり
→雨に閉じ込められて気が晴れないので、外に出てみたら、春日の山はすっかり色づいていた。
巻8-1569
雨晴れて 清く照りたる この月夜 またさらにして 雲なたなびき
→雨が上がって清く照らしているこの月夜、又雲がたなびかないで欲しいな
巻8-1662 天平15年8月15日 歯科の鳴く 連作2首
この2首は当時の都・恭仁京での歌である。日付があることで、歌の状況が分る。寂しい山の中で
ある。
山彦の 相響むまで 妻恋ひに 鹿鳴く山辺に 独りのみして
→山彦が響く会うほどに激しく妻を求めて鳴く山辺の牡鹿、この私も一人ぽっちだ。
巻8163 天平15年 8月15日
この頃の 朝明けに聞けば あしひきの 山呼び響め さを鹿鳴くも
→ここ数日、明け方に聞こえてくるのは、山を響かせて激しく鳴く牡鹿の声だ
大友家持は、萬葉集末期最後の歌人であるが、巻1の歌と比べると、非常に繊細で時間意識も明確な歌を残している。
「コメント」
奈良大学の上野 誠の萬葉集万歳のト-ンとは、全く違う。かなり冷めた調子で始まった。
講師は歌人なのだろうか。萬葉集礼賛の歌人はあまりいない気がする。私の認識不足かも。