文学の世界「鴨長明と方丈記~波乱の生涯を追う」 講師 浅見 和彦(成蹊大学名誉教授)
161006①「鴨長明の出発~ゆく河のながれ」
13回にわたって「鴨長明と方丈記」として話す。
鴨長明
「方丈記」→日本三大随筆の一つ(徒然草・枕草子)・説話「発心集」・「無名抄」歌論書。平安末期から鎌倉初期の歌人・
随筆家。下鴨神社の禰宜の次男、希望したが神官になれず出家。下鴨神社摂社河合神社に、住んでいた方丈が展示されている。
「冒頭」
ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
・古今の名文と言われる。作品の冒頭の文章というのは、大変印象深いもので、作品の性格、雰囲気を表している。
まさに作品の顔とも言うべき書き出しの文章である。
「徒然草」冒頭
つれづれなるまゝに、日暮らし硯に向ひて、心に移り行くよしなしごとを、そこはかとなく書きつくれば、怪しうこそ
物狂ほしけれ。
「枕草子」冒頭
春はあれぼの。ようよう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫たちたる雲の細くたなびきたる。夏は夜。・・・・。
秋は夕暮れ。・・・・。冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず・・・・。
・この冒頭の文章には、色々な工夫がなされている。
〇「かつ消えかつむすびて」
かつ・かつと同じ言葉を繰り返して、うたかた(泡)がパチンと消え又ポコンと生まれる風景を、同音を繰り返すことに
よって優美に描いている。
○「ゆく河の流れは絶えずして」
もともと、河は流れるものである。通常河は流れるでいいのだが、そこに「行く」という言葉を乗せている。
「行く」が加わるとによって、河の流れがゆったりとした様子が感じ取れる。普通の言葉では静止画像であるが、
ここでは工夫によって動画となって情景が浮かんでくる。
知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。⇒
私にはわからない、生まれ死にゆく人は、どこからやってきてどこに去っていくかを。またわからない、生きている
間の仮住まいを、誰のために心を悩まして建て、何のために目を嬉しく思わせようとするのか。
・対句の使用で効果を出している。
生まれ・死ぬ 来る・去る 知らず~
・この文では、方丈記の主題である「無常」→つねなし(仏教語)→不変なものなどないのだと言っている。その例として
朝顔の花と、露を挙げている。
「方丈記の評価・用いられ方」
・十訓抄 鴨長明死後40年後に、冒頭部分が既に紹介されている
鎌倉中期の教訓説話集。和漢の教訓的な説話約280話を通俗的に説く。儒教的な思想が根底を流れる。年少者の啓蒙を
目的に編まれ、その後の教訓書の先駆となった。ここに方丈記の紹介がある。
「長明は出家した後大原山に住みけり。其後日野の外山と云ふ所にありて、方丈記とて假名にて書きたる物あり。初め
の詞を見れば、「行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」という文をかけるよと覚えて、いと哀れなれ」
・世阿弥 能「養老」の中で此の冒頭の部分を用いている。また能楽書にも取り入れ次のように書いている。
鴨長明は曰く「ゆく河の流れは・・・・」と言えり。例えば声は水、曲は流れなるべし。
・僧の法話の台本の中に用いられている。
この部分を用いることによって、世の中は無常であることを人々に心地よく、分かり易い形で使ったのである。
「この世は無常です。方丈記に「行く川の流れは絶えずしてもとの水にあらず」とあるように、毎日移り変わっています。
眼には見えませんが、川の水の流れの ように一瞬一瞬変化しています。」一つの例
⇒
・流れる水はくさらないが、たまり水はくさってゆく。いつも新しい流れを、いのちの中に引きこもう。
→人間はいつまでも一つ所で、固まっていてはいけない。
・毎日が自分探しの旅であれば、きっと充実した旅になるでしょう。
「歌人としての鴨長明」
新古今和歌集など勅撰和歌集に25首が入集している。源実朝の和歌の師として招聘されたが成功しなかった。
後鳥羽院の和歌所の寄人も務めた。
見てもいとへ何か涙を恥ぢもせんこれぞ恋てふ心憂きもの
さびしさはなほのこりけり跡たゆる落葉がうへに今朝は初雪
忍ばんと思ひしものを夕暮の風のけしきにつひに負けぬる
石川や瀬見の小川の清ければ月もながれをたづねてぞすむ
「鴨長明と河」
下賀茂神社は、鴨川と高野川が合流する所に有り、又その地には小さな川が多数。鴨長明は、川と共に育ってきたのである。
「コメント」
和歌・文章力・・・結構な能力はあるが、人生は余りうまくいかなかったのではないか。希望した下鴨神社の禰宜就任
不調、和歌の評価が期待通りではない、源実朝和歌指導の失敗・・・。それでも従五位下。
結果として現在、評価され読み続けられているからいいではないか。