250406① 桐壷の巻 (1) 専修大学教授 今井 上
はじめに
専修大学の今井 上です。「源氏物語」を中心に平安時代の文学を研究している。今日から1年を掛けて「源氏物語」について話す。「源氏物語」に触れたことの無い人には分かり易くて親しみ易く、様々な機会にこの物語を読んだことのある人、ラジオなどで聞いたことのあるという方にも、新しい発見が沢山ある講座にしたいと思っている。起伏にとんだスト-リ-、個性豊かな登場人物たち、兎に角「源氏物語」は魅力的な作品である。世間の人々がこの物語を是非読んでみたいと思って、今も様々な外国語訳や現代日本語訳が生まれているのも当然だと思う。そしてこの物語の主人公と言えば、言わずと知れた光源氏。この講座では、光源氏の50年の人生を辿ることによって、「源氏物語」の世界をたっぷりと味わって頂きたいと思っているが、しかし彼の人生は順風満帆なものではない。
今日は彼の生い立ち。彼の生まれた時の事から少年の時の頃までについて話す。光源氏はどのようにして、この世に生まれ落ちたのであろうか。確かに大変に美しく魅力あふれる皇子として周囲の人を魅了し、父親の桐壷帝にも深く愛された。しかしながら実は、彼は第二皇子で、先に生まれた腹違いの兄がいた。先ずはその場面を味わってみよう。
朗読①桐壺更衣に美しい皇子が生まれ、帝のご寵愛が深い。第一の皇子は右大臣家の女御がお生みになった。
前の世にも御契りや深かりけん、世になくきよらなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる児の御容貌なり。一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなきまうけの君と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづきたまふこと限りなし。
解説
父桐壺帝と、母桐壺の更衣との間に光源氏は生まれた。その様子は今の場面にも、世になくきよらなる玉の男御子 とあったように、輝かしい程、宝石のように輝くばかりで、桐壷帝は一刻も早く生まれたばかりの皇子に会いたいと、母である桐壺の更衣の家で生まれた光源氏を宮中に呼び寄せる。見たことの無い様な光源氏の美しさに桐壷帝は驚く。
めづらかなる児の御容貌なり。
めづらか というのは、今まで見たことが無いということ。しかしその後には、光源氏を取り巻く環境が決して生易しいものではないことが知らされる。今の文章の後半に、一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、とあるように、光源氏が生まれた時には、桐壷帝には既に第一皇子が生まれていた。しかもその第一皇子を生んだのは、権力者の右大臣の娘・弘徽殿の女御である。その第一皇子こそが疑いもなく、東宮になると考えられていた。そして次の天皇になると世間の人も貴族たちもそう思っていた。しかし単純にそうなってしまうのであれば人の興味をそそる物語にはならない。
とあったように、その光源氏が余りにも美しいものだから、第二皇子であるが場合によってはどうなるか分からない、第一皇子を差し置いて第二皇子・光源氏が東宮に成るという番狂わせがあるかも知れないと、匂わせるのである。
今 にほひ という言葉が出てきたが、この言葉は今でも普通に使われるが、現代と平安時代では意味が違う。
元々この言葉は、艶々とした色艶の美しさ、目で見て分る視覚的に美しさを表す言葉であった。現代では、専ら嗅覚に関わる言葉であるので、その違いを理解しておこう。そうした にほひ つまり目で見て誰をも納得させる魅力、この点で弘徽殿女御が生んだ第一皇子は光源氏に肩を並べることは出来なかった。光源氏の方が勝っているのは誰の目にも明らかだということである。そしてその事が第一皇子を生んだ弘徽殿の女御をイラつかせるのであった。自然に弘徽殿の女御から桐壺の更衣、光源氏への圧力や冷たい仕打ちが陰に陽になされるということになる。そうすると今度は桐壷帝がそれを見逃すことが出来なくなる。桐壺の更衣或いは光源氏を自分が守ってやらねばならないということになる。それは光源氏が三歳の時の話、次のような場面にも印象的に描かれている。
朗読②
この皇子三つになりたまふ年、御袴着のこと、一の宮の奉りしに劣らず、内蔵寮、納殿の物を尽くしていみじうせさせたまふ。それにつけても世の謗りのみ多かれど、この皇子のおよすけみておはする御容貌心ばへありがたくめづらしきまで見えふを、えそねみあへたまはず。
解説 光源氏三歳の袴着の儀は盛大に行われ世間からは非難もあったが、顔形や気性の良さで妬みも少なかった。
現代でも七五三という風習である。男の子であれば袴を着せてお祝いをする。一定の年令の節目として子供の成長を祝う事が平安時代から行われている。光源氏も三歳の袴を付ける儀式を行った。それは袴着 かまぎ とも ちゃっこ ともよばれた。光源氏の場合は桐壷帝の特別な配慮によって、
一宮の時に劣らず盛大に執り行われた。
内蔵寮、納殿
宮中の宝物や代々の名品を納めた蔵を開け、その中の由緒ある品々で光源氏の袴着の儀を行った。当然それは弘徽殿の女御をはじめとした人々の反感を招くのである。
世の謗りのみ多かれど、と 文にある。と同時に私達読者も、あれっ、場合によっては第一皇子を差し置いて、この第二皇子が東宮・皇太子になってしまうか、そうなったらどうなるのだろうと好奇心を
刺激させる仕組みである。
先が気になって書物を置けなくなる状況で、この様に「源氏物語」のあちこちに読者の好奇心を巧みに刺激して、ペ-ジをその次へと捲らずにはいられない仕組みがあちこちに仕掛けられている。
しかしながらよい事は長くは続かない。その事は母、桐壺の更衣の死である。
朗読③やがて母君は病気になったが、帝は下がることを許さない。衰弱したので更衣の母が嘆願してやっと里に戻った。
その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなんとしたまふを、暇さらにゆるさせたまはず。年ごろ、常のあつしさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまするに、日々に重りたまひて、ただ五六日のほどにいと弱うなれば、母君泣く泣く奏してまかでさせたてまつりたまふ。
解説
「なほしばしこころみよ」
帝は最愛の人が里下がりをすれば二度と宮中に戻ってこないのではないかと思い、里下がりを許さない。けれども刻一刻と病状は悪化する。女御の母君が必死にお願いをして、やっと里下がりを許されるが、それが更衣との永遠の別れとなる。その様子については次回に改めて話す。
光源氏の後見について
ここでは光源氏の身の上についてフォーカスを絞る。年端も行かぬ光源氏は更衣の母と一緒に宮中を離れ、更衣の実家に退出していたが、母を亡くした光源氏の事が気になるのが桐壷帝である。自分の愛した女性の分身のように、光源氏の事がこれまで以上に気にかかる。この子の将来をどうしたらよいのかと案じる訳である。そこで桐壷帝の頭を離れないのは後見ということである。平安時代の政治についての一般的な考え方についてここで勉強する。この時代男であれば貴族社会の中で出世していく。女であれば天皇の后になって時めく。そうしたことが可能になる為には、どうしても後見
・後見役を務めてくれる役割が不可欠であった。そうした後見役が光源氏にはまるでなかった。頼りにすべき身寄り頼りがまるでないのである。弘徽殿の女御の背後には父・右大臣がいたのに対して、
桐壺の更衣には入内した時に既に父親は亡くなっていて、そうした後見役はいなかった。そうすると
桐壺の更衣の宮中での立場がどうしても弱くならざるを得ない。仮に父がいなくても、その代わりを務めてくれる男兄弟がいてくれればまだしも、それもいなかった。
そうした状況の中で桐壺の更衣の死ということが起きたので、光源氏を栄えある皇太子にしたとしてもどうなるというのか。もしそんなことをやったら周囲の反発は強まるばかりで、この年端も行かない子供・光源氏も第二の犠牲者になるばかりではないのか。桐壷帝は次のような判断を下す。
朗読④桐壷帝は東宮に一の皇子を決めた。これには弘徽殿の女御もとても安堵した。
月日経て若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならずきよらにおよすけたまへれば、いとゆゆしう思したり。
明くる年の春、坊定まりたまふにも、いとひき越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また、世のうけひくまじきことなれば、なかなかあやふく思し憚りて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、「さばかり思したれど限りこそありけれ」と世人も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。
解説
坊 という言葉が出てきた。坊 というのは、東宮坊といって東宮の事である。遂に桐壷帝は最愛の子を東宮にすることは断念した。というより断念せざるを得なかったというのが正しい。弘徽殿の女御は自分の生んだ皇子が東宮に成ることを知って、御心落ちゐたまひぬ。心がほっと落ち着かれたとある。
光源氏六歳の時の事である。類まれな美貌の持ち主、しかも将来を期待されるこの利発な子は、遂に東宮にはなれなかった。それだけではない。追い打ちをかけるように次の事態が起きる。
朗読⑤母方で唯一の身より・おばあさんも亡くなり、光源氏は天涯孤独を悲しむ。
かの御祖母北の方、慰む方なく思ししづみて、おはすらむ所にだに尋ね行かむと願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひぬれば、また、これを悲しび思すこと限りなし。皇子六つになりたまふ年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ。年ごろ馴れむつびきこえたまひつるを、見たてまつりおく悲しびをなむ、かへすがへすのたまひける。
解説
御祖母北の方
光源氏の母方のお婆さんの事である。彼女は我が娘・桐壺の更衣の死以来、
慰む方なく思ししづみて、おはすらむ所にだに尋ね行かむと願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひぬれば、
その心は慰めようもなく思い沈んで、日々を過ごしていたが、私も娘・桐壺更衣の所に参りましょうと娘の後を追うように亡くなってしまう。古代において子供の養育に深く関っていたのは、母方の一族である。つまり光源氏は僅か7歳にして、天涯孤独の立場に立たされた。
「源氏物語」を美貌の貴公子、光源氏の順風満帆の王朝絵巻で、様々な美女と浮名を流した恋愛小説と理解している人がいるとしたら、それは余りにも無知で、単純な浅い理解である。光源氏の人生の船出は決して順風満帆なものではなかったと最初に言ったのはこういう事である。彼は年端も行かない段階で、早くも逆境に立たされるのであった。
母を亡くしたのは3歳の時、今回祖母を失くした時の様子は このたびは思し知りて恋ひ泣きたまふ。
彼も自分がどういう立場に立たされたか。今回はその意味が分かったということである。そして東宮の地位を当たり前と言えば当たり前であるが、腹違いの兄に奪われる。更に試練は続く。今話したように光源氏は母方の肉親の全てを失い、東宮に成ることも叶わなかった。それでも彼は桐壷帝の皇族ではある。一般の貴族に比べたらヌクヌクとしているともいえる。しかし作者の紫式部は私達読者をハラハラさせ、物語の主人公はどうなるのだろうと興味をそそるかのように、彼を更に逆境に追い込んでいく。
次の場面は桐壺の巻の内容だけでなく、この物語の展開に長く関わることになるので注意して聞こう。「源氏物語」のインタ-ナショナルな部分、物語に外国からきた不思議な人物が登場する。菅原道真の遣唐使廃止の提案によって、平安時代の日本は海外との交流が公式的には完全に途絶えた。そのように考えている人は多いだろう。実際には様々な文物がもたらされ、交流は続いていた。
朗読⑦来日した高麗人の中に相人(人相見)がいて、光源氏を帝王の相があるが世が乱れるかも知れない・・・・・・
そのころ、高麗人の参れる中に、かしこき相人ありけるを聞こしめして、宮の内に召さむことは宇多の帝御誡あれば、いみじう忍びてこの皇子を鴻臚館に遣はしたり。御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせて率いてたてまつるに、相人おどろきて、あまたたび傾きあやしぶ。「国の親となりて、帝王の上なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷のかためとなりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」と言ふ。
解説
来日した 高麗人 の中に人相を見る 相人 がいて、桐壷帝は光源氏の未来を占わせた。桐壷帝の子だと言うと相手も忖度するかもしれないので、その事を伏せて 右大弁の子 ということにした。右大弁 というのは太政官の三等官で、当時の高級官僚である。
さて光源氏の相を占った所、彼は首を傾げてこういう。「全く不思議だ。この子には帝王の地位に上がるべき相、即ちまごう事無き、帝王相が現れている。しかしこの人が帝王に着いたら、乱れ憂ふることやあらむ。国も乱れ、この子も苦しみを味わうことになるだろう。では臣下となって国を助け支える
立場に甘んじているかと言えば、そこに収まっているような器ではない。つまり帝王なら帝王、臣下なら臣下ではなく、そのどちらともみきわめがつかないわけで、
相人おどろきて、あまたたび傾きあやしぶ。 首を傾げ、走り回っている相人の顔が浮かぶのである。この予言は物語の後の予言にも関わってくるので、記憶しておくべきである。
いずれにせよ、光源氏が帝王になったとしたら国が乱れ、憂ふることやあらむ。 で、この不思議な
予言は次の決断を促す。
朗読⑧
わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ行く先も頼もしげなめることと思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせたまふ。際ことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王となりたまひなば世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、宿曜のかしこき道の人に勘へさせたまふにも同じさまに申せば、源氏になしたてまつるべく思しおきてたり。
解説
源氏の由来
この文章にこの物語のタイトルである 源氏 という言葉が出てきた。これについて説明する。この時代 源氏 と呼ばれる人々がいた。794年に都を平安京に移した桓武天皇。その子の嵯峨天皇という平安時代初期の偉大な天皇であるが、天皇に皇子が沢山いて天皇はその皇子たちを天皇家から出して、臣下に下ろすということをした。それが 源氏 の始まりで、天皇家の人々に元来、姓はない。一方臣下は姓を持っていて、他の氏族と区別されている。そこで嵯峨天皇の皇子たち、天皇家から臣下に降ろされた人々には一律に、源 という姓が与えられる事になった。これが 源氏 の始まりである。日本の歴史全体を見渡した時、それがそれほど古い事ではなく、9世紀の初めの頃である。
桐壺帝の決断
嵯峨天皇の決断において 源氏 と呼ばれる人々が歴史の表舞台に登場するが、桐壷帝は最愛の第二皇子を天皇家から外に出すことにした。彼に一般臣下として、生きる道を選ばせたのである。光源氏にとっては、過酷な条件が更にもう一つ加わったことになる。何故なら、母方の家族を全部失い、しかもその美しさ聡明さから将来の東宮候補とささやかれ、期待されながらそれも叶わず、おまけに天皇家から外に出て臣下として自分の実力で貴族社会を歩まされることになった。読者からすれば、この薄幸の貴公子はこれからどうして自らの運命を切り開いていくのか、逆境を切り開いていくのか、潰されてしまうのか、興味深々となる。勿論桐壷帝はこの皇子が可愛くなくて、この様な試練を与えた訳ではない。むしろ反対で、最愛の桐壷更衣が残したこの皇子が大切で可愛くて仕方がない。そうであるが故に、彼を天皇家から外に出して臣下とすることにしたのである。自らの愛情と庇護の下から解き放つこと、光源氏を護ることにもなる。これはどういう事であろうか。
桐壺帝は光源氏の母・桐壷更衣を、最後まで自分の庇護と愛情の傘で守ろうとしたがついにそれが出来なかったことを思い出して欲しい。守ろうとすればするほど、周りの妬みや反発は増すばかり。それが桐壷更衣の生と死を通じて帝が学んだことだったとすれば、心の中で光源氏を愛していたとしても、周囲との軋轢、トラブルを避けるべく、この最愛の皇子を天皇家から外に出してしまう。天皇家の中に留まって入る限りこの皇子には周囲の疑いの目が注がれ続けるであろう。取り合えず今回は第一皇子が東宮になったけれども、どこかのタイミングで逆転がと恐れる人がいる。例えば第一皇子を東宮の座から引きずりおろしても第二皇子を東宮に、果ては天皇にするのではないかと。そうした疑念が宮廷社会には渦巻き続ける。そうだとすると右大臣、弘徽殿の女御など周囲の圧力は陰に陽に光源氏に向けられざるを得ない。
聡明な桐壺帝は第二の犠牲者を出さない為に、最愛の皇子を 源氏 にした。桐壺帝は自分の治世は何時まで続くか分からないとおもっている。
ただ人にて朝廷の御後見をするなむ行く先も頼もしげなめる
桐壺帝は光源氏を後見もない親王にするより、一般臣下にして朝廷の補佐をする重鎮となるように育てるのが一番だと考えた。
その為に 道々の才を習はせたまふ。
様々な学問をさせたのである。才 というのは様々な学問のこと。光源氏はそれに加えて 際ことにかしこくて、
類まれな聡明さを示した。
桐壺帝は光源氏は磨けば磨く程才能が輝くので、臣下とするのは惜しかったが、しかし
宿曜のかしこき道の人に勘へさせたまふにも 宿曜 星占い
星占いの人達も同じような事を言うので、天皇家から外に出すことにした。源氏 にするのは間違っていないのだと自らを納得させる。
正式に光源氏の誕生 藤壺の登場
いずれにせよ、この物語の主人公は桐壺帝の第二皇子ではない。天皇家にル-ツを持ちながら臣籍降下して生きることになった源氏と呼ばれる人の一人となったのである。しかし彼は源氏たちの中で一際光輝いた、誰の目にも明らかな美貌と類まれな才能を持っていた。それで光源氏と呼ばれることになる。
話が混乱するのを避けて、ここまで物語の主人公を光源氏と呼んできたが、正確に言えばこれ以前は光源氏ではなかったということである。この物語の主人公の人生はここに本格的に幕を開ける。
さてそこにこの物語の大切な登場人物、光源氏の運命に大きく関わる一人の女性が姿を現す。父・桐壺帝の妃として登場する。その人は藤壺。彼女は桐壺帝が今も忘れられずにいる亡き桐壺更衣に瓜二つ。天皇に入内する。光源氏10歳の頃の事である。
朗読⑨桐壺更衣を忘れかねている桐壺帝に、先帝の四宮で瓜二つの藤壺が入内する。
年月にそへて、御息所の御事を思し忘るるをりなし。慰むやと、さるべき人々参らせたまへど、なずらひに思さるるだにいとかたき世かなと、疎ましうのみよろづに思しなりぬるに、先帝の四の宮の、御容貌すぐれたまへる聞こえ高くおはします、母后世になくかしづききこえたまふを、上にさぷらふ典侍は、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しう参り馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、「失せたまひにし御息所の御容貌に似たの経る人を、三代の宮仕に伝はりぬるに、え見たてまつりつけぬを、后の宮の姫宮こそいとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御容貌人になん」と奏しけるに、まことにやと御心とまりて、ねむごろに聞こえさせたまひけり。
解説
年月にそへて、御息所の御事を思し忘るるをりなし。
御息所 天皇や東宮の妃の事である。つまり先帝の妃であった桐壷更衣。
桐壺帝は亡き桐壺更衣の事が忘れられなかった。
慰むやと、さるべき人々参らせたまへど、なずらひに思さるるだにいとかたき世かなと、疎ましうのみよろづに思しなりぬるに、
桐壷帝の心が慰められるかと然るべき女性を入内させた。しかしそんなことをしてもどうにもならない。悲しみはいよいよ増すばかり。が今度の方は違った。桐壺帝の目から見ても新しい妃は、亡き桐壷更衣とそっくり。しかしその二人の女君は決定的に違っていた。一口で言えば身分。家柄がまるで違うのである。次回にも詳しく話すが、桐壷更衣の家柄は決して高いものではなかった。にも拘わらず帝の寵愛が厚いために、彼女は弘徽殿女御をはじめとする女性たちから恨まれることになった。
それに対しこの新しい后は宮中の飛香舎と呼ばれる建物に入ることになった。この女性は天皇家の生まれを持つ最高の位を持っていた。彼女は先代の帝の女四宮。桐壺帝より前に天皇であった人の四番目の娘であった。顔はそっくりでも、桐壷更衣の新しい后とは身分を重んじる貴族社会では、天と地ほど違う全くかけ離れた存在であった。この女性はこの後に藤壺と呼ばれることになる。この藤壺というのは人物の名前ではない。入内してきて生活する建物の名前である。正確には飛香舎というが、その建物の庭先、坪庭に藤の花が植えられていたので藤壺と呼ばれ、その建物に住む人というので藤壺と呼ばれる。右大臣の娘は後宮で、弘徽殿という建物を与えられた。そこに住むので弘徽殿の女御と呼ばれた。
その新しい妃・藤壺に光源氏の心は大きく引き付けられる。周囲の人たちが今度の妃は、光源氏の母親・桐壺更衣にそっくりだとささやく。光源氏は母に死に別れた時、まだその事がよく分からなかったと書いてあることは既に話した。光源氏は母親の事を全く覚えていないとも別の所に書いてある。光源氏は、自分は母どんな人だったのだろうと思って、藤壺に近付くことになる。桐壺帝も幼い時に母を亡くした光る君を哀れんで、帝が藤壺の所に行く時につれていく。母のなき子を義母と仲良くさせようとの計らいである。読者にすると、新たに入内してきた美しい后と、美しく光り輝く貴公子・光源氏の間に、何か問題が起きなければよいが、そんなことが起きたら大変だ、でも何かが起きるのではと思って、結局ここでも本を閉じることが出来ずに更にその先にと、紫式部の術中にはまり、先へ先へと読み進めることになる。ここにもこの物語の巧妙な仕掛けがある。
藤壺と光源氏、この二人は周囲の目から見てもお似合いの二人だった。それを象徴するようなフレ-ズとして印象深い文章が桐壺の巻にはある。
朗読⑩二人の美しさに世の人は、光る君と輝く日の宮と申し上げる。
なほにほはしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人光る君と聞こゆ。藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、かかやく日の宮と聞こゆ。
解説
今日最初の にほひ が、また出てきた。艶々とした色艶、視覚的な目で見た時の美しさが にほひ という言葉である。
つまり光源氏の にほはしさ は、誰の目にも明らかな美貌、また うつくしげなる という言葉も出てきた。
うつくし という言葉は、現代語の美しいとは違って、可愛らしいというニュアンスで、この者語りには度々、子供らしい、可愛らしさ、賢いことを言う際に出てくる。その美しい輝かしい光源氏と、輝くばかりの若き后・藤壺が並び立つ。
光源氏と輝く藤壺。まるで運命の二人として、天から祝福されたが如き呼び方である。さてこの二人はどうなっていくのだろうか。
「コメント」
古典講読というより、むしろ「源氏物語」の解説とでも。