241207㊱ 「夕霧の巻」  39

今回は 夕霧の巻の名場面を読む。今は亡き柏木の妻であった女二宮・別名 落葉宮と、柏木の親友であった夕霧が結ばれる巻である。巻のタイトルは夕霧の詠んだ歌に因んでいる。光源氏は50歳である。夕霧は「湖月抄」の年立てでは30歳、本居宣長の年立てでは29歳。夕霧にはすでに二人の妻がいる。雲居雁と(とうの)典司(ないしのすけ)である。(とうの)典司(ないしのすけ)は光源氏の腹心であった惟光の娘である。夕霧は二人の妻の間に、12人の子に恵まれている。夕霧の巻はかなり長いので、落葉宮の母である一条御息所の悩みに焦点を当てて鑑賞する。落葉宮の母親である一条御息所は物の怪に苦しみ、加持祈祷に専念するために小野山荘に移っている。娘の落葉宮も母の看病の為に小野に滞在している。この小野について「湖月抄」は、有名な(これ)(たか)親王が清和天皇との皇位継承に敗れ、隠棲した比叡山の麓の小野即ち大原の辺りだと考えている。現在の修学院離宮の辺りかとする説もある。

 

夕霧が小野を訪れる場面を読む。

朗読①

日入り方になりゆくに、空のけしきもあはれに()りわたりて、山の蔭は小暗き心地するに、(ひぐらし)鳴きしきりて、垣ほに()うる撫子(なでしこ)のうちなびける色もをかしう見ゆ。前の前栽の花どもは、心にまかせて乱れあひたるに、水の音いと涼しげにて、山おろし心すごく、松の響き木深く聞こえわたされなどして、不断の経読む時かはりて、鐘うち鳴らすに、立つ声もゐ()はるもひとつにあひて、いと尊く聞こゆ。所がらよろづのこと心細う見なさるるも、あはれにもの思ひつづけらる。出でたまはん心地もなし。律師(りし)も、加持する音して、陀羅尼(だらに)いと尊く読むなり。

 解説  ここは「湖月抄」を踏まえた現代語訳をする。

8月の10日ばかりに夕霧は小野の山荘を訪れた。日が暮れようとする頃には空の景色も、あはれ 

を催すかのように一面に霧が立ち込めてくる。ここは山陰(やまかげ)なので薄暗いのだけど、霧に包まれると

一層暗く感じられる。(ひぐらし)が哀切な声で鳴きしきっている。垣根の撫子も風に吹かれてなびく色が美し

い。

  ひぐらしの 鳴きつるなへに 日は暮れぬ と思ふは山の かげにぞありける 古今和歌集 よみびと知らず

  あな恋し 今も見てしか 山賤(やまがつ)の 垣穂に咲ける やまと撫子  古今和歌集 よみびと知らず

などの和歌そのままの情景である。言葉では言い表せないような情景である。部屋の前栽の前庭に

は、花々がそれぞれの美しさを全開にして咲き誇っている。鑓水の音はいかにも涼し気に聞こえる。

山から吹き降ろしてくる風は、心にしみてもの悲しい。松風の響きが聞こえる。一条御息所の回復を

願う加持祈祷の声は、絶えることなく続いている。

2時間で祈祷の僧が交代する。その時間になると、鐘が打ち鳴らされる。その時には祈祷を終えて立ち上がる僧と、新たに祈祷を始めるために座る僧の声が入り交り誠に貴く聞こえる。ここは都を離れた小野の山里なので、あらゆることが夕霧には心細く感じられ、深い物思いに沈んでいる。とてもここを離れて、都に戻ろうという気持ちにはなれない。

祈祷を仰せ使っている律師は、力の限り祈っている。陀羅尼(だらに)経を読む律師の声がはっきりと聞こえてくる。

 

蜩、撫子が印象的である。次の場面を読む。

朗読②

いと苦しげにしたまふなりとて人々もそなたに集ひて、おほかたもかかるに旅所(たびところ)にあまた参らざりけるに、いとど人少なにて、宮はながめたまへり。しめやかにて、思ふことも内()でつべきをりかなと思ひゐたまへるに、霧のただこの軒のもとまで立ちわたれば、「まかでん方も見えずなりゆくは。いかがすべき」とて、

  山里の あはれをそふる 夕霧に たち出でん空も なき心地して

と聞こえたまへば

  山がつの まがきをこめて 立つ霧の 心そらなる 人はとどめず

ほのかに聞こゆる御けはひに慰めつつ、まことに帰るさ忘れはてぬ。

 解説

夕霧の心にそって読み進めよう。

いと苦しげにしたまふなりとて人々もそなたに集ひて、

人々 は、女房たちである。一条御息所には物の怪が取り付いたようで、又苦しみ始めた。という事で女房達は御息所の寝所に集まっていた。

おほかたもかかるに旅所(たびところ)にあまた参らざりけるに、いとど人少なにて、宮はながめたまへり。

元々山荘には一時的な滞在なので、付き添っている女房達の数も多くない。だから落葉宮の近くには女房が殆どいなかった。宮は一人でぼんやりと物思いに沈んでいる。

しめやかにて、思ふことも内()でつべきをりかなと思ひゐたまへるに、

夕霧は、今はまことに静かで落ち着いた雰囲気である。落葉宮に私の思いを打ち明けるのに、絶好の機会だと思いながら座っている。

霧のただこの軒のもとまで立ちわたれば、「まかでん方も見えずなりゆくは。いかがすべき」とて、

山里のこととて軒のすぐ近くまで霧が立ち込めている。夕霧は、大変な霧です。この霧ではこれから私は都へ帰る道も隠されて見えなくなりそうです。どうしたものでしょうか。ここに留まった方がよいでしょうかなどと言いながら、恋心を訴える歌を詠んだ。

  山里の あはれをそふる 夕霧に たち出でん空も なき心地して

この山里を離れたくないのです。それなのに帰る道が見えなくなる程に霧が立ち込めて、私の心を悲しみで閉ざします。私は都に帰りたくても帰れないのです。「湖月抄」は生真面目で恋に不馴れな夕霧が読んだ恋の歌にしては秀逸な詠み振りだと誉めている。落葉宮も返事の歌を詠んだ。

  山がつの まがきをこめて 立つ霧の 心そらなる 人はとどめず

この里では山荘の庭にまで霧が立ち込めて、都への帰り道を見えなくしている。けれども霧は(よこしま)な恋心を持つ人の帰りを留めることはしないはずです。どうぞお帰り下さい。

ほのかに聞こゆる御けはひに慰めつつ、まことに帰るさ忘れはてぬ。

(かす)かに聞こえる落葉宮の声に、夕霧の心は慰められる。というのは、落葉宮の歌は聞きようによっては、早く都に帰りたいと思っているような浅い恋心の持ち主など、引き留めはしません。私を深く恋しているのならば、ここに留まって結構ですと言う風に解釈できるからである。夕霧は都に戻ろうとする気持ちがすっかり無くなってしまった。この様にして夕霧は小野に留まる。そして落葉宮の部屋で夜を明かす。けれども落葉宮は心を閉ざしたままなので、夕霧は仕方なく朝を迎えた。

 

所が一条御息所は自分の加持祈祷をしてくれた律師から、落葉宮の部屋から夕霧が朝出て行くのを見たと教えられた。

衝撃を受けた一条御息所は二人の関係を確認しようと夕霧に手紙を書いた。体調が悪いので、まるで鳥の足跡のように乱れた筆跡であった。その手紙が都の夕霧に届いた場面を読む。

朗読③

大将殿は、この昼つ方、三条殿におはしける、今宵たち返りまでたまはむに、しもあり顔に、まだきに聞きくるしかるべしなど念じたまひて、いとなかなか年ごろの心もとなさよりも千重(ちへ)にもの思ひ重ねて嘆きたまふ。北の方は、かかる御歩きのけしきほの聞きて、心やましと聞きゐたまへるに、知らぬやうにて君達もてあそび紛らはしつつ、わが御座(おまし)に臥したまへ昼のり。

宵過ぐるほどにぞこの御返り持て参けるを、書く例にもあらぬ鳥の跡のようなれば、とみにも見解きたまはで、御殿油近う取り寄せて見たまふ。女君、もの隔てたるやうなれど、いととく見つけたまうて、這ひ寄りて、御背後(うしろ)より取りたまうつ。

 解説

国宝「源氏物語絵巻」にも描かれている名場面である。絵巻では手紙を奪い取ろうとして、雲居雁の右手が伸びている。又その二人の様子を窺っている女房達の様子も書き加えられている。

大将殿は、この昼つ方、三条殿におはしける、

大将殿は夕霧のことである。三条殿は雲居雁が祖母から相続した屋敷である。夕霧と落葉宮のことを一条御息所が心配し手紙を書いた時、とうの夕霧は三条院にいた。つまり北の方の雲居雁と一緒にいた。

今宵たち返りまでたまはむに、しもあり顔に、まだきに聞きくるしかるべしなど念じたまひて、

夕霧は昨日に続いて今日も小野に出掛け、落葉宮と会いたかった。そして今日も小野へ行くことを

我慢していた。

いとなかなか年ごろの心もとなさよりも、千重(ちへ)にもの思ひ重ねて嘆きたまふ。

ここには和歌が含まれている。夕霧はこれまでも落葉宮と早く結ばれたくてじれったかったのだが、今日はそれ以上に物思いが加わって苦しい思いを嘆いていた。

心には 千重(ちへ)に思へど 人に言はぬ 我が恋妻を  見むよしもがな 万葉集11巻 2371 作者不詳

という歌の通りである。

北の方は、かかる御歩きのけしきほの聞きて、心やましと聞きゐたまへるに、知らぬやうにて君達もてあそび紛らはしつつ、わが昼の(おまし)に臥したまへり。

心やまし は、不愉快な事である。雲居雁は夫の夕霧が、ここの所頻繁に小野に出掛けて行くこと、そしてその目的が落葉宮であることを承知して気に入らないと不愉快に感じていた。けれども夕霧の前では何も気付いていない振りをして、子供たちと遊ぶことで気を紛らわせて、自分の部屋で横になっていた。

宵過ぐるほどにぞこの御返り持て参けるを、書く例にもあらぬ鳥の跡のようなれば、とみにも見解きたまはで、御殿油近う取り寄せて見たまふ。

日が暮れて間もない頃に、小野に遣わしていた使者が返事を持って帰って来た。夕霧は早速目を通したが、落葉宮からではなく、母親の一条御息所からの手紙だったので驚いた。しかもその筆跡がいつもの書体ではなく、鳥の踏み跡のような解読に困るものだったので、直ぐには読み終えない。明るい所で読もうと、灯を持ってこさせ、手紙を読もうとする。

女君、もの隔てたるやうなれど、いととく見つけたまうて、這ひ寄りて、御背後(うしろ)より取りたまうつ。

そこに自分の部屋で横になっていた筈の雲居雁が夕霧の部屋とは隔たりがあったはずだが、夫が何をしているのかと夕霧に近付いて、後ろから手紙を奪い取った。鎌倉時代の物語評論書に「無名(むみょう)草子(ぞうし)」というのがある。
そこでは雲居雁の行為を 心やましきこと として批判している。

 

翌日夕霧は妻の雲居雁に奪われてた手紙を探したが見つからない。雲居雁のご機嫌を直してもらおうと低姿勢に出ても、手紙の在処を教えてくれない。その次の日のことを読む。

朗読④

蜩の声におどろきて、山の蔭いかに()りふたがりぬらむ、あさましや、今日この御返りことをだに、といとほしうて、ただ知らず顔に、硯おしすりて、いかになしてしにかとりなさむとながめおはする。

(まし)の奥のすこし上がりたる所を、試みに引き上げたまへれば、これにさし挟みたまへるなりけりと、うれしうもをこがましうもおぼゆるに、うち笑みて見たまふに、かう心苦しきことなむありける

解説

 蜩の声におどろきて、山の蔭いかに()りふたがりぬらむ、あさましや、今日この御返りことをだに、といとほしうて、

はっと気が附くと、夕霧の耳に蜩の声が聞こえてきた。もう日暮れである。そう言えば小野の山里でも、蜩が鳴き仕切っていた。小野の山陰(やまかげ)にある山荘では、今頃落葉宮や一条御息所はどういう気持ちで蜩の鳴き声を聞いているだろうか。どんなに霧が立ち込めていることだろうか。二人はどれ程心が塞いでいることだろうか。それにしても我ながら情けない。私が直接小野に出掛けられないまでも、手紙だけでも書きたいのだがと、小野に住んでいる二人の心の内をいたわしく思いやる。

ただ知らず顔に、硯おしすりて、いかになしてしにかとりなさむとながめおはする。

夕霧は心の中では激しく苦しんでいるけれども、見た目には何もない様な素振りで硯を摺りながら、御息所の手紙をどのように読んだかを返事に書こうと悩んでいる。というのは手紙を最後まで読んでいないので、御息所の手紙に何が書いてあったのか見当がつかないからである。自分が手紙に書くべき言葉が何も浮かんでこないので、徒に墨を摺って時間を過ごしていた。

(まし)の奥のすこし上がりたる所を、試みに引き上げたまへれば、これにさし挟みたまへるなりけりと、うれしうもをこがましうもおぼゆるに、

その内、自分が座っている座布団の奥の方が少し盛り上がっているのに気づき、例に座布団を引き上げて覘いてみた。そこには御息所からの手紙があった。何とここに隠してあったのだ。

うち笑みて見たまふに、かう心苦しきことなむありける。

思わず苦笑しながらに手紙を読んだ。笑みはすぐ消えた。御息所の手紙は何とも痛ましい内容であったからである。

 

次の場面を読む。

朗読⑤

胸つぶれて、一夜のことを、心ありて聞きたまうけると思すにいとほしう心苦し。昨夜(よべ)だに、いかに思ひ明かしたまうけむ、今日も今まで文をだに、と言はむかたなくおぼゆ。いと苦しげに言ふかひなく書き紛らはしたまへるさまにて、おぼろげに思ひあまりてやは、かく書きたまうつらむ、つれなくて今宵の明け と言ふべく方のなければ、女君いとつらう心憂き。すずろにかくあだへ隠して、いでや、わがならはしぞや、とさまざまに身もつらくてすべて泣きぬべき心地したまふ。

 解説  現代語訳して理解を深める。

夕霧の心臓は真っ二つに割けてしまうのではないかと思えるほどに震えた。御息所は  

  女郎花 しをるる野辺の いづことて 一夜ばかりの 宿を借るらむ 

という歌を寄せてあった。

と言われるからには、私が小野の山荘で落葉宮の部屋で一夜を明かしたことを、誰かから聞いたのだろう。そしてそのことを尋ねているのだと思うと、御息所の心がいたわしく申し訳なく思われる。御息所は、昨日私に手紙を送った後どんな気持ちで過ごしておいでだったろう。今日も私からの返事がないのでどういう気持ちで過ごしておいでだろうと思うと、申し訳なさで慙愧(ざんき)の念に駆られるのであった。御息所は体が苦しくて堪らないのに、どうしても私に落葉宮との関係を確かめたくて、この様な乱れた文字で必死に手紙を送って来たのだろう。夕霧は御息所は余程思い余って、手紙を書いたのであろう。それなのに私は小野を訪れる事もなく、返事を送る事もなく、一日を無駄に過ごしてしまったと思うと御息所へは弁解の仕様もない。それにつけても自分が読んでいた手紙を奪い取った雲居雁の振舞いが恨めしく思う

落葉宮に恋をした夕霧本人だけでなく、その母親の一条御息所までを苦しめた。北の方である雲居雁も苦しめた。全ては夕霧の不徳の致す所である。夕霧からの返事が遅れたので、一条御息所は

悲嘆と絶望の余り亡くなった。落葉宮は深く悲しむ。夕霧と落葉宮との関係はその後も暫く続いたが深くはならなかった。

 

光源氏はこの様な夕霧に対して複雑な感じを抱いている。

これまでは夕霧が真面目な性格だったので、父親として嬉しく見ていたが今回の事には困惑した。

けれども夕霧には余程の考えがあるのだろうと思い、黙っていることにした。紫の上にはどうであろうか。続を読む。

朗読

紫の上にも来し方行く先のこと思し出でつつ、かうやうの(ためし)を聞くにつけても、亡からむ後、うしろめたう思ひきこゆるさまをのたまへば、御顔うち赤めて、心憂く、さまで(おく)らかしたまふべきにや、と思したり。女ばかり、身をもてなすさまもところせう、あはれなるべきものはなし、もののあはれ、をりをかしきことを見知らぬさまに入り沈みなどすれば、何につけてか、世に()るはえばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは、おほかたものの心を知らず、言ふかひなき者にならひたらむも、()ほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあらずや、心にのみ()めて、無言太子とか、小法師バラの悲しきことにする昔のたとひのやうに、あしき事よき事を思ひ知りながら埋もれなむも言ふかひなし、わが心ながらも、よきほどにはいかでたもつへきぞ、と思しめぐらすも、今はただ女一宮の御ためなり。

 解説 紫の上の孤独を理解しよう。

紫の上にも来し方行く先のこと思し出でつつ、かうやうの(ためし)を聞くにつけても、亡からむ後、うしろめたう思ひきこゆるさまをのたまへば、

のたまへば、 の主語は光源氏である。光源氏が紫の上に、夕霧のことを語り掛けるのである。紫の上のこれまでの人生を思い出し、これからの人生を予想するにつけても心配な事がある。夫の柏木が死去した後、柏木の北の方であった落葉宮が夕霧の恋の相手となった。だからもしも自分が死んだ後に、例えば義理の息子である夕霧や他人が、紫の上に懸想する恐れがあると心配になる。このことを紫の上に話す。

御顔うち赤めて、心憂く、さまで(おく)らかしたまふべきにや、と思したり。

それを聞いた紫の上は顔を赤らめて、何と情けないことをおっしゃるのだろうか。ご自分が亡くなった後、私がどれほど長くこの世に留まって入るとお考えか。そもそも死ぬのは私の方が先であるのに。
女ばかり、身をもてなすさまもところせう、あはれなるべきものはなし、

ここからが紫の上が心の中で思ったことである。紫の上は心の中で考える。わが身の生き方を考えている内に、いつしか世間一般の女の生き方にまで考えが及ぶ。女程どう身を処すかが、窮屈で悲しいものはない。

もののあはれ、をりをかしきことを見知らぬさまに入り沈みなどすれば、何につけてか、世に()るはえばえしさも、常なき世のつれづれをも慰むべきぞは、

四季折々の自然にしても恋などの人間関係にしても、しみじみと心から感動することは人間なら誰にでもある。そういう感動に正直に生きれば軽薄な女であるという悪い評判が世間に広まってしまう。かといって自然にも恋にも全く興味がない素振りをして、世間とは没交渉で生きていくというのではこの世に人として生まれた喜びを感じられない。又命の終わりが来るかもわからない無常の世の中では、何もすることが無くなる。退屈してしまう事だろ。

おほかたものの心を知らず、言ふかひなき者にならひたらむも、()ほしたてけむ親も、いと口惜しかるべきものにはあらずや、

そういう引っ込み思案の大人になったとしたら、自分を生んでくれた親もそんな人間になって欲しくてこの子を産んだ訳ではないと失望することだろう。

心にのみ()めて、無言太子とか、小法師バラの悲しきことにする昔のたとひのやうに、あしき事よき事を思ひ知りながら埋もれなむも言ふかひなし

ここも紫の上が心の中で考えた事である。

何事も心の奥におさめて、あの無言太子や小法師たちが辛い修行の例とする、言葉を話すと罪を作ってしまい地獄に落ちると恐れ、三年間言葉を口にしなかったとされる。

この無言太子のように世の中の悪いことも良いことも正しく認識していながら、言葉には出さず心ひとつに閉じ込めてしまうのもつまらないことである。

わが心ながらも、よきほどにはいかでたもつへきぞ、と思しめぐらすも、今はただ女一宮の御ためなり。

自分の心はどのようにすれば、出しゃばり過ぎず引っ込み過ぎず、中庸の生き方を身につけ、女の一生を無難に生きることが出来るのであろうか とこの様に紫の上は思い巡らしている。

無論、紫の上は自分の人生は立派に生きてきた。後の心配は、明石の女御が生んだ女一宮を、

自分の養女として手元で大切に育てているので、その女一宮のこれからの人生が恙ないようにとひたすら祈っている。

 

紫の上がこれまで女の一生について思索を深めたことを受け、次の御法(みのり)の巻には、紫の上の考えが語られることになる。なお、この場面には もののあはれ という言葉が出てきた。本居宣長は「玉の小櫛」で、この場面について次の様に言っている。

この箇所には、紫式部が「源氏物語」を書いた本意、つまり意志・主題が込められている。紫式部はこの世の良き事、悪しき事をしっかり弁えていた。即ち、もののあはれ を知っていた。その もののあはれ を心にとめたままで終わらせることが出来ずに、明瞭な言葉として書き表した。それが「源氏物語」という作品なのである。紫式部は無言太子の様な生き方からも一歩足を踏み出し、言語活動を行う物語作家となったというのである。本居宣長の弟子である鈴木(あきら)も、紫の上の心を述べたこの部分は、作家である紫式部の心であると認めるべきだと主張している。

 

心に中で思っていることを書くスタイルは二通りあると思う。一つは清少納言の「枕草子」のスタイルである。彼女は自分を前面に押し出して、自分の価値観を明瞭に言語化した。もう一つは、紫式部の「源氏物語」のスタイルである。

この大長編には作者である紫式部の個人的な見解が、ストレ-トに書かれている箇所は殆どない。ある時には草子地の箇所で、ナレータ-の言葉の背後に隠れている。
ある時は作中人物の言葉や思索の背後に隠れ、それとなく自分の考えを流し入れている。結果として「源氏物語」は
非常に個性的な傑作となっている。

さてこの後、夕霧と落葉宮は結ばれた。それまでの落葉宮の嘆きは深かったが、その後は落ち着いた関係を続けていく。

 

「コメント」

 

徐々に作者の人生観、考え方が登場人物を通して滲んでくる。