241130㉟ 横笛の巻 37帖 鈴虫の巻 38帖
横笛の巻のタイトルは
横笛の 調べはことに かはらぬを 空しくなりし 音こそつきせぬ
という夕霧の歌から付けられた。「湖月抄」でも本居宣長の説でも、光源氏は49歳。
まず光源氏が自分の子供ではない薫を見る場面を読む。東山の寺に隠棲している朱雀院から、娘の女三宮に筍が送られてきた。二歳の薫は筍に歯を当てて、可愛らしく齧る。その姿を光源氏は複雑な思いで眺めている。
朗読① 光源氏は薫を抱いて眺める。
かき抱きたまひて、「このきみのいとけしきあるかな。小さきほどの児をあまた見ねばにやあらむ、かばかりのほどはただいはけなきものとのみ見しを、今よりいとけはひことなるこそわづらはしけれ。女宮ものしたまふめるあたりにかかる
人生ひ出でて、心苦しきこと誰がためにもありなむかし。あはれ、そのおのおのの老いゆく末までは、見はてんとすらむやは。花の盛りはありなめど」と、うちまもり聞こえたまふ。「うたて。ゆゆしき御事にも」とて人々は聞こゆ。
御歯の生ひ出づるに食ひ当てむとて、筍をつと握り持ちて、雫もよよと食ひ濡らしたまへば、「いとねぢけたる色ごのみかな」とて、
うきふしも 忘れずながら くれ竹のこは 棄てがたきもの にぞありける
と、率て放ちてのたまひかくれど、うち笑ひて、何とも思ひたらずいとそそかしう這ひ下り騒ぎたまふ。
解説
筍 はタケノコのことである。
かき抱きたまひて、
光源氏は薫を抱いて顔を見守りながら話しかける。
「このきみのいとけしきあるかな。
この君の目の周りの様子は、どう言ったらよいのかな。只ならぬ所がある。
小さきほどの児をあまた見ねばにやあらむ、かばかりのほどはただいはけなきものとのみ見しを、
私は生まれたばかりの子を沢山見たことが無いので、正しい判断かどうかは分からないが、幼い子供は普通は可愛いという印象しか受けないものだ。
今よりいとけはひことなるこそわづらはしけれ。
それなのに若君はもう今から、只ならぬ雰囲気を漂わせている。それがひどく気になる。
女宮ものしたまふめるあたりにかかる人生ひ出でて、心苦しきこと誰がためにもありなむかし。
この六条院の春の町には、明石の女御が生んだ今上天皇の皇子だけでなく、皇女も養育されている。そういう場所に只ならぬ気配の若君が生まれてきた。これからこの若君と姫君との間に、万一のことがあったら誰にとっても困った事態になりかねない。
あはれ、そのおのおのの老いゆく末までは、見はてんとすらむやは。
ああ、三人の男宮たち、女一宮、そして宮の若君、薫たちが成長して、夫々がどういう大人になっていくのか。私が見届けられないのは残念である。私はいま49歳なので、彼らが大人になる頃にはこの世にはいない。
花の盛りはありなめど」と、うちまもり聞こえたまふ。
春ごとに 花の盛りは ありなめど 逢ひ見むことは いのちなりけり 古今和歌集 よみびと知らず
このよみびと知らずの心境だよ。花の盛りは毎年訪れるけれども、命が無い事には見られないのだよ。ああ頼みがたいのは人間の命である。なお松坂市の 本居宣長記念館に所蔵されている「湖月抄」には、 雲隠れ行く後の者たちの身とを思えば、ここの源氏物語の言葉 いとあはれなり。世の中の有様、誰も免れぬことなり と本居宣長の感想が書き入れられている。
「うたて。ゆゆしき御事にも」とて人々は聞こゆ。
人々は女房たちである。この言葉を聞いた女房達は、光る君の命が長くないなどとはどんでもないと申し上げる。
御歯の生ひ出づるに食ひ当てむとて、筍をつと握り持ちて、雫もよよと食ひ濡らしたまへば、
若君は早くも歯が生え始めている。その歯で筍を食べようとして、手にしっかり持ちよだれを垂らしている。
「いとねぢけたる色ごのみかな」とて、
光る君は何とまあ風変りな色好みだなあと口にされた。色好みにしては、食べ物に夢中になっているなという冗談である。
うきふしも 忘れずながら くれ竹のこは 棄てがたきもの にぞありける
こは この部分は これは という意味と、子供は という意味の掛詞である。竹には節がある。人生にも憂き節、苦しい出来事がある。柏木と女三宮の出来事は、私にとって憂き節であった。だが、この無邪気に筍を頬張っている子供には何の罪もない。可愛らしくついつい構いたくなる。
と、率て放ちてのたまひかくれど、うち笑ひて、何とも思ひたらずいとそそかしう這ひ下り騒ぎたまふ。
若君がきつく握りしめている筍をその手から取り去って、若君を自分の方に引き寄せる。光る君が若君を手から離すと、無邪気な様子で動き回っては這い這いしている。
登場人物の世代交代が進んでいる。
さて場面は変わる。夕霧は柏木の妻であった落ち葉君を足繁く見舞っている。宮の母である一条御息所は、柏木が生前に秘蔵していた横笛を、親友の夕霧に形見分けした。すると自宅に戻って寝ていた夕霧の夢に柏木が現れた。
朗読② 夕霧の夢に柏木が出てくる。「笛を贈りたかったのはあなたではなく、私の子供にです」と言う。
少し寝入りたまへる夢に、かの衛門督、ただありしさまの袿姿にて、かたはらにゐて、この笛を取りて見る。夢の中にも、亡き人のわづらはしうこの声をたづねて来たると思ふに、
「笛竹に 吹きよる風の ことならば 末の世ながき 音に伝へなむ
思ふ方異にはべりき」と言ふを、問はんと思ふほどに、若君の寝おびれて泣きたまふ御声にさめたまひぬ。
この君いたく泣きたまひて、つだみなどしたまへば、乳母も起き騒ぎ、上も御殿油取り寄せさせたまひて、耳はさみしてそそくりつくろひて、抱きゐたまへり。いとよく肥えて、つぶつぶとをかしげなる胸をあけて乳などくくめたまふ。
解説
「湖月抄」は柏木の幽霊が詠んだ歌だと説明している。
少し寝入りたまへる夢に、かの衛門督、ただありしさまの袿姿にて、かたはらにゐて、この笛を取りて見る。
袿姿 は、上着を着ないくだけた服装である。夕霧は少し眠っていると夢を見た。その夢の中に亡き柏木が現れた。夕霧が柏木を見た時と同じ 袿姿 であった。その柏木が夕霧のすぐ横に座っている。そして御息所から譲られたばかりの横笛を手に取って、しげしげと眺めている。
夢の中にも、亡き人のわづらはしうこの声をたづねて来たると思ふに、
夕霧はこれは夢だろうと思いながらも、亡き人が生きている人間の夢に現れるのは、厄介な事だと思う。柏木は成仏出来ていない。薫は帰宅してからこの笛を吹いたので、柏木はこの笛の音を聞き分けてここまでやってきたのかと思ったりした。すると夕霧の夢の中に現れた柏木の幽霊は、歌を詠んだのである。
笛竹に 吹きよる風の ことならば 末の世ながき 音に伝へなむ
「湖月抄」は第三句を ごとならば つまり ごとくならば、そのようであるならば と解釈している。
竹に風が当たると音がする。その響きは遠くへ伝わっていく。そのようにこの横笛は、薫に伝えたいと私は願っている。
つまり、同じことであるならば という意味だという。この横笛を誰かに伝える必要はあるが、同じことなら自分の子孫に伝えたいという解釈になる。
思ふ方異にはべりき」と言ふを、問はんと思ふほどに、若君の寝おびれて泣きたまふ御声にさめたまひぬ。
柏木の霊は歌が終わった後で、この笛を受け取って欲しいのはあなたではない。別の人だという。夕霧はそれでは誰に伝えればよいのですかと、尋ねようと思っている内に突然どこからか大きな声が聞こえてきて、夕霧は眠りから覚めた。
夕霧の若君が突然目を覚まし、泣く声であった。若君は幽霊の気配に怯えて泣いたのであろう。
この君いたく泣きたまひて、つだみなどしたまへば、乳母も起き騒ぎ、上も御殿油取り寄せさせたまひて、耳はさみしてそそくりつくろひて、抱きゐたまへり。
つだみ は、赤ちゃんが飲んだ乳を吐き出すことである。若君はひどく泣いて飲ませた乳を吐き出したのである。乳母も起き出してきて、大騒ぎになった。雲居雁も灯を自分の近くまで持ってこさせ、髪の毛を耳に挟んだ庶民的な姿で、若君を懸命にあやしながら抱きしめている。
いとよく肥えて、つぶつぶとをかしげなる胸をあけて乳などくくめたまふ。
雲居雁は肥っている。ふっくらとした胸を広げて、若君に乳を含ませて安心させようとする。「湖月抄」は、雲居雁は自分の乳は出ないのに、子供を安心させようと乳を含ませたのだと説明している。
この場面は父親から息子へと形見の宝物が伝授されるというスト-リ-である。親が遠くに旅立つ際に、後に残る子供に形見の品を授ける。後にその品物が証拠となって、親子の対面が果たされる。親が死亡している場合には、親の愛情の籠った宝物の力で子供が幸福になるというバタ-ンである。横笛は柏木が薫に残した形見の宝物である。後に薫は今上天皇の女二宮と結婚する。その際に薫は形見の横笛を見事に演奏している。
さて夕霧は六条院に参上して光源氏に、柏木の夢の話をする。光源氏はその横笛を自分で預かろうという。無論、薫に伝える為である。その場面を読む。
朗読③
いとよきついで作り出でて、すこし近く参りたまひて、かの夢物語聞こえたまへば、とみにものものたまはで聞こしめして、思しあはすることもあり。
「その笛はここに見るべきゆゑある物なり。かれは陽成院の御笛なり。それわ、故式部卿のいみじきものにしたまひけるを、かの右門督は、童よりいとことなる音を吹き出でしに感じて、かの宮の萩の宴せられたる日、贈物にとらせたまへるなり。女の心は深くもたどり知らず、しかものしたるななり」などのたまひて、末の世の伝へは、またいづ方にとかは思ひまがへん、さように思ふなりけんかし、など思して、この君もいちいたり深き人なれば、思ひよることあらむかしと思す。
解説
この横笛がどういう来歴なのか、詳しく説明されている。ここは「湖月抄」を含み込んだ現代語訳する。
夕霧は一寸した機会を捉えて、光る君の近くまで進み出た。そして一条御息所から柏木の横笛を贈られたことや、自分の夢に現れた柏木が詠んだ歌を申しあげた。光る君は暫く熟考した。柏木は横笛を自分の子の薫に伝えたがっていると察した。やがて口を開いて、夕霧に話す。柏木は霊となってお前の夢に現れるほどに執着していた笛なので、私が預かっておくことにする。横笛の来歴を説明しておく。その横笛は陽成天皇が所有されている物であった。それを亡き式部卿の宮・桐壺院の弟・朝顔の斎院の父親が譲り受けて秘蔵していた。亡き柏木が少年時代から横笛の才能に恵まれ、卓越した音を鳴り響かせていた。ある時亡き式部卿が自分の屋敷で萩の花を愛でる宴の時、柏木は超絶した笛の音を響かせた。式部卿の宮はその事に感動して、自分が陽成天皇から頂戴した名器の横笛を柏木に譲った。そういう深い経緯があったのだが、一条御息所は芸道に疎い女性なので、それ程に由緒ある宝物だという事は分からず、簡単に考えてお前に譲られたのであろう。光る君は心の中で、柏木は歌の中で 末の世ながき 音に伝へなむ と訴えたそうだが、だれに伝えたいと思っているのか、言い間違えることはないだろう。柏木は自分の子の薫に伝えて欲しいと願っていたのだと考えた。そしてこの夕霧も良く気の付く性格でもあるし、この夕霧も柏木とは長く親友であったから、柏木・女三宮・薫の関係について想像していることはあるだろうと思う。
古典文学には笛を吹く貴公子が沢山登場する。牛若丸や敦盛がすぐに思い浮かぶ。それでは鈴虫の巻に進む。鈴虫という言葉は、物語にも散文にも使われている。「湖月抄」でも本居宣長説でも、光源氏は50歳という節目の年を迎えている。けれども彼の50歳を祝う儀式については何も言及されていない。朱雀院は所有している三条宮を女三宮に譲る。
そして六条院からそこに移り住むように勧める。因みに宇治十帖では、この三条宮で女三宮と薫が暮らして居る。六条院の女三宮の住いの庭に虫が放たれた。光源氏と女三宮は虫について語り合う。なお平安時代の鈴虫は、現在の松虫の
ことである。逆に松虫は現在の鈴虫とするのが定説である。
朗読④
十五夜の月のまだ影かくしたる夕暮れに、仏の御前に宮おはして、端近うながめたまひつつ念誦したまふ。若き尼君たちニ三人花奉るとて、鳴らす閼伽坏の音、水のけはひなど聞こゆる、さま変りたる営みにそそきあへる、いとあはれなるに、例の渡りたまひて、「虫の音いとしげう乱るる夕かな」とて、我も忍びてうち誦じたまふ阿弥陀の大呪いと尊くほのぼの聞こゆ。げに声々聞こえたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし。「秋の虫いづれとなき中に、松虫なんすぐれたるとて、中宮の遥けき野辺を分けていとわざと尋ねとりつつ放たせたまへる、しるく鳴き伝ふるこそ少なかなれ。名には違ひて、命の程はかなき虫にぞあるべき。心にまかせて、人聞かぬ奥山、遥けき野の松原に声惜しまぬも、いと心隔てある虫なんありける。鈴虫は心やすく、いまめいたるこそらうたけれ。などのたまへば、宮、
おほかたの 秋をばうしと 知りにしを ふり棄てがたき 鈴虫の声
と忍びやかにのたまふ、いとなまめいて、あてにおほどかなり。「いかにとかや、いで思ひのほかなる御言にこそ」とて、
解説
情緒たっぷりの名場面である。
十五夜の月のまだ影かくしたる夕暮れに、仏の御前に宮おはして、端近うながめたまひつつ念誦したまふ。
今夜は八月十五夜。中秋の名月が出るのは早いけれど、まだ顔を出していない夕暮れである。女三宮は仏の前に座って念仏を唱えているが、ぼんやりと庭を眺め考え事をしている。これが「湖月抄の解釈である。本居宣長は反対している。
十五夜の月のまだ影かくしたる夕暮れに、と あるのは、まだ空に出ていないというのではない。空に月は出ているのだが、空がまだ暮れ果てていないので、月の光がまだ明るく感じられないという情景であるというのである。どちらにしても分りにくい。そこで本文を 十五夜の月の夕暮れに、 としている写本もある。
若き尼君たちニ三人花奉るとて、鳴らす閼伽坏の音、水のけはひなど聞こゆる、さま変りたる営みにそそきあへる、いとあはれなるに、
閼伽坏 は、お供えの水を入れる入れ物のことである。宮と一緒に尼になった若い女房達が、ニ三人で仏に花を差し上げている。閼伽坏 が重なってなる音や、水を灌ぐ微かな音まで聞こえてくる。これまでの華やかな暮らしから一変し、尼になってから始めたお務めにせわしなく励んでいる姿が、いかにも趣きを漂わせている。
例の渡りたまひて、「虫の音いとしげう乱るる夕かな」とて、我も忍びてうち誦じたまふ阿弥陀の大呪いと尊くほのぼの聞こゆ。
そこに光る君がいつものように来た。光る君は部屋に入るなり、今日の夕暮れは虫が盛大に鳴き乱れているという。
そして宮と一緒になって、自分でも 阿弥陀の大呪 を口ずさむ。その声が貴く、仄かに聞こえてくる。聞いているのは語り手であろう。
ここから虫の話題となる。
げに声々聞こえたる中に、鈴虫のふり出でたるほど、はなやかにをかし。
先程、光る君は虫が盛大に鳴き乱れていると言ったが、本当に多くの虫たちの声が入り混じって聞こえてくる。その中でも、鈴虫が鈴を振るような美しい声で鳴き始めたのは、華やかで風情がある。
「秋の虫いづれとなき中に、松虫なんすぐれたるとて、中宮の遥けき野辺を分けていとわざと尋ねとりつつ放たせたまへる、しるく鳴き伝ふるこそ少なかなれ。
光る君は虫の音を聞きながら、女三宮に語り掛ける。秋の町に住む秋好中宮はもうだいぶ前の事だが、秋には多くの虫が鳴く声を聞かせてくれ、どの虫にもそれぞれの素晴らしさがあるのだけれども、やはり松虫の声が一番優れていると仰った。遠くの野原でわざわざ人を分け入らせて松虫を捕らえ、庭の前栽に放したことがあった。野原から庭に移すまで籠に閉じ込められていたので、籠から解き放たれた解放感で盛大に鳴くかと思いきや、これまでの野原で鳴いていたのと同じ様に鳴き続ける虫は少なかったようである。
名には違ひて、命の程はかなき虫にぞあるべき。
松虫という名から、松の古木のように千年も長生きするように思われるが、実際には儚い命のようである。
心にまかせて、人聞かぬ奥山、遥けき野の松原に声惜しまぬも、いと心隔てある虫なんありける。
秋好中宮の庭の松虫もそうであったが、聞いている人など誰もいない里山や野原では声を限りと鳴いている。
どこかのだれか、あなたと同じですね。
鈴虫は心やすく、いまめいたるこそらうたけれ。などのたまへば、宮、
この様な松虫に対して鈴虫の方は、人見知りもせず明るい声で鳴いてくれるのはいじらしく思われる。それを聞いた女三宮は歌で返事をする。
おほかたの 秋をばうしと 知りにしを ふり棄てがたき 鈴虫の声
私は世の中で生きることが辛いと、身に染みて感じたのでこのような尼姿になりました。でもあなたが言われたように明るい鈴虫の鳴き声を聞くと、この世の全てを振り捨ててしまうのは難しいと感じます。
と忍びやかにのたまふ、いとなまめいて、あてにおほどかなり。
女三宮は忍びやかな声で歌を口ずさむ。優美で気品があっておっとりとした性格のままの声である。
「いかにとかや、いで思ひのほかなる御言にこそ」とて、
光る君は、今生きることは辛いと言われたが、これは私と六条院で暮らすことが辛いという事ですか。私はあなたが出家された事も予想外でした。思ってもみなかった歌です と聞きとがめられる。
心もて 草のやどりを いとへども なほ鈴虫の 声ぞふりせぬ
光源氏の歌である。あなたは私と一緒に暮らす六条院を嫌になって、三条宮に移りたいのですか。この世を捨て、今六条院をふり捨てようとしているあなたは、鈴虫のように今も若々しいままですよ。
女三宮も光源氏もこの世を厭いつつも、なかなかふり捨てることが出来ないのである。光源氏はまだ女三宮に未練を持ち続けている。
さて冷泉院でも十五夜をめでる宴が催され、光源氏も出席した。その後光源氏は秋好中宮に挨拶をする。その時に2人が交わした会話を読む。
朗読⑤
「亡き人の御ありさまの罪軽からぬさまにほの聞くことのはべりしを、さるしるしあらはならでも、推しはかりつべきことにははべりけれど、後れしほどのあはればかりを忘れぬことにて、物のあなた思うたまへやらざりけるがものはかなさを。
いかで、よう言ひ聞かせん人の勧めをも聞きはべりて、みづからだにかの炎をも冷ましはべりにしがなと、やうやう積もるむ、思ひ知らるることもありける」など、ぞのたまふ。
げにさも思しぬべき事とあはれに見たてまつりたまうて、「その炎なむ、だれものがるまじきことと知りながら、朝露のかかれるほどは思ひ棄てはべらぬになむ。目連が、ほつけにちかきひじりのみにてたちまちに救ひけむ例にも、え継がせたまはざらむものから、玉の簪棄てさせたまはんも、この世には恨み残るやうなるわざなり。やうやうさる御心ざしをしめたまひて、かの御煙はるくべきことをせさせたまへ。」
解説
秋好中宮は22年前に亡くなった母親・六条御息所が未だに成仏できず、物の怪となって紫の上を苦しめ、女三宮を出家させたという噂を耳にするにつけ、自分の親不孝を恥じている。それを光源氏は言葉を尽くして慰める。この場面は「湖月抄」の解釈を盛り込んだ現代語訳する。
秋好中宮は苦しい胸の内を光源氏に打ち明ける。私の亡き母・六条御息所のことであるが、物の怪、死霊となって紫の上を苦しめ、女三宮を出家させたなど世間では噂になっている。亡き母が死後も苦しんでいることは、物の怪として現れ、その罪深さがはっきりする前から、娘である私が気付くべきであった。不束な私は母と死別した自分の悲しみにばかり気持ちが向いてしまい、亡き母の死後の悲しみまで思い至らなかった。今は生と死の道理を私にも理解できるような言葉で、説き聞かせて下さる御方、仏の道の指導者の教えに耳を傾けたいと思う。亡き母の魂が苦しんでいる、怒りと憎しみの炎を何としても消してあげたい。年月が積もるにつけても、私は出家したいという願いを強く意識するようになった。秋好中宮は賢女ぶった物言いではなく、立場に相応しいおっとりとした言葉遣いながらも、六条御息所の物の怪のことや、自分の出家への志をしっかりと述べた。光る君は成程もっともなお気持ちだと、中宮の出家への願いをしみじみと理解した。
やがて口にしたのは、思いきって出家を思い留まって欲しいという言葉だった。
その 炎 だが、六条御息所だけでもあなただけでもない、私も含めて誰一人としてこの 炎 の苦しみから逃れられるものなどいない。その事は誰でも頭では理解しているが、朝下りた露がまだ消えない内、しが無い命が辛うじて残っている内は、様々な俗事にとり紛れて出家できないのである。目連尊者が釈迦のお側近くに仕えて、お釈迦様と同じ位の神通力を得た方である。この目連尊者は地獄に落ちていた母上を救った。しかしそれは目連尊者であったから出来た事で、他の者たち、あなたと私には例え自分たちが出家して心を込めて祈ったとしても不可能な事なのである。中宮という高い地位を捨てて、出家したとしても母は救えず、あなたの出家を惜しむ人々を苦しめてしまう結果となる。出家せずともそういう心を少しずつ固め、母君の死後の苦しみが少しでも和らぐように供養して差し上げなさい。
「源氏物語」の人々は苦しみながら、魂の救済を求めている。この世に生きる喜びを、光源氏が満喫している青年期が懐かしい。「源氏物語」の第二期は大人の苦い人生を描いている。
「コメント」
「源氏物語」もここまで来ると、人生の苦さがテーマとなってくる。それにしても六条御息所の息の長い事。