240914㉔「初音の巻」23帖
今回六条院を舞台として光源氏と女君たちの雅やかな日々が描かれている。芸術音楽文学には、雅やかな宴というモチーフがある。初音の巻から始まる六条院の春夏秋冬はそれに匹敵している。初音という言葉は明石の君が、娘の姫君に贈った歌の中にも、光源氏の言葉の中にもみられる。紫式部が明石の君をどのように描いているのかに、注目しながら読んでいこう。光源氏36歳の正月である。本居宣長説も同じである。但し「湖月抄」の理解では、六条院が落成して2年目の新春である。前の年に玉蔓が迎えられ、女君たちが揃った年の四季折々の雅を描いていることになる。本居宣長説では、六条院が造営されて初めて巡ってきた記念すべき年である。現在は本居宣長説を採用している。室町時代に「源氏物語」研究の中心だった三條西家では、正月二日の読書初めにはこの初音の巻を読んだとされる。
私も毎年お正月の読みはじめには、この場面を朗読する。
それでは初音の巻の冒頭部分を読む。
朗読①元日はとても天気が良い。六条院はとても素晴らしい。紫の上の春の御殿はこの世の極楽である。
年たちかへる朝の空のけしき、なごりなく曇らぬうららけきには、数ならぬ垣根の内だに、雪間の草若やかに色づきやかはじめ、いつしかとけしきだつ霞に木の芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。ましていとど玉を敷ける御前は、庭よりはじめ見どころ多く、磨きましたまへる御方々のありさま、まねびたてむも言の葉足るまじくなむ。
春の殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾の内の匂ひに吹き紛ひて、生ける仏の御国とおぼゆ。
解説
生ける仏の御国
この言葉が印象的である。
年たちかへる朝の空のけしき、なごりなく曇らぬうららけきには
今日は正月朔日でしかも立春である。昨日までは雪を降らせそうな雲が掛かっていたのに今日は打って変り、一片の雲も見当たらずうららかな青空である。これを春色というのであろう。
数ならぬ垣根の内だに、雪間の草若やかに色づきやはじめ、いつしかとけしきだつ霞に木の芽もうちけぶり、おのづから人の心数ならぬ垣根の内だに、雪間の草若やかに色づきやかはじめ、いつしかとけしきだつ霞に木の芽もうちけぶり、おのづから人の心ものびらかにぞ見ゆるかし。
数ならぬ垣根 は、庶民の家のことである。新春の喜びはあらゆる人々の上に、あたたかな春の光を注いでいる。庶民の家では雪を分けて、若草が顔を見せ始めみるみる青くなる。
野辺みれば 若菜つみけり むべしこそ 垣根の草も 春めきにけり 紀貫之 拾遺集
という歌が思い出される。いつも間にか春霞が棚引き、木々の新芽も萌え始めている。草や新芽が萌えると人の心も伸びやかになるようである。
ましていとど玉を敷ける御前は、庭よりはじめ見どころ多く、磨きましたまへる御方々のありさま、まねびたてむも言の葉足るまじくなむ。
これは六条院の正月風景である。ましてここは太政大臣である光源氏の屋敷である。玉を敷き詰めた様に見える豪奢な住まいは、手入れの行き届いた庭を始めとして、うっとりと見とれてしまう。正月用の緑の簾などの飾りも新しく仕立てられている。春夏秋冬の町の女君たちの住まいは、この様に素晴らしい言葉で言い表すことは出来ない。
春の殿の御前、とりわきて、梅の香も御簾の内の匂ひに吹き紛ひて、生ける仏の御国とおぼゆ。
春の殿 は、春の御殿 つまり光源氏が紫の上と暮らして居る春の町の事である。六条院の中でも 春の殿 は取り分け素晴らしい。梅の花の馥郁とした香りが庭から建物の中に入ってきて、紫の上が部屋の中で焚きしめている香りと一つに溶け合い、ここを訪れた人の心をうっとりとさせる。極楽世界では、栴檀の香りが漂っていると法華経に書いてある。語り手の私もこの香りに包まれている。春の町は人間が生きている内に体験できる極楽浄土であると思われてならない。
新春の喜びが、庶民を含む世間一般、六条院の全体、六条院の春の町というように三つに区分して書かれていると、「湖月抄」は指摘している。視点を大から小へと絞っていく手法である。
さて今日は正月朔日である。
光源氏は紫の上と新年の和歌を詠み交わした後、六条院の女君たちに正月の挨拶をする為に順に回っていく。
まず春の町の中に住む明石の姫君の部屋である。この日は元日で立春であるだけでなく、子の日に当たっていた。初子、この日には小松の根っこを引いて遊ぶ。姫君は3歳の年に紫の上に引き取られ、現在は9歳。なお本居宣長の年立てでは8歳。
明石の姫君の状況を読む。
朗読②明石の姫君と母との交流の情景
姫君の御方に渡りたまへれば、童、下仕など御前の山の小松ひき遊ぶ。若き人々の心地ども、おき所なく見ゆ。北の殿よりわざとがましく集めたる髭籠ども、破子など奉れたまへり。えならぬ五葉の枝にうつる鶯も思ふ心あらんかし。
「年月を まつにひかれて 経る人に けふ鶯の 初音きかせよ
音せぬ里の」と聞こえたまへるを、げにあはれと思し知る。事忌もえしたまはぬ気色なり。「この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつらせたまふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりけるも、罪得がましく心苦しと思す。
ひきわかれ 年は経れども 鶯の 巣だちし松の 根をわすれめや
幼き御心にまかせてくだくだしくぞあんめり。
解説
冬の町の母親から春の町の娘に歌が届いた。
姫君の御方に渡りたまへれば、童、下仕など御前の山の小松ひき遊ぶ。若き人々の心地ども、おき所なく見ゆ。
光る君は姫君の部屋に顔を出す。目に入ってきたのは、少女や下仕えの女たちが庭に降り立ち、小松の根っこを引き抜いて遊んでいる姿だった。若い女房達も興が乗って、自分達も庭に降り立ち一緒に小松を引いて遊びたいと思っているのがはっきりわかる。
正月の初めての子の日には、野に出て松を引き若菜を摘む風習がある。寛和元年985年、円融院が紫野に行幸された時、子の日の遊びを行ったとされ。この場面はその事を踏まえて書かれている。
北の殿よりわざとがましく集めたる髭籠ども、破子など奉れたまへり。えならぬ五葉の枝にうつる鶯も思ふ心あらんかし。
明石の君より娘への贈り物である。「湖月抄」を参考に訳す。その次に光る君の目に入ってきたのは、髭籠 竹籠 や 破子 白木の箱 などの食べ物を入れる器である。これらは姫君の実の母親である明石の君が、北の町から今日の為にわざわざ作らせて送ってきたのだろう。円融院の子の日の御幸でも、院の御膳には 檜破子 が据えられたと記録に書いてある。その他姫君への贈り物には、姿の美しき五葉の松もあった。これは精巧な作り物である。その松の上に鶯の模造品が結わえ付けられていた。庭の梅の木にとまっていた鶯が、この五葉の松に飛び移ったという趣向なのであろう。この鶯には送り主である明石の君の娘に対する深い愛情が込められている。姫君は実の母親の所から、
養母の紫の上の所へと移った。五葉の松の上の鶯は、姫君の姿なのである。松は枝には明石の君の歌が結び付けられている。
まつ には、会える日を待つが掛詞となっており、経る人 は一人で長く生き続けて年を取った人という母親の嘆きが込められている。恋しい娘よ、あなたと会えなくなってから早くも6年が経った、あなたと一日も早く会える日を待つ私の心を、この五葉の松の木に託します。私は松の木の様に年老いた。鶯の様に若い娘よ。今日は初子の日だから、渡主に届くように初音、鶯の初鳴きの様な声を聞かせて下さい。貴女からの歌の返事を心から待っています。
音せぬ里の」と聞こえたまへるを、げにあはれと思し知る。事忌もえしたまはぬ気色なり。
事忌 は縁起の良い日に涙を避けることである。明石の君は歌の後に、
今日だにも 初音聞かせよ 鴬の 音せぬ里は あるかひもなし 出典不詳
という古い歌があるが、あなたはご存じですか。あなたの声が聞けないと、私は生きる甲斐がないと書いてあった。これを御覧なった光る君は本当に明石の君には可哀想なことをしたと心から同情した。縁起の良いお正月に不吉な涙は見せてはならないが、思わず泣きそうになった。
「この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつらせたまふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりけるも、罪得がましく心苦しと思す。
光源氏は早くも冬の町に住む明石の君の魅力に引き付けられている。光る君は姫君に向かって、この歌の返事はあなた自身で考え、自分で書きなさい。実の母親なので初音を惜しむことなどないのですよ。立派な歌を詠めるようになり、立派な文字を書けるようになったと母親を安心させて上げなさいと言いながら、硯や筆などを姫君の傍まで持ってきて、返事を書かせる。
姫君はまことに可愛らしく、朝から晩まで見続けていても見飽きない姿である。光る君はこんなに可愛らしい娘を、実の母親から引き離した。明石の君はどんなにか心を痛めた事だろう。これからも離れ離れの日々が続く。私は罪作りなことをしていると申し訳なく思う。そして姫君が母親に返した歌である。
ひきわかれ 年は経れども 鶯の 巣だちし松の 根をわすれめや
母君とは別れて暮らして居るが、何年経っても私はあなたの娘である事に変わりはない。今は優しい養母に大切に育てられているが、私をこの世に産んでくれた実の母親を忘れてしまうことはありません。
幼き御心にまかせてくだくだしくぞあんめり。
語り手のコメントである。語り手の目から客観的な評価をすると、この歌はどうも理屈が勝過ぎている様に感じる。歌には心というか余情が大切である。但しまだ9歳なので致し方はない。語り手は姫君の歌を厳しく批判しているが、9歳の少女が詠んだにしては上手である。
本居宣長の年立てでは8歳である。因みに名古屋の徳川美術館には、初音の調度が所蔵されている。初音蒔絵色紙筥は、明石の君の歌がモチーフで、歌の詞が書かれている。この後光源氏は夏の町に顔を出し、花散る里と玉蔓に新年のあいさつをした。
そして明石の君の住む冬の町へと向かう。明石の君は姿を隠していた。その場に不在である明石の君の演出によって、光源氏は彼女の魅力に引き摺られて行く。明石の君の人生を巧みにコーディネ-トする行動を見よう。
朗読③光る君は明石の君の部屋・冬の町に行くが、不在である。
暮れ方になるほどに、明石の御方に渡りたまふ。近き渡殿の戸押し開くるより、御簾の内の追風なまめかしく吹き匂はかして、物よりことに気高く思さる。正身は見えず。いづら、と見わたしたまふに、硯のあたりにぎははしく、草子どもとり散らしたるを取りつつ見たまふ。唐の綺のことごとしき縁さしたる褥にをかしげなる琴うちおき、わざとめきよしある火桶に、侍従をくゆらかして物ことにしめたるに、裛被香の香の紛へるいと艶なり。
解説
唐の綺のことごとしき は 舶来の絹織物
侍従 と 裛被香 は、薫物 お香の種類である。
この部分は「湖月抄」の注釈を踏まえた現代語訳をする。
光源氏はあたりが暗くなる前に、夏の町を後にして渡り廊下を歩いて冬の町へと向かう。明石の君の部屋へ近い戸を開けた途端、部屋の中に焚きしめてあった香りが風に乗って外まで溢れ出し、光源氏の体を包み込む。その香りが何とも優雅である。光る君はその香りに明石の君という女性の、他の女君と比べようのない気品、別の言葉にすれば気位の高さと自己主張の強さを感じる。意外なことに部屋の中に明石の君、本人はいなかった。どこにいるのだろうと訝しく思い、また部屋の中をあちらこちら見渡した。すると硯の辺りに様々な物が置かれている。つい先程までここで書き物をしていたのだが、光る君が急にお出でになったのであわてて身を隠したようだった。紙を綴じた草子が幾つも散らばっている。
光る君はそれらを手にとって御覧になる。先程の香りは何だったのだろうと思い更に辺りを見渡すと、唐の綺 唐の錦の座布団が目に入った。これは安南、現在のベトナムのトンキンで織られた、とても奇麗な絹を縁に縫ってある。その敷物の上にとても趣のある七弦琴が置かれている。この琴を見ると、光源氏は明石の君と出合った播磨国の日々が思い出される。更に特別にしつらえたと一目でわかる火桶が目に入った。その火桶の中に侍従という薫物が燻らせてある。侍従は麝香など各種の香料を調合したものである。その侍従の香りが辺り一面に焚きしめてある。その香りの中にもう一つ、
裛被香の香 が混じっている。裛被香 は、麝香の官能的な香りが特徴である。この香りによって光る君の心は不在の明石の君へと引き込まれてゆく。
物よりことに気高く思さる。の箇所で、「湖月抄」は明石の君には 角々しき所 があると述べている。才気に満ちてテキパキと対処するという意味である。明石の君は自然体ではなく人工的な生き方をする女性なのである。
明石の君の演出力には恐るべきものがある。更にその続きを読む。
朗読④
手習どもの乱れうちとけたるも、筋変り、ゆゑある書きざまなり。ことごとしう草がちなどにもざえかかず、めやすく書きすましたり。小松の御返りをめづらしと見けるままに、あはれなる古言ども書きまぜて、
「めづらしや 花のねぐらに 木づたひて 谷のふる巣を とへる鶯
声待ち出でたる」などもあり。「咲ける岡辺に家しあれば」など、ひき返し慰めたる筋などを書きまぜつつあるを、取りて見たまひつつほほ笑みたまへる、恥づかしげなり。
解説
行間に込められた明石の君と光源氏の心の中に入り込む。
手習どもの乱れうちとけたるも、筋変り、ゆゑある書きざまなり。ことごとしう草がちなどにもざえかかず、めやすく書きすましたり。
明石の君の筆跡である。明石の君が個人的な手すさびを書き込んでいた紙を、光る君は手に取って見る。こういう手習いには、その人の個性や性格が如実に現れるものである。文字の筆法をはじめとして、教養やたしなみの深さが感じられる書き方である。他の女君たちはえてして風雅を気取って、勿体ぶった筆法だったり、漢字の知識をひけらかすかの様に、草書体の文字を沢山使ったりして、自分をよく見せようと気取るのである。明石の君は全く学問をひけらかすことなく、しっとりと書いており、それでいて好ましく知性を感じさせるのである。
小松の御返りをめづらしと見けるままに、あはれなる古言ども書きまぜて、
手習いの紙には明石の姫君が詠んだ
ひきわかれ 年は経れども 鶯の 巣だちし松の 根をわすれめや
という歌を贈られた思いが様々に書き記してあった。
めづらしや 花のねぐらに 木づたひて 谷のふる巣を とへる鶯
明石の君の歌である。9歳になった娘の歌をはじめて目にした。何と嬉しい事か。紫の上という華やかなお方の下で、将来の后に相応しい教育を受けている娘は、産みの親のふる巣を飛び立って久しいが、それでも忘れずにこの様に歌を返してくれた。この歌は平兼盛の
人知れず 待ちしも著く 鶯の 声珍しき 風にもあるかな
という歌を踏まえている。姫君の歌の第五句 とへる鶯 訪ねて来てくれた鶯 ではなく、これまで歌をやり取りする道を閉ざしていた鶯とする写本もある。「湖月抄」は とへる鶯 の方が良いと結論している。
声待ち出でたる」などもあり。「咲ける岡辺に家しあれば」など、ひき返し慰めたる筋などを書きまぜつつあるを、取りて見たまひつつほほ笑みたまへる、恥づかしげなり。
明石の君の歌の後に、声待ち出でたる とも書いてあった。何かの古い歌の一節なのだろうが、直ぐには思い浮かばなかった。但し「咲ける岡辺に家しあれば」 とあるのは、古今和歌集の
梅の花 咲ける岡辺に 家しをれば 乏しくもあらず 鶯の声 よみびと知らず
という歌の一節なのだろう。乏しくもあらず は、少なくはない、ひっきりなしに鶯が鳴いているという意味である。
これからはもっと頻繁に姫君との歌の贈答が出来るだろうという明石の君の希望が書かれている。
対面できないまでも同じ六条院の中に住んでいるのだから、和歌のやり取りで心を慰めたいという
母心が光る君にも伝わってくる。この様に明石の君の心の動きが伝わってくる手習いを、微笑みを浮かべながら見ている光る君の姿は、語り手の私から見ても立派である。明石の君の演出は見事に
成功した。
続きを読む。
朗読⑤ 光源氏は元日の夜を明石の君の部屋で過ごす。また波乱の幕開け。
筆さし濡らして、書きすさみたいとまふほどに、ゐ出でて、流石にみづからのもてなしはかしこまりおきて、めやすき用意なるを、なほ人よりはことわりと思す。白きに、けざやかなる髪のかかりのすこしさはらかなるほどに薄らぎにけるも、いとどなまめかしさ添ひてなつかしければ、新しき年の御騒がれもやとつつましければ、こなたにとまりたまひぬ。なほ、おぼえことなりかしと、方々に心おきて思す。
解説 この場面を現代語訳する。
光る君は明石の君がついさっきまですさび書きしていた手紙の紙に筆を取り、硯の墨に浸して自分の歌に何かを書き添えようとする。それまで光る君の動きを物陰から見届けていた明石の君はおもむろに部屋の中に戻ってきた。彼女は手習いの歌などで、自分が如何に悲劇の母親であるかを光る君に訴えるなど気位が高いのだが、光る君の前では遜る姿勢を貫いている。礼儀を弁えた大人しい、とても良い印象を与えるのである。その振舞いを見て光る君はやはりこの女は、他の人より優れていると改めてその素晴らしさに感心する。玉蔓の巻末で光る君は女たちに、それぞれの人柄に合わせて正月用の衣装を贈っていたが、明石の君には白い小袿を贈った。彼女には白が似合う。きょうの明石の君は白い上着を着ている。その白と衣に掛っている髪の毛の黒さの対比が鮮やかである。明石の君は若い頃と比べると、髪の毛は豊かさが少しばかり薄くなっているが、それが却って優美な雰囲気を増している。光る君はそういう彼女に魅力を感じ、強く引き付けられる。今日は元日で一年の始まりであるから、正妻格の紫の上と夜を過ごすのが本来の姿であるが、今夜ここで泊まれば紫の上は反発するだろうと予想されるのであったが、到頭明石の君の部屋に泊った。この事実は六条院の人々にすぐ伝わり、やはり光る君から特別の寵愛を受けているのだと、女君たちは明石の君を気に入らない存在だと見る。
明石の君の悲しみに心から感情移入した光源氏は、大切な元日の夜を明石の君の部屋で過ごした。紫の上の心は穏やかではない。この先どういう決着がついたのだろうか。続きを読む。
朗読⑥嫉妬している紫の上と光源氏との関係
南の殿には、ましてめざましがる人々あり。
また曙のほどに渡りたまひぬ。かくしもあるまじき夜深さぞかしと思ふに、なごりもただならずあはれに思ふ。待ちとりたまへる。はた、なまけやけしと思すべかめる心の中はばかられたまひて、「あやしきうたた寝をして、若々しかりけるいぎたなさを、さしもおどろかしたまはで、」と御気色とりたまふもをかしく見ゆ。ことなる御答へもなければ、わづらはしくて、空寝をしつつ、日高く大殿籠り起きたり。今日は臨時客のことに紛らはしてぞ、おもがくしたまふ。
解説
明石の君は少しでも光源氏と時間を過ごしたいと思っている。紫の上は明石の君に心を引かれる光源氏に不満である。光源氏は紫の上に機嫌を直してもらおうと下手な冗談を口にする。三者三様の心が見事に書き込まれている。ここは現代語訳で読む。
紫の上が住んでいる南の御殿では、明石の君への反発は大きく、女房達は良からず思いその事を口にした。光る君もさすがに気が咎めるので、まだ暗い内に冬の町から春の町へと帰った。見送る明石の君は心の中で、お戻りになるには早すぎる時間だ、もう少しここにいて欲しいと思っている。だから光る君が去った後も名残を強く感じ、一入切ない気持ちになる。それにしても、元日の夜を一緒に過ごせただけでも充分なのに、まだそれ以上望むとはかなり欲張りなことである。
南の町に戻ってきた光る君は、待ちぼうけを食った紫の上が明石の君を気にくわない女だと思っていることが容易に推測できる。光る君は冗談で胡麻化してしまおうとする。いや昨日は思ってもいない転寝をしてしまった。子供みたいに宵前に眠りこけてしまった。どうして私に使いを出して、早く起こして、そしてお戻りなさいと催促してくれなかったのだ などと紫の上のご機嫌を取ろうとする。その必死の姿は面白い見ものであった。けれども紫の上は明石の君に対する嫉妬から気分を害していたので、ご返事もしない。光る君は面倒なことになったと後悔しながら、寝た振りをして時間を過ごす。日が高くなって起き出した。二日の日は臨時客(摂関大臣家で親王、公卿を饗応する儀)で大勢の公卿たちが新年の挨拶に来る。臨時客は正式に招待状を出す大饗と違って、来客が突然にやってくるのをもてなすことである。臨時客は摂政関白家での言い方である。光る君は太政大臣なので摂政関白ではないけれども、それに準じて臨時客という。この日は大勢の客人が来るのでその相手をするという口実で、紫の上とは2人きりで顔を向かい合わせもなくて済んだ。
兎に角光源氏は紫の上に対して、恥ずかしいという気持ちで一杯であった。
紫の上は明石の君のことを、なまけやけし と思っているとあった。「湖月抄」は、なまけやけし には不愉快であるという意味の外に、世に優れて目覚ましいという解釈も出来ると言っている。
明石の君が光源氏を惑わせるほどに優れているので、紫の上が敵愾心を掻き立てているという解釈だと思われる。確かに自分の人生を自分で作り上げていく明石の君の能力は、紫の上には無いものであった。
この年には 男踏歌があった。1月14日宮中で催馬楽を披露したメンバ-は、都の各所を巡り歩き宮中に戻ってくる。
この場面を読む。
朗読⑦
今年は 男踏歌あり。内裏より朱雀院に参りて、次にこの院に参る。
男踏歌 の一行は宮中から朱雀院に参上し、その次に六条院に参上した。「湖月抄」は 男踏歌 について詳しい式次第を説明した後に、円融天皇の天元6年改元されて永観元年983年を最後として、この儀式が行われていないと述べている。
つまり983年に最後の 男踏歌 があり、それが「源氏物語」に書かれているという指摘である。 「源氏物語」が書かれつつあったのは、寛弘5年1008年である。最後の 男踏歌 はそれから25年も前なので、紫式部はこの行事を自分の目で見た経験はなかったはずである。つまり紫式部は創造力を働かせて「源氏物語」を書いたのである。想像力の源泉となったのが歴史記録である。漢文で書かれた記録を手掛かりに進め、「源氏物語」の場面が構想されたのである。歴史は真実、物語は虚構である。虚構と真実が重なっているのが「源氏物語」の魅力なのである。
「コメント」
播磨の田舎女と思っていた明石の君が結構食わせ物であったのだ。ここを読まねば全く分からない。また廃れていた行事を記述することで、当時の人々にもそうなんだと昔を思い出させている。解説が無いと全く理解できない内容。