240831㉒「『薄雲の巻』と『朝顔の巻』」

先ず薄雲の巻である。「湖月抄」の年立てでは光源氏30歳の冬から31歳の秋まで。本居宣長説では一歳上の31歳から32歳。光源氏もいつの間にか30歳を越えている。

この巻には4つの出来事が語られている。

第一に

明石の姫君が紫の上に引き取られ、袴着を済ませた事。

第二に

藤壺が37歳で死去した事。藤壺はこの薄雲の巻で亡くなったので、薄雲の女院という源氏名で呼ばれる。光源氏は

藤壺の死を悼んで歌を詠んだ。

  入日さす 峰にたなびく 薄雲は もの思ふ袖に 色やまがえる

ここから薄雲という巻のタイトルがつけられた。

第三に

冷泉帝が()(いの)僧都(そうず)から自分の実の父親が、光源氏だと告げられたこと。

第四に

光源氏が養女である斎宮の女御と春秋優劣論を語り合ったこと。女御が秋を好きと言ったのが、彼女の秋好き中宮という呼び名の由来である。

 

それでは今回最初に詠むのは天変地異が打ち続く場面である。明石姫君が紫の上に引き取られ、袴着を済ませた翌年、悪い予感が世の中を覆っていた。世の中の固めである太政大臣・かつての左大臣・葵上と頭の中将の父親も逝去した。この時の状況の場面を読む。

朗読① 世の中が騒がしくなっていく状況が描かれている。

その年、おほかたの世の中騒がしくて、(おほやけ)ざまに物のさとししげく、のどかならで、(あま)の空似も、例に(たが)える月日星の光見え、雲のたたずまひありとのみ世の人おどろくこと多くて、道々の(かむがへ)(ぶみ)ども奉れるにも、あやしく世になべてならぬことどもまじりたり。内大臣(うちのおとど)のみなむ、御心の中にわづらはしく思し知らるることありける。

 解説

(かむがへ)(ぶみ) は問い合わせに関して答えた回答の事である。内大臣(うちのおとど) は内大臣、光源氏の事である。この場面は「湖月抄」の解釈を加えた現代語訳する。

その年は何かと世の中が騒然とし伝染病も流行していた。朝廷が執り行う政に関しても、良くないことが続いた。天界でも月食から日食が起き、彗星が現れている。大きな雲の動きが不穏であると驚き大騒ぎしている。陰陽道や天文などの諸道に達した者たちが、この天変の原因を考察して天皇に奏上した (かむがへ)(ぶみ) 考え文にもとても信じられないことが様々に書き記してあった。恐らく天皇の父親である人物が、天皇の父親としての正当な扱いを受けておらず人間世界の秩序が乱れている。それが天変を引き起こしているだとなどが書かれていたのであろう。天皇の位に在る冷泉帝も、実の父親が光る君であるという事実は当事者以外には、誰一人として知る者はいないので、この (かむがへ)(ぶみ) 上申書の意味を理解できるものは朝廷には存在しなかった。ただ内大臣として冷泉帝を補佐している光る君だけは、心の中で思い当たる辛さがあり、面倒で厄介なことだと案じていた。桐壺帝から冷泉帝への皇位継承に関して、秩序の乱れを引き起こした原因は、自分と藤壺との秘密の関係にある。その当時者の藤壺がここの所体調を崩している。また秘密の子である冷泉帝は14才になった。ようやく政の本質を理解して積極的に関わろうとし始めた頃に、天皇としても冷泉帝を脅かす出来事が頻発し始めていたのであった。

 

前の天皇の本当の子供でない者が、新たな天皇となっている。これは天皇家の血筋の混乱である。昭和の戦前戦中はこの事ゆえに「源氏物語」は天皇にして失礼な不敬の書として批判された。

 

さて光源氏は重体に陥った藤壺を見舞う。藤壺は光る君が冷泉帝の後見を務めてくれたことの感謝を口にした。二人の間に生まれた冷泉帝を、これからも見守ってほしいという願いを伝えた。けれども周囲の者はあくまでも、桐壺院の遺言を光る君がよく守ったという風に理解している。それに対する返事を光源氏が話している途中で、藤壺の命の灯は燃え尽きた。この場面を読む。

朗読② 光源氏と話している途中で、藤壺の命は尽きた。

「はかばかしからぬ身ながらも、昔より御後見仕うまつるへきことを、心のいたるかぎりおろかならず思ひたまふるに、太政(おおき)大臣(おとど)の隠れたまひぬるをだに世の中心あわたたしく思ひたまへらるるに、またかくおはしませば、よろづに心乱れはべりて世にはべらむことも残りなき心地なむしはべる」と聞こえたまふほどに、灯火(ともしび)などの消え入るようにてはてたまひぬれば、いふかひなく悲しきことを思し嘆く。

 解説

「はかばかしからぬ身ながらも、昔より御後見仕うまつるへきことを、心のいたるかぎりおろかならず思ひたまふるに、

自分に対して たまふ が附いているので、謙譲を表す。

私は不束(ふつつか)な人間ではあるがこれまでもそして今後も冷泉帝の後見人として力の及ぶ限り務める所存です。

太政(おおき)大臣(おとど)の隠れたまひぬるをだに世の中心あわたたしく思ひたまへらるるに、

それにつきましても、太政大臣・かつての左大臣のご逝去は惜しまれます。66歳という高齢によるものですが、冷泉帝の政をしっかりと支えていらっしゃいました。世の中の無情を身に染みて感じています。

またかくおはしませば、よろづに心乱れはべりて世にはべらむことも残りなき心地なむしはべる」

それに加えて女院様までもこの様に体調が思わしくない状態である。私の心はあれやこれやで取り乱しています。私もいつまでこの世に留まっていられるかは分からない。

と聞こえたまふほどに、灯火(ともしび)などの消え入るようにてはてたまひぬれば、いふかひなく悲しきことを思し嘆く。

「湖月抄」の解説を加えて訳す。

光る君はこのように申し上げていたが、その言葉の途中で藤壺の命の灯は静かに消えて行った。

本当は光る君は藤壺にもっと沢山の事、例えば二人だけの大切な思い出について感謝の気持ちを伝えたかった。

けれども周りには人がいるので、こういう当たり障りのない言葉しか口に出来ないのが悲しかった。また灯が消える様に藤壺の命が尽きたというのは、法華経の仏典に 煙尽き火消えるが如し とあるのを踏まえている。光る君は藤壺の臨終に立ち会うことができた。まことに二人の間には深い縁があったことが、この一件からもうかがわれる。

けれども光る君は藤壺の逝去を心から嘆き悲しんでいる。なおこの死の比喩は御法(みのり)の巻でも用いられている。

紫の上の歌に

  惜しからぬ この身ながらも かぎりとて 薪尽きなむ ことのかなしさ

とある。

「湖月抄」は 煙尽き火消えるが如し という仏典を指摘している。

 

身分の高い人の無事を守る為、部屋の物陰で夜通しお守りしている僧侶を()()の僧都という。夜居の僧都は身分の高い人の全てを知っている。藤壺の秘密を知っている夜居の僧都は、それを不義の子である冷泉帝に教える必要があると考えた。そして冷泉帝に告げる。その場面を読む。

朗読③夜居の僧都が冷泉帝に実の父が光源氏であると告げる。

「あなかしこ、さらに仏のいさめ守りたまふ真言の深き道をだに、隠しとどむることなく(ひろ)め仕うまつりはべり。ましてこころに隈あること、何ごとにかはべらむ。これは来し方行く先の大事とはべることを、過ぎおはしましにし院、后の宮、ただ今世をまつりごちたまふ大臣(おとど)の御ため、すべてかへりてよからぬことにや漏り出ではべらむ。かかる老法師(おいほうし)の身には、たとひ(うれ)へはべりとも何の(くい)かはべらむ。仏天の告げあるによりて奏しはべるなり。わが君(はら)まれおはしましたりし時より、故宮(こみや)深く思し嘆くことありて、御祈祷(いのり)仕うまつらせたまふゆゑなむはべりし、くはしくは法師の心にえさとりはべらず。事の(たが)い目ありて、大臣(おとど)横さまに当たりたまひしとき、いよいよ()じ思しめして、重ねて御祈祷(いのり)どもうけたまはりはべりしを、大臣も聞こしめしてなむ、また更に事加へ(おほ)せられて、御位に(つき)きおはしまししまで仕うまつることどもはべりし、そのうけたまはりしさま」とて、くはしく奏するを聞きしめすに、あさましうめづらかにて、恐ろしうも悲しうも、さまざま御心乱れたり。

 解説 僧都がためらいながらも決心して話始める。その様子が表現されている。

「あなかしこ、さらに仏のいさめ守りたまふ真言の深き道をだに、隠しとどむることなく(ひろ)め仕うまつりはべり。ましてこころに隈あること、何ごとにかはべらむ。

僧都は冷泉帝に対して自分は何一つ隠し事はしてこなかったと言う。自分が知っている限りを話そうか話すまいかとためらう僧都は、冷泉帝からなんでも話すようにと許されたので、意を決して語り始めた。

それでは畏れ多い事でことながら申し上げます。私は帝のお幸せを第一に考えているが、御仏が他人に決して伝えてはなないと固く禁じている真言の秘法ですら包まずに帝に伝授しました。私の心の中には何一つ秘密や隠し事はありません。

これは来し方行く先の大事とはべることを、過ぎおはしましにし院、后の宮、ただ今世をまつりごちたまふ大臣(おとど)の御ため、すべてかへりてよからぬことにや漏り出ではべらむ。

院 は 桐壺院、后の宮 は 藤壺、大臣(おとど) は光源氏。但しこれから私が申しあげますことは、現在だけの事ではなく過去から始まり未来まで続く大問題なのです。今から9年前に亡くなった桐壺院。この度亡くなった藤壺女院。そして今の朝廷の中心となって政を動かしている内大臣。この三人に関する重大事です。

かかる老法師(おいほうし)の身には、たとひ(うれ)へはべりとも何の(くい)かはべらむ。仏天の告げあるによりて奏しはべるなり。

仏天 は仏の事。

私が真実をお話しすることはあらゆる面で却って良くない結果になってしまうかも知れないと思うと、ためらう気持ちもあります。けれども私の様な仏法師の身に、どのような咎めが襲い掛かったとしても何の後悔もありません。私の夢に仏が現れて、このことを帝に告げる様にとの事だったので、この様に申し上げる次第です。なお夜居僧都が実際にこういう夢を見たと考える説は少数派である。あえて仏のお告げとすることで、僧都が言葉にする勇気を得たとするのが多数の説である。

わが君(はら)まれおはしましたりし時より、故宮(こみや)深く思し嘆くことありて、御祈祷(いのり)仕うまつらせたまふゆゑなむはべりし、くはしくは法師の心にえさとりはべらず。

さて心が定まりました。思い切って申し上げます。我が君、主上冷泉帝が母君である藤壺の女院のお腹に宿られたころから、女院の嘆きが深まることがあった。女院は私に加持祈祷を命じられた。その理由については男と女の恋の道にとんと不案内の私には、全く想像もつかない事であった。

事の(たが)い目ありて、大臣(おとど)横さまに当たりたまひしとき、いよいよ()じ思しめして、重ねて御祈祷(いのり)どもうけたまはりはべりしを

事の(たが)い目 は、光源氏の失脚と左遷を指している。桐壺院が崩御された後、光る君が失脚して須磨、明石を流離(さすら)った時代があった。この時女院は大変動揺して、これは天の咎めではないかと恐れられた。それで私に祈るように命じられた

大臣も聞こしめしてなむ、また更に事加へ(おほ)せられて、御位に(つき)きおはしまししまで仕うまつることどもはべりし、

光る君もその事をお聞きになって、更にお祈りを加える様にとの指示であった。この祈りは3年前に冷泉帝がめでたく天皇の位にお着きになるまで続いたのです。

そのうけたまはりしさまとて、くはしく奏するを聞こしめすに、あさましうめづらかにて、恐ろしうも悲しうも、さまざま御心乱れたり。

さてこういう理由なので、祈祷してほしいと私が命じられたことをこれから具体的に申し上げます。夜居僧都はこの後詳しく事の事情を冷泉帝に奏上した。自分が桐壺院の子供ではなく、光る君の子であった事実を初めて知った帝の衝撃は大きかった。帝は驚き不思議な事の成り行きにこんなことがあるのかと思われる。滅多にないことだと感じられる。自分が持って生まれてきた定めを悲しく、また様々な感情に襲われ心が動揺した。

 

自分の出生の秘密を知った冷泉帝が感じた心の中の思いが  あさましうめづらかにて、恐ろしうも悲しうも、さまざま御心乱れたり。 と書かれている。自分が罪の子である事を知った冷泉帝は、光源氏に皇位を譲ろうかとまで考える。

冷泉帝が秘密を知ったことを知った光源氏の動揺もまた、大きなものであった。

 

それでは朝顔の巻にはいる。54帖の20番目の巻である。薄雲の巻と同じ年で、「湖月抄」では光源氏31歳、本居宣長説では32歳。光る君の求愛を拒んだ女君として有名な朝顔の斎院が登場する。彼女の父親は桐壺院の弟であるので、光源氏と朝顔の斎院は父方の従姉妹同士である。彼女は桐壺院の崩御の際に賀茂の斎院となり、父親の崩御に伴って斎院を退いた。斎院だったのは9年ほどであった。その後は父親の残した屋敷で伯母に当たる女五宮と暮らして居る。

朝顔の斎院はこれまで(はは)(きぎ)、葵、(さか)()、薄雲の中で登場している。世間から見れば光源氏と夫婦になるのがお似合いである。だから紫の上からは嫉妬されている。なお「源氏物語」の時代の朝顔が、ききょう、むくげ、昼顔とする説もある。

けれども現在の朝顔のことと考えて良いと思う。

 

さて光源氏は朝顔の斎院と会おうとして伯母の女五宮の病気見舞いにかこつけて、冬の夜、屋敷を訪れる。急な訪問だったので門番は門を開けるのに手間取った。この場面を読む。

朗読④ 光源氏が朝顔の屋敷を訪ねるが、門が錆びて開かない場面。そして光源氏はこれまでの人生を思い浮かべる。

宮には、北面(きたおもて)の人しげき方なる御門(みかど)は入りたまはむも軽々しければ、西なるがことごとしきを、人入れさせたまひて、宮の御方に御消息(せうそこ)あれば、今日しも渡りたまはじと思しけるを、驚きて開けさせたまふ。御門守寒げなるけはひうすすきて出で来て、とみにもえ開けやらず。これより(ほか)の男はたなきなるべし。ごほごほと引きて、「(くさり)のいといたく錆びにければ開かず」と愁ふるをあはれと聞こしめす。昨日今日と思すほどに、三十年(みととせ)のあなたにもなりにける世かな。かかるを見つつ、かりそめの宿を思ひ棄てず、木草の色にも心を移すよ、と思し知らるる。口ずさびに、

  いつのまに 蓬がもとと むすぼほれ 雪降る里と 荒れし垣根ぞ

やや久しうひこじらひ開けて入りたまふ。

 解説

ここは my favorite scene である。私のお気に入りの場面である。31歳の光源氏の心の中に入る。

宮には、北面(きたおもて)の人しげき方なる御門(みかど)は入りたまはむも軽々しければ、西なるがことごとしきを、人入れさせたまひて、宮の御方に御消息(せうそこ)あれば、

光源氏は女五宮の屋敷に到着された。普段人々は北にある門を使っているが、身分の低い者たちが頻繁に出入りするので、何かと人目がある。内大臣という身分でもあるし、朝顔の斎院への密かな恋心もあるので、北の通用門は避けたい。そこで光る君の乗った牛車は西側にある格式の高い正門から中に入ることになった。光る君は従者を屋敷の中に入れて、女五宮に到着したことを伝え西門を開ける様に依頼した。

今日しも渡りたまはじと思しけるを、驚きて開けさせたまふ。

女五宮の方では光る君の訪問の可能性があるとは考えていたのだが、まさか夜が更けて暗くなった後で来ることはないだろうと見込んでいたので、びっくりして大慌てで西の正門を開けさせた。

御門守寒げなるけはひうすすきて出で来て、とみにもえ開けやらず。これより(ほか)の男はたなきなるべし。

この うすすき という言葉について「湖月抄」は何の説明もない。本居宣長は「古事記」に たち走る いすすき とある事に注目する。「源氏物語」の うすすぎ は、「古事記」のいすすき と同じで、急いで走り出てくるという意味だとする。

現在は本居宣長説を採用するが、 うすすき と発音している。門番がいかにも寒そうな様子で、慌て

て門のところまでやってきた。けれどもすぐには開かない。モタモタしているのだが、他に誰も出てこな

いことから考えると、この屋敷には男手はこの男しかいないのであろう。

ごほごほと引きて、(くさり)のいといたく錆びにければ開かず」と愁ふるをあはれと聞こしめす。

ここには「白氏文集」が踏まえられている。門番は長い事ゴホゴホと大きな音を立てながら門を引っ張

っていたが、鍵がひどく錆びついていてなかなか開けられないなどとこぼしながら困り果てている。

白楽天の「白氏文集」には、乗ることが少ない馬には(ひづめ)が生えてつまづき易くなる。普段使っていない

門の鍵は錆びつき易く、開けるのが困難になるとい内容が語られている。この屋敷ではこの門を開

ける機会は殆ど無くなっているのだろう。光る君は門番の嘆きをお聞きになってあわれな事だと思わ

れる。

昨日今日と思すほどに、三十年(みととせ)のあなたにもなりにける世かな。かかるを見つつ、かりそめの宿を思

ひ棄てず、木草の色にも心を移すよ、と思し知らるる。

この屋敷の主人だった式部卿の宮が亡くなったのはつい去年の夏の事であった。それなのにもうこ

31歳になっている。私も自分がまだ若いの屋敷はここまで荒れ果てた。世の中の移り変わりはまこと

に早い。いや考えてみれば私も今年でと思い込んでいるうちに早くも30歳という節目をとっくに過ぎて

いた。有為転変の有様をはっきりと目にしながら、かりそめの世の中を捨て去って出家することも出

来ず、すぐに枯れ果ててしまう木草の美しさに目を奪われているとはと、光る君はわが身の情けなさ

を振り返る。心に滲みる言葉である。但しこの箇所には三十年(みそとせ)はなく三年(みとせ)とする本文もある。

その場合には自分が27歳で都に戻ってきてから以降、現在までの時間の経過を三年(みとせ)表現したとも

考えられる。

正確には5年ほどであるが、慣用的に長い時間を三年(みとせ)と言い表すことがあるからである。けれども

三十年(みそとせ)の方が、光源氏の年令31歳ともほぼ合致する。本居宣長の弟子の鈴木 (あきら)、十年昔 とと

せのあなた が正しく、写し間違いだろうと述べている。

桐壺院が亡くなってから十年というのだが、どうであろうか。説得力は乏しい。

口ずさびに、

  いつのまに 蓬がもとと むすぼほれ 雪降る里と 荒れし垣根ぞ

光る君はふと心に浮かんだ思いを和歌にして口ずさむ。

この屋敷は少し前までは式部卿宮の生前は見事な庭であった。あっという間に年が移りこれほどまでに蓬が生い茂り、雪が降り積む里になってしまった。私も31歳、早くも過ぎ去ってしまったのか。

やや久しうひこじらひ開けて入りたまふ。

光る君が人生と時間について深い物思いに沈んでいる間に、門番が何とか門をこじ開けた。光る君

は屋敷の中に入った。

この場面は光源氏が30歳を越えた自分の人生をしみじみ振り返る姿が印象的である。門の錆びつ

いた鍵が、青春を通り過ぎた人間の悲しみを象徴している。

 

さて朝顔の斎院に求愛した光源氏は、冷たく拒絶された。帰宅した光源氏は紫の上と様々に語り合

う。ここは枕草子を意識した場面なのである。

朗読⑤

雪のいたう降り積もりたる上に、今も散りつつ、松と竹とのけぢめをかしう見ゆる夕暮に、人の御容貌(かたも光りまさりて見ゆ。

「時々につけても、人の心をうつすめる花紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄める月に光りあひたる空こ

そ、あやしう色なきものの身にしみて、この世の(ほか)のことまで思ひ流され、おもしろさもあはれさも残ら

ぬをりなれ。すさまじき(ためし)に言ひおきけむ人の心浅さよ」とて、御簾(みす)捲き上げさらたまふ。月は隈なくさ

し出でて、ひとつ色に見え渡されたるに、しをれたる前栽(せんざい)いといたうむせびて、池の氷もえもいはず

すごきに、童べおろして雪まろばしせさせたまふ。

 解説   この場面は「湖月抄」の解釈を踏まえた現代語訳する。

折から雪が大層降り積もっている。その上に今も新たな雪が降ってきては重なっている。よく見ると松

の上に降る雪と竹の上に振る雪とでは、同じ常緑樹であっても積もり方が違う。その区別が趣き深く

感じられる夕暮れである。いつも光っている光る君の美貌も、そして光る君と並んでいる紫の上の顔

も雪明りに照らされると、いつも以上に光が勝っていると感じられる。光る君は紫の上に冬の月の美

しさを語り続ける。紀貫之に

  春秋に 思ひ乱れて ()きかねつ 時につけつつ 移る心は 拾遺集

という歌があるが、人間には春には花を美しく思い、秋には紅葉を美しく思うように、その時々の美し

さを愛でるものである。そこで春の花盛りと秋の紅葉の盛りの優劣はなかなか出来かねるのであろ

う。

所が清原元輔に

  いざかくて をりあかしてむ 冬の月 春の花にもおとらざりけり 拾遺集

という歌もある。冬の夜、冷たく冴えて澄んだ冬の夜空に掛っている月の光が、地上に降り積もった雪

の光と一つになる光景は、不思議な位に身に染み入ってくる。月も雪も同じ白さである。桜の花や

紅葉の様に色こそついていないが、素晴らしさもしみじみとした情趣もこれ以上のものはないだろう

と、不満に思う所が全くないのである。冬の月を見ていると、この世ばかりでなく来世のことまでもふと

心に思い浮かべてしまう。これほど素晴らしい冬の夜の月をすさまじきもの、つまり殺風景で興ざめな

ものの筆頭に挙げている人がいたそうだが、これが誰であるか名前は出さないが、冬の月を愛でた

歌を詠んだ清原元輔の娘であるとか。その人はなんと美というものへの理解が浅い事だろうか。なお

清原元輔の娘は清少納言であるが、彼女の書いた「枕草子」の すさまじきもの の中には、冬の夜

の月とか師走の月夜の事は書かれていない。いささか不審なことではある。

さて冬の月夜の美しさを絶賛した光る君は、紫の上と冬の夜の月を眺めようと簾を上げさせる。無論

白楽天の

  遺愛寺欹枕聴    遺愛寺(いあいじ)の鐘は、枕を(そばだ)てて聴く

  香炉峰雪撥簾看   香炉峰の雪は、(すだれ)(かか)げて()

という有名な漢詩を踏まえてのことである。

冬の月は辺り一面、ほんの少しでも暗い所が残らない程に、白い光をふり注いでいる。それが白い雪

に埋もれた地上の世界と一つの色になって溶け合っている。冬枯れの為に萎れている庭の草木の姿

が見るからに痛ましい。庭を流れている鑓水もむせび泣くような水音を立てている。寒さの為に凍った

池の氷も、月の光を浴びて言葉もない程の清冽さである。光る君は月に明るく照らされた雪の庭に、

少女たちを下ろして雪を丸めて丸い珠を作られる。この雪まろばし を宮中で行った前例としては、

村上天皇の御代に積もった雪で蓬莱山の形を作らせたことがある。

 

この場面は紫式部の「枕草子」への対抗意識が現れているとて考えられる。すさまじきもの・殺風景な

物の中に、「枕草子」が師走の月夜を書いているのかいないのか、真偽は不明である。

現在まで残っている「枕草子」には、全ての写本に師走の月夜の事は書かれていない。けれども

「源氏物語」の室町時代の研究者たちは、ここに紫式部の「枕草子」批判を読み取ってきたのである。

香炉峰の雪の話は「枕草子」の中でも、

屈指の名場面として有名である。朝顔の巻にはこの後 中宮の御前に雪の山作られたりし という

言葉が出てくるが、中宮定子が作られた雪の山はまた、「枕草子」の中で屈指の名場面である。

紫式部は「枕草子」を読んでいたであろう。そしておおいなる対抗意識を燃やしていた事であろう。

それが「紫式部日記」の厳しい清少納言批判となったのであろうし、この朝顔の巻でも皮肉となったの

であろう。

この後光源氏は紫の上との語らいの中で、藤壺のことを話題とした。その夜、寝ていた光源氏の夢の

中に亡き藤壺が現れる。死んだ藤壺は成仏出来ていなかったのだ。その事が光源氏の悲しみをそそった。

 

「コメント」

光源氏の秘密を知る役目の人がいて、それを後に告げることになるのだ。関係者だけの秘密

ではないのだ。でないと小説にならないか。それにしてもこの物語を読む一条天皇の気持ちは

複雑であろう。道長も。