2311209③「題のある和歌」
前回は、宮仕えを始めた作者が目にした、天皇、中宮、女院たちの雲の上の世界が語られていた。まさに豪華絢爛で優雅な世界である。そこには中宮である建礼門院の一族の平家の公達も、頻繁に訪れていた。「建礼門院右京太夫集」は冒頭部分で、雲の上の世界を賛美した後に、作者が様々な歌合せなどで詠んできた和歌を40首程並べている。
歌合せなどの歌の会では、予め題・テーマが与えられていることが多く題詠という。右京太夫の歌人としての力量が窺われる。但し正直に言うと、私が初めて「建礼門院右京太夫集」を読んだ学生の頃は、戦後の前衛短歌に夢中になっていた。その為、右京太夫の題詠の歌が、どことなく単調単純に思われた。今ではそうは思わないが。
流石だと思うのは三島由紀夫である。彼は17歳で「玉刻春(たまきはる)」という小説を書いたが、そこに「右京太夫集」から和歌を引用している。
40首近くあるので今回全部は読み切れない。先ずは最初の部分である。
朗読① 立春の歌
何となく詠みし歌の中に、春立つ日
春来ぬと 誰うぐいすに 告げつらむ 竹の古巣は 春も知らじを
解説
この「右京太夫集」は序文にもあったように家集ではない。作者が体験してきた人生の中で、特に忘れ難い思い出やエピソ-ドを書き綴っていくスタイルで書かれた。但し思い出ばかりを書いていると、自分の詠んだ歌までも忘れてしまいそうになるので、歌合せなどの場で題を与えられて詠んだ歌を、40首ばかり纏めて書き集めたのであろう。
最初の歌の題は 春立つ日 立春の日に春の訪れを寿いで、詠んだ歌という意味である。
二首あるのはおめでたいテーマなので、何年かに一度は必ず与えられる題だったからであろう。「古今和歌集」などの勅撰和歌集でも 春立ちける日に詠める という題で冒頭に据えている。右京太夫の歌を詠んだ後で、解説を含んだ現代語訳を示す。
一首目 いつしかと 氷とけゆく 御溝水 行く末遠き けさの初春
長かった冬もやっと終わって、今日からは春。早くもあちこちの氷は溶けて水となり、気持ち良さそうに流れ始めている。
ここ宮中の清涼殿でも、貴い東宮の溝を流れている水が、さやさやと音を立てている。この水はこれから鴨川に注ぎ淀川を下り、海へ注ぎ更に遠くへ流れていく。上様・高倉天皇の千代も八千代も続くであろう弥栄を、寿ぐような今朝の水の流れである事よ。
二首目 春来ぬと 誰うぐいすに 告げつらむ 竹の古巣は 春も知らじを
うぐいす の う に辛いという意味の 憂し が掛詞になっている。立春の今日早速 うぐいす がいかにも嬉しそうに鳴いているのが聞こえる。昨日まではまだ春にならないのかと、いかにも生きるのが辛そうに竹の中の巣に閉じこもっていたのに、うぐいす が暦の上で春になったことなど気付くはずがないだろうから、だれが うぐいす に今日が立春だと教えたのだろうか。めでたさを寿ぐだけでなく、誰が うぐいす に今日が立春と教えたのかと推測するエスプリを感じさせる。
では次に恋の歌を二首詠む。
朗読② 恋の歌
一首目
あはれ知りて 誰か尋む つれも無き 人を恋ひわび 岩となるとも
二首目
片思ひをはづる恋
解説
一首目
往時の恋 は終わってしまったはるか昔の恋を詠んだ歌である。
あはれ知りて 誰か尋む つれも無き 人を恋ひわび 岩となるとも
あの人との熱烈な恋も、今では遠い昔の思い出になった。私は冷たいあの人の訪れを、一日待ち一月待ち一年待ち、更に時間が積もっていき、到頭命が尽きようとしている。あの人はたとえ私が死にそうだとか、岩になったとか、誰からか伝え聞いたとしても、自分の捨てた女が、今どうなっているのだろうかという好奇心を確認するために、足を運んで見にきてくれることもないであろう。
この歌は 三島由紀夫が 「玉刻春(たまきはる)」という小説で引用した歌の一つである。確かに物語風というか、イマジネ-ションが刺激される歌である。三島少年は「右京太夫集」の題のある歌を熱心に詠みこみ、感動し共感し、そこから自分の小説を創作するインスピレーションを得たのである。右京太夫は中国の「亡夫石」の伝説を踏まえているのであろう。愛する夫と別れた女性が、夫との再会を待ち望むあまりに、石になったという伝説である。12世紀後半に成立した「唐物語」で有名である。我が国にも「万葉集」に由来する、松浦小夜姫伝説がある。愛する男性の帰国を待ち続けた女性が石になったとする伝承である。
「伊勢物語」にも男が来るのを待ち続けた女が、鳥の鶉になったそうだと歌う場面がある。相手を恋する気持ちが強すぎると、人間以外のものへと変身してしまうのである。
二首目
片思ひをはづる恋 自分の片思いを恥ずかしく思う恋という心を詠んだ歌である。
片思い と言えば あわび。あわび は一枚貝だから、二つが一つになる相思相愛の対極にある。けれども波が激しく岩に打ち寄せる磯では、その あわび さえ拾うことが出来ない。片思いも簡単ではないのだ。片思いの相手を見付けられない私には、片思いも出来ないのだと噂が立てられるに違いない。恥ずかしい。作者は片思いのスタート時点にさえ立てない屈辱を耐え忍んでいる。ただしユーモアである。歌合せでは、参加者の笑いを取ったのではないか。
次に植物を詠んだ歌を詠む。
朗読③ 植物の歌
一首目
古き池の杜若
二首目
名所の菫菜
おぼつかな 双の岡の 名のみして ひとりすみれの 花ぞ露けき
三首目
所々の款冬
我が宿の 八重山吹の 夕ばへに 井出のわたりも 見る心地して
四首目
雨中の草花
過ぎてゆく 人はつらしな 花すすき 招く真袖に 雨は降りきて
解説
これらの歌はそれぞれの花が咲く季節に開かれた、歌合せや歌の催しなどで詠まれたものであろう。
一首目
あせにける 姿の池の かきつばた 幾昔をか 隔てきぬらむ
あせるは 水の量が少なくなって底が浅くなるという意味である。地名の 姿 と、人の形という意味の掛詞である。
大和国の 姿の池 は古の歌枕で、和歌では人の姿との掛詞で詠まれることが多い。杜若 の名所としても知られている。古い池なので、色々なものが積もって水がなくなっている。それでも杜若 の花は今も変わらずに咲き続け、
美しい姿を池に映している。掛詞と言えば、杜若 のかき は垣根を連想させる。垣根は内部と外部を隔てる役割を果たす。隔てるには長い時間を過ごすという意味もある。杜若 の花は、どれくらいの年月をこの古い池で過ごしてきたのだろうか。
右京太夫が二回目に宮仕えした後鳥羽天皇にも、姿の池 を詠んだ歌がある。
老いにける 姿の池の 浮きぬなは 苦しき世をぞ 思ひわびぬる 01070
二首目
名所の菫菜
名所に生えている 菫菜 という心を詠んだ歌である。
歌を作る側は無数にある名所の中から、どこを選ぶか、そしてその地名を選んだ理由をうまく歌の中に説明できるか。
そこが腕の見せ所である。
おぼつかな 双の岡の 名のみして ひとりすみれの 花ぞ露けき
我が国に無数に存在する名所の中から、私は仁和寺の近くにある 双の岡 を連想した。双の岡 には、一の岡から三の岡まで、岡が三つ並んでいるが、菫菜 の花は一輪だけ淋しく咲いている。そんな姿は都の人間関係に疲れ、一人住まいしている人の姿に似ている。それにしても 双の岡 という地名なのに一人とは、不思議な事である。
双の岡 と、一人の対比が面白い。双の岡 は、後の時代に「徒然草」を刊行した兼好が、隠棲した場所でもある。隠遁して一人住まいしている人物が多かったのであろう。
三首目
所々の款冬
ここでもあすこでも咲いている 款冬 の花という心を詠んだ歌である。
我が宿の 八重山吹の 夕ばへに 井出のわたりも 見る心地して
我が家の庭では今、山吹 の花が絢爛と咲き誇っている。この季節にはあちこちで、山吹 の花を見る。あれほど 山吹 の花が沢山咲いているからには、山吹 の名所として名高い山城国の 井出のわたり は、どんなにか 山吹 で埋め尽くされている事だろうか。その姿を私は我が家の 山吹 の花を見ながら思い浮かべて楽しんでいる。
所で私は 山吹 と聞くと「源氏物語」の玉かづらという女性を連想する。野分の巻では、光源氏が玉かづらに
思わずに 井出の中道 隔つとも 言はでぞ恋ふる 山吹の花
という歌を送っている。玉かづらの艶やかさが、山吹 の花に例えられている。
四首目
雨中の草花
強い雨に打たれる草花という心を詠んだ歌である。
過ぎてゆく 人はつらしな 花すすき 招く真袖に 雨は降りきて
真袖 は、両袖という意味。
花すすき には、男性を招く女性というイメージがある。秋の野に咲く 花すすき が風になびいて、男を招いているように見える。けれども男は 花すすき の真心を知ってか知らずか、無情にも素知らぬ顔して通り過ぎていく。あ、雨が降ってきた。雨が 花すすき の上に降りかかる。まるで男を待つ女の目から溢れてきた涙が、彼女の両袖を濡らすかのように。
私はこの歌を読むと、江戸時代の琳派の画家 酒井包一 が描いた「夏秋草図屏風」を連想する。この絵は尾形光琳の傑作「風神雷神図屏風」の裏側に描かれていた。激しい風や雷を伴った雨に打たれる、夏草や秋草が哀切である。
私はこの「風神雷神図屛風」と「夏秋草図屏風」から、もののあわれ という概念について考えるヒントを貰った。
次に鳥の歌を三首読む。
朗読④ 鳥の歌
一首目
連夜の水鶏
荒れはてて さすこともなき 真木の戸を 何と夜がれず 叩く水鶏ぞ
二首目
暗き空の帰る雁
花をこそ 思ひも捨てめ 有明の 月をも待たで 帰るかりがね
三首目
暁の呼子鳥
夜をのこす 寝覚めに誰を よぶこどり 人も答へぬ しののめの空
解説
一首目
荒れはてて さすこともなき 真木の戸を 何と夜がれず 叩く水鶏ぞ
さす は戸締りをするという意味。私とは恋人から忘れられた女。あの人が私の家を訪ねて来て、戸を叩いて合図をすることなど考えられない絶望的状況である。屋敷も庭も荒れ放題。誰も来るはずがないので、真木の戸 に鍵をかける必要もない。所がどうした事か、ここの所、明けやすい夏の夜中、家の戸を叩く音がする。寝ぼけ眼の私は、あっあの人がきたのかと錯覚する始末である。水鶏 よ、お前はどうしてそんなに意地悪をして私をぬか喜びさせるのか。絶対に止めて欲しい。
夏の景物なので、夏に行われた歌合せに提出したのであろう。水鶏 には、恋の雰囲気がある。女の家を訪れて戸を叩く男の姿を連想させるからである。但し私は 水鶏 の鳴き声を聞いた事があるが、戸口を叩く音には聞こえなかった。
二首目
暗き空の帰る雁
春、暗い空を飛んできたに帰っていく雁という心を詠んだ歌である。
花をこそ 思ひも捨てめ 有明の 月をも待たで 帰るかりがね
この歌は「古今和歌集」の
春がすみ 立つを見捨てて 行く雁は 春なき里に 住みやならへる 伊勢
という歌を踏まえている。右京太夫も帰鴈、帰る雁を恨んでいる。雁は秋に北の国から飛来して、春に戻っていく。彼らは満開の桜や、落花の風情を知らない。これは美意識の問題だから、雁に文句は言うまい。それとも有明の月が戻れば、空が明るくなり、飛行し易くなるであろう。これは美意識でなく実用の問題である。帰心矢の如くなのだろうが、腑に落ちないことだ。
花月 という熟語もあるが、花と月の二つは風流な物の代名詞となっている。それを二つとも見捨てて、北の国に帰る雁を非難した歌である。
三首目
暁の喚子鳥
まだ暗い内に喚子鳥 が鳴くのを聞くという心を詠んだ歌である。
夜をのこす 寝覚めに誰を よぶこどり 人も答へぬ しののめの空
夜が明けて明るくなるまでには、まだ時間がある。それなのに私は眼が覚めてしまった。深い眠りの底で、誰かが私を呼んでいる声を、聞いた様な気がしたからである。意識が戻ってくると、東雲の空で鳥が鳴いているのが聞こえた。あ、喚子鳥 だ。あの鳥が私を呼んでいたのだ。鳥に誰かが返事する声は聞こえないが、少なくとも私は、鳥の呼びかけに応じて目が覚めた。私を何処に連れていこうとしているのだろうか。
喚子鳥 がどんな鳥なのかよく分かっていない。郭公が最有力なのだが、うぐいす、霍公鳥、ツツドリ等の説もある。
但し鳴き声が人を呼んでいる様に、聞こえる鳥ということは確かである。「徒然草」210段には、喚子鳥 が鳴く時には、招魂の法 ・死んだ人の魂を呼び出す呪術を行う と書いた 真言書 真言宗の書物があると書いてある。右京太夫も喚子鳥 を聞きながら、死んだ人と会話をしていたのかも知れない。もしかしたら、先に死んだ人から、自分が呼ばれている様に感じたのかも知れない。
次にもう一度恋の歌を読む。和歌の二大テ-マは、恋と自然である。恋が歌合せの題になる機会は多かった。
朗読⑤ 恋の歌
一首目
老人を恋ふ
つくも髪 恋ひぬ人にも いにしへは 面影にさへ 見えけるものを
二首目
関を隔つる恋
恋ひわびて 書くたまづさの 文字の関 いつか越ゆべき 契りなるらむ
三首目
催馬楽に寄する恋
見し人は かれがれになる 東屋に 茂りのみする 忘れ草かな
解説
一首目
老人を恋ふ
年老いた女性にも優しく接することが出来る男と、いう心を詠んだ歌である。
もしも老人の恋という題ならば、若い女性を好きになった年老いた男の苦しみが、詠まれた事であろう。
つくも髪 恋ひぬ人にも いにしへは 面影にさへ 見えけるものを
「伊勢物語」63段には、 つくも髪 のエピソ-ドがあり、色好みであった業平は、自分自身がその女性を好きでない
場合でも、自分に好意を持つ高齢の女性に対しても優しく接し、昼間でも彼女の面影が心に浮かぶ程だったという。
所が私の恋人ときたら、私がまだ若くて つくも髪 の生えている老女ではないのに、こちらの好意を無視して全く優しい振舞いをしてくれない。ひどいではないか。そんな男には業平の爪の垢でも煎じて飲ませたい。
自分を恋うる年老いた女性に、男性がどう接するかという内容であった。
右京太夫は女性を見かけだけで判断する愚かな男たちに、業平の様な真の色好みになりなさいと鉄槌を下している。
二首目
関を隔つる恋
関所に隔てられて、逢うことが困難な恋という心を詠んだ歌である。
関を隔てているのは、まだ深い中になっていない男女の比喩表現である。平凡な歌人ならば、逢坂の関 を越える・越えないという歌を詠むのではないだろうか。右京太夫は珍しい関所を思いついた。
恋ひわびて 書くたまづさの 文字の関 いつか越ゆべき 契りなるらむ
たまづさ は、手紙のこと。手紙は文字で書く。その文字と、関門海峡の九州側にある、地名の門司の掛詞である。
この歌は男の立場で歌われている。私はこんなに強く、そしてこんなにずっとあの人を恋し続けているのに、どうしてあの人と逢えないのだろう。二人の間にはどんなに大きな関所が、立ち塞がっているのか。もしもそれが豊前の国にある門司の関であるのなら、私は心を込めて手紙に文字を書き記し、自分の心の全てをあの人に伝えよう。私はいつ、この関所を越えて、あの人と逢えるのだろうか。
門司の関は、作者の恋人である平資盛が入水した壇ノ浦の近くである。この歌を詠んだ時の右京太夫は、まさか資盛が壇ノ浦で入水し、自分と生死を分けてしまうとは夢にも思わなかった。「右京太夫集」を最後まで詠むと、右京太夫と資盛が生と死の関・境目を隔ててしまった悲しみが、全体を貫く大きなテ-マだと気付く。
その点でこの文字の関の歌は、偶然に作品の未来を予告していたことになる。なおこの歌は たまづさ 手紙をモチーフとしている。
先ほど言った三島由紀夫の小説「玉刻春(たまきはる)」も、手紙を重要なモチーフとして書かれている。
三首目
催馬楽 は古代の歌謡である。催馬楽 をモチーフとして、恋心を詠むように言われて詠んだ歌である。
見し人は かれがれになる 東屋に 茂りのみする 忘れ草かな
かれがれ は、離れ離れという意味と、草木が枯れることの掛詞である。催馬楽 の曲に「東屋」があり、「東屋」に関して連想するのは、荒れはてた淋しい古里に女が住んでいて、男が通ってきている状況である。
所が、男の足は次第に遠のき、殆ど訪れなくなってしまう。恋人の存在を忘れるという 忘れ草 、
この女の住んでいる東屋も、後に生い茂り、その一方で庭の草は枯れ果ててしまう。女はどうやって、忘れられた女の苦しみを忘れようかと苦しんでいる。こういう状況も恋と言えるのだろうか。
催馬楽の「東屋」の歌詞はどういうものか。朗読する。
朗読⑤ 催馬楽 「東屋」
東屋のまやのあまりの、その雨そそぎ、我れたち濡れぬ。殿戸開かせ。春日井に錠もあらばこそ、その殿戸、我れ鎖め、
おし開いて来ませ。我や人妻。
解説
男と女のおおらかな掛け合いである。男が先に呼びかける。東屋の屋根から落ちてくる雨だれに濡れてしまった。早く戸を開けて私を中に入れて下さい。すると女が答える。戸に鍵や錠があるのであれば閉めるでしょう。でも鍵も錠も無いのだから、思い切って戸を押し開いて中に入っていらっしゃい。私は人妻ではないのだから。
何とも大胆な内容である。こういう民間の歌が、平安時代には宮中に入ってきて、貴族たちに歌われていたのである。
歌詞の大胆さと、メロディ-の優雅さのアンバランスが喜ばれたのであろう。
所で催馬楽 の歌詞は、右京太夫の歌と全く関わらない。私[M1] 催馬楽 という題から「東屋」という曲を思いついたとしても、あますすき という言葉を使おうかなと考えてそれで終わりである。
右京太夫は恐らく「源氏物語」の 東屋の巻 を連想したのではないか。この東屋の巻で浮舟が登場して、薫の愛人となる。所が薫は浮舟を宇治に行かせたまま、足繁くは通ってこなくなる。それを淋しく思う浮舟の心に入り込んだのが、好色な匂宮であった。右京太夫は 催馬楽 の東屋の歌詞というよりは、言葉だけを借りて、「源氏物語」の東屋の巻と浮舟の巻の内容を 重ねたのかも知れない。但しその意図が、歌合せの席上で初めてこの歌に接した人々にも、理解できたかどうかは分からない、
次に雪の歌を二首読む。
朗読⑥ 雪の歌
一首目
氷こそ 春を知りけれ 滝つ瀬の あたりの雪は なほぞ残れる
二首目
山家初雪
春の花 秋の月にも おとらぬは 深山の里の 雪のあけぼの
解説
一首目
滝の辺の残りの歌
春なのに滝の辺りに消え残る、雪という心を詠んだ歌である。
氷こそ 春を知りけれ 滝つ瀬の あたりの雪は なほぞ残れる
私は氷と雪に、こんなに大きな違いがあるとは、これまで知らなかった。氷はお利巧さんなのに、雪は何とお馬鹿さんなのだろう。氷は春になったことを、敏感に感じ取って溶けた。だから、滝から水が勢いよく流れ落ちている。けれども滝の周辺に積もっている雪は、春になっても鈍感で、今でも消えずに残っている。
自然を見たままに詠んだ叙景歌としても読める。深読みすれば、人間にも、季節の変化に敏感な人と鈍感な人がいるという寓意のようにも読める。
二首目
山家初雪
山の中にある寓居で、初雪にあったという心を詠んだ歌である。
春の花 秋の月にも おとらぬは 深山の里の 雪のあけぼの
世間では美しい季節は、花の咲く春か月の照る秋かと、いうことになっているようだ。古来、春秋の優劣論が戦わされているが、決着はまだついていない。だが、雪月花という言葉があるように、雪の降る冬もまた美しい季節である。世を逃れて、山深く隠遁し、初雪が空から降ってくる様を見ていると、言葉にはならない程、胸が締め付けられる。それも又、深い美意識ではないだろうか。
「新古今和歌集」を代表する歌人の一人に、藤原良経がいる。彼の歌によく似た歌がある。
春の花 秋の月にも 残りける 心の果ての 雪の夕暮れ
良経は 雪の夕暮れ を絶賛し、右京太夫は 雪のあけぼの を絶賛している。花も紅葉もない荒涼たる冬に、美しいものを見出す美意識は中世に顕著である。
今回は右京太夫が詠んだ、題詠の歌を取り上げて鑑賞してきた。全部を取り上げることは出来なかった。又テーマごとに説明したので、配列順も変更している。最後に説明しておきたいことがある。
私は「群書類従」の本文で、「建礼門院右京太夫集」を読んでいる。その「群書類従」には題詠の歌の四首が、何故か
脱落している。他の写本にはあるので、「群書類従」の編纂者が書き落としだと思われる。その「群書類従」には存在しない歌には、よい歌が揃っているので紹介しておく。
朗読⑦ 「群書類従」に脱落している歌
一首目
我に契り人に契る恋
頼めおきし 今宵はいかに 待たれまし 所違への 文見ざりせば
ある女に求婚している男が、別の女にも求婚しているという、こんがらかった恋の心を詠んだ歌である。
二首目
稲荷の社の歌合せ 社頭朝の鶯
まろ寝して 帰るあしたの 標の中に 心をそむる うぐひすの声
伏見稲荷大社で催された、歌合せで詠んだ歌の中から、社殿の前で朝早く鳴いている鶯という心を詠んだ歌である。
三首目
松の間の夕べの花
入日さす 峰の桜や 咲きぬらむ 松のたえまに 絶えぬ白雲
松と桜が入り混じって咲いている、山の春の夕暮れという心を詠んだ歌である。
四首目
日中の恋
契りおきし ほどは近くや なりぬらむ しをれにけりな 朝顔の花
昼間の恋という心を詠んだ歌の心を詠んだ歌である。
この中から、私が最も好きな四首目を鑑賞しよう。
女は朝、目が覚めた時は喜びが溢れていた。今宵は男が来てくれるはずの日だから。午前中が正午になり、やがて
午後になる。男が来るはずの時刻が少しずつ近づいてくる。それにつれて、女の心は不安が大きくなってくる。今宵は、来てくれるのだろうか。急用が出来たりして、来られなくなってしまうのではないか。そんなことを考えながら、女が庭に目を向けると、朝には美しく咲いていた朝顔の花が、午後になるとしょんぼりと萎れているのが見えた。女はその朝顔の姿に、今の自分を見た。
なんとも物語的である。こんな歌を詠む歌人は、物語作者としての才能にも恵まれていると思う。そういう右京太夫だからこそ、自分の人生を思い出すというスタイルで、物語的な内容の「建礼門院右京太夫集」を書けたのだと思う。
次回からは、平家全盛の時の思い出に戻る。
「コメント」
段々講師の仕掛けた罠にかかってきた。最初は物語的な解説を素直に聞けなかったが、最近はこういうスタイルの方が、イメージが湧いてきて理解しやすくなってきた。素人にはこういう方が聞き易い。勝手で済みません。