220305紫式部日記㉓「日本紀の御局」
紫式部が或る人にあてた長い手紙を読んでいる。今回は紫式部が漢文に関する、思い出を記した
部分を読む。まずは左衛門の内侍という意地悪な女房から、日本紀の御局というあだ名をつけられたエピソ-ドである。
左衛門の内侍には、女房仲間が紫式部に抱いている嫉妬や憎悪が込められている。
「朗読1」左衛門の内侍に日本紀の御局と、漢籍の知識を持っているのを、
嫌味に言いふらされて大憤慨。
左衛門の内侍といふ人はべり。あやしうすずろによからず思ひけるも、え知りはべらぬ、心憂きしりうごとの、おほう聞こえはべりし。内裏のうへの、源氏の物語人に読ませたまひつつ聞こしめしけるに、「この人は日本紀をこそ読みたるべけれ。まことに才あるべし」と、のたまはせけるを、ふと推しはかりに、「いみじうなむ才がある」と、殿上人などにいひ散らして、日本紀の御局とぞつけたりける。いとをかしくぞはべる。ひのふる里の女の前にてだに、つつみはべるものを、さるところにて才さかし出ではべらむよ。
「現代語訳」
左衛門の内侍という人がいます。この人が私を訳もなく快からず思っていることを知らないでいた所、嫌な私の陰口が入ってきた。一条天皇が、源氏物語を人に読ませてお聞きになっていた時に、「この作者はあの難しい日本紀を読んでいるようだね」と仰ったのを聞いて、この内侍は「源氏物狩の作者はとっても学問があるってさ」と、殿上人に言いふらした。
そして私に日本紀の御局とあだ名をつけた。ふざけたことです。自分の実家の侍女の前でも、漢籍を読むのを憚っているのに、どうして学問をひけらかししたりするでしょうか。
「講師」
紫式部が日本紀の御局と呼ばれたことは有名であるが、その出所がここである。左衛門の内侍は
一条天皇に仕える女房。日本紀は狭義では日本書記、普通は六国史。日本書紀、続日本紀、日本後紀、続日本後期、文徳天皇実録、日本三大実録。この悪口は、紫式部などと言う雅な名ではなく、日本紀の局にしたらという意味もある。
一条天皇は、源氏物語のどこに日本紀から取った知識を感じたのであろうか。須磨明石の巻で語られる光源氏の旅が、日本書記に書かれている山幸彦の神話を踏まえているという指摘もある。
「朗読2」弟の漢籍の勉強を側で聞いて、すぐ覚えていた。親は「御前が男ならな」と
嘆いていた。
この式部の丞といふ人の、童にて書読みはべりし時、聞きならひつつ、かの人はおそう読みとり、忘るるところをも、あやしきまでぞさとくはべりしかば、書に心入れたる親は、「口惜しう、男子にて持たらぬこそ幸ひなかりけれ」とぞ、つねに嘆かれほべりし。
「現代語訳」
私の弟の式部の丞という人は、まだ子供の頃漢籍を読んでいた時、私はそばで聞いて習っていた。弟の勉強が進まなかったり、忘れたりするような処でも、私は不思議なほどに早く理解していました。学問に一生懸命であった父親は、「残念だ。この娘が男の子でないのは」といつも嘆いていた。
「講師」
紫式部日記には、紫式部が漢籍に親しんだ家庭環境についても書かれている。説話集にも弟の事が書かれていて、ここから賢姉愚弟のイメージが出来上がった。紫式部は漢籍を習得した上で、大和言葉で源氏物語を書いた。即ち、源氏物語は和と漢の二つの文化の融和を目指したものである。
「朗読3」男だって学問をひけらかす人は偉くならない。漢籍など知らないふりをしているのに、
中宮様が教えてと言われるので、こっそり教えているのを天皇も道長様も知って
しまわれた。左衛門内侍が聞いたらどんなにか悪口を言うだろう。
それは、「をのこだに才がりぬる人は、いかにぞ、はなやかならずのみはべるよ」と、やうやう人もいふも聞きとめて後、一とふ文字をだに書きわたしはべらず、いとてづつに、あさましくはべり。読みし書などいひけむもの、目にもとどめずなりてはべりしに、いよいよ、かかること聞きはべりしかば、いかに人も伝へ聞きてにくむらむと、恥づかしさに、御屏風の会うに書きたることをだに読まぬ顔をしはべりしを、宮の、御前にて、文集のところどころ読ませたまひなどして、さるさまのこと知ろとめさまほしげにおぼいたりしかば、いとしのびて、人のさぶらはぬもののひまひまに、をととしの夏ごろより、楽府という書二巻をぞ、しどけなながら教えたてきこえさせてはべる。隠しはべり。宮もしのびさせたまひしかど、殿もうちもけしきを知らせたまひて、御書どもをめでたう書かせたまひてぞ、殿はたてまつらせたまふ。まことにかう読ませたまひなどすること、はた、かのものいひの内侍は、え聞かざるべし。知りたらば、いかにもそしりはべらむものと、すべて世の中ことわざしげに憂きものにはべりけり。
「現代語訳」
それなのに、「男でさえ、学問をひけらかす人は、どうでしょうか、栄達しないようですよ」と人が言うのを聞いてからは、一という漢字さえ書いてはいません。呆れるほど無学を装っています。かって読んだ漢籍は、目にもしなくなっているのに、こんなあだ名を聞いたので、これを聞いた人はどんなにか私を憎むだろうと思ってしまう。御屏風に書いてある文字さえ読めないふりをしているのに、中宮様に
「白居易の漢詩集」を読ませられたりした。漢詩文に興味をお持ちなので、人目を避けて人のいない時に教えて差し上げていたが、天皇も道長様もお気づきになり、漢籍を書家に書かせて、
中宮様に差し上げられた。さすがに私が中宮様に漢籍など読んで差し上げているのを、あの内侍は知らないでしょう。もし、この事をしったらばどんなにか悪口を言うことかと思うと、何事につけても世の中は煩雑で憂鬱な事です。
「講師」
それほど漢籍に対する素養の高かった紫式部であったが、次第にその事実を隠すようになる。無学を装う。中宮との漢籍勉強会もこっそりやるようになる。
「朗読4」一転して出家願望。ソロソロ年なので。でも出家できるか心配です。
いかに、いまは言忌しはべらじ。人、といふともかくいふとも、ただ阿弥陀仏にたゆみなく、経をならひはべらむ。世のいとはしきことは、すべてつゆばかり心もとまらずなりにてはべれば、聖にならむに懈怠すべうもはべらず。ただひたみちにそむきても、雲に乗らぬほどのたゆたふべきようなむはべるべかなる。それに、やすらひほべるなり。としもはた、よきほどになりもてまかる。いたうこれより老いほれて、はた目暗ウて経読まず、心もいとどたゆさままさりはべらむものを、心深き人まねのようにはべれど、いまはただ、かかるかたのことをぞ思ひタマフル。それ、罪ふかき人は、またかならずしもかなひはべらじ。さきの世知ラるる事のみ多うはべれば、よろづにつけて悲しくはべる。
「現代語訳」
さあ、もう言葉を慎むこともやめよう。人がとやかく言っても、ただ阿弥陀仏に向かって、お経を唱えよう。世の中の厭わしい事もなくなってきたので、出家して仏道修行に精進しても、怠けることはありません。一途に世の中に背を向けて仏道に入ったとしても、ご来迎の雲に乗るまでに、心が迷って動揺することがきっとあるでしょう。それを思って出家をためらっているのです。年齢も出家する年齢になってきました。これより齢を取って老いぼれて、目が霞んで、お経もよめず、心も愚かに鈍くなるでしょう。思慮深い人の真似だけど、今はただ、出家の事ばかり考えています。でも私のように罪深い人間は、出家の希望が叶うとも限りません。前世の罪が自ずと思いだされて、悲しい思いです。
「講師」
源氏物語では、女37歳が大厄として、ヒロインの運命を暗転させている。紫式部もこの頃37歳か。
出家するに潮時と感じたのかも知れない。年を取り、正常な意識、活動が難しくなったら、出家しても経も満足に読めず、お勤めも出来ないであろう。思慮分別のある人は、それまでに考えた上で、ぎりぎり若いうちに出家するのであろう。等と思っている。
源氏物語宇治十帖 夢の浮橋の巻の結末は、尼になった浮橋が還俗するのか、そのまま仏門修行を続けるのか、どちらとも取れる。紫式部は出家をためらっているのである。
この後、紫式部は手紙の読み手に対する挨拶を書いて、手紙は終了する。
「コメント」
宮中のゴタゴタを書いて、自分が、漢籍が出来る理由を述べたりしていたが、急転直下出家の話となりビックリ。
途中が抜けていたりするのであろうが、しっくりこない感じではある。やはり王朝文学をかじるのには、源氏物語をきちんと読むのが必須というのが段々分かってきた。もう遅いか。