220205紫式部日記⑲「斎院と中宮」
前回から紫式部が、ある人に宛てた長い手紙を読んでいる。誰に宛てたのかは分からない。前回読んだ様に、この手紙は、中宮彰子に仕える女房達の人物批評から書き始められた。今回から2回にわたり、賀茂の斎院に仕える女房と、中宮に仕える女房とを比較して、論じている部分を読み味わう。
斎院は平安京を守護する、賀茂神社の神事に奉仕する。多くは、内親王が任命された。
この時代の斎院は、選子内親王であった。村上天皇の皇女。975~1031年 57年間。円融・花山・一条・三条・五一条 天皇五代にわたり、大斎院と称された。
紫式部日記は選子が斎院になって、約30年経った頃の作品である。源氏物語にも選子内親王が、
中宮彰子に何か面白い物語を所望されている場面がある。
紫式部はある時、賀茂の斎院の仕える中将の君という女房が、或る人に宛てた手紙を見せて貰った。すると、大きな怒りに駆られたのである。その場面から始まる。
「朗読1」斎院の女房の中将の君の手紙を、盗み詠んで、その傲慢さに、紫式部は激怒する。
斎院に、中将の君といふ人はべるなりと聞きはべる、たよりありて、人のもとに書きかはしたる文を、みそかに人の取りて見せはべりし。いとこそ艶に、われのみ世にもののゆゑ知り、心深き、たぐひはあらじ、すべて世の人は、心も胆もなきように思ひてはべるべかめる、見はべりしに、すずろに心やましう、おほやけばらとか、よからぬ人のいふように、にくくこそ思うたまへられしか。文書きにもあれ、「歌などのをかしからむは、わが院よりほかに、誰かは見知りたまふ人のあらむ。世にをかしき人の生ひいでば、わが院のみこそ御覧じ知るべけれ」などぞはべる。
「現代語訳」
斎院に中将の君という人が、いらっしゃると聞きましたが、つてがあって、この人が他の人に宛てた、書き送った手紙をある人がこっそり取り出して見せてくれました。その手紙と言ったら、それはそれは華やかで、自分だけがこの世の中で物の情緒を解し、心の深い点では比類が無いと思い、全て世間の人は深い心も、しっかりした分別も、ないように思っているらしいのである。その手紙を見たら、無性に腹が立って、公憤というか、下賤の人が言うように、本当に憎らしくなりました。たとえ手紙の文章にもせよ、「和歌などの趣のある者は、わが斎院様より他に、誰が良く見分けることが出来ようか。世の中に情緒豊かな、女性が出るとしたら、わが斎院様こそが、きっと見分けられるであろう。」などとある。
「講師」
紫式部には弟がいて、その恋人が中将の君で、二人は手紙をやりとりする。紫式部は、弟の侍女に命じて、こっそり中将の君の手紙を盗ませ、読んだのであろう。中将の君も弟、惟規が、源氏物語の作者で中宮彰子の文化サロンの中心人物であることは、知っていたであろう。中将の君も、紫式部に読まれてもかまわない、いや読ませたいと思った可能性もある。これを読んで、紫式部は、憎しみを覚えた。腹が立ったのは、中宮彰子の文化サロンへの批判と、斎院の文化サロンの勝利宣言であったから。ここで、紫式部は、中将の君への反論を開始する。
・賀茂の斎院の文化サロンは、最高の素晴らしさではない
・斎院の文化サロンは、それなりに素晴らしいが、恵まれた環境にある
・中宮の文化サロンは、いわれる程ひどくない
・中宮の文化サロンは環境的に恵まれていない
紫式部は、その論点を組み合わせて、中将の君の手紙への反論を開始する。
「朗読2」斎院は趣のある所ではあるが、女房達は劣っていません。又こちらは、天皇や道長様
の事があり大変です。
げにことわりなれど、わがかたざまのことをさしもいはば、斎院より出で来たる歌の、すぐれてよしと見ゆることにはべらず。ただいとおをかしう、よしよししうは尾羽スペカめる所のようなり。サブラフ人をくらべていどまむには、この見たまふるわたりの人に、かならずしもかれはまさらじを、つねに入り立ちて見る人もなし、をかしき夕月夜、ゆゑある有明、花のたより、ほととぎすのたつせねどころにまゐりたれば、院はいと御心のゆゑおはして、所のさまはいと世はなれ、かんさびたり。またまぎるることもなし。上にまうのぼらせたまふ、もしは、殿なむまゐりたまふ、、御宿直なるなど、ものさわがしきをりもまじらず。
「現代語訳」
成程、それはもっともに事ですが、自分の方がそれほど勝っているというのならば、斎院から出て歌はどうかというと、優れてよいと思われるものは別にありません。ただ斎院は大変、趣があり風雅な生活を送っていらっしゃるようです。もしも仕えている女房達を比べて、優劣を競うとしたら、私がいつも見ている中宮様周辺の人達に、斎院側の人達は勝ってはいません。何分斎院がたはいつも内部まで立ちいって見ている人もいないし、偶に趣深い夕月夜とか、花見のついでや、ほととぎすの忍び音の訪ね所として訪ねてみると、斎院様はまことに趣味深いお心がおありで、斎院御所の様子は大変浮世離れしていて神々しい感じです。又俗事に取り紛れることもありません。こちらのように、中宮様が天皇の清涼殿に上がるとか、或いは道長様がこちらに来て宿直をされるなどの騒がしい事もありませんし。
「講師」
紫式部の弁明はここから始まる。少し理屈っぽいが、それは彼女の性格の一端であろう。賀茂斎院は京都北部の紫野。
「朗読3」斎院のような環境なら、中宮の人達も風雅に生きていけるので、歌でも、
男と話しても、斎院の人達に劣るものではない。
もてつけ、おのづからしかこのむ所となりぬれば、艶なることどもをつくさむ中に、なにの奥なきいひすぐしをかはしはべらむ。かういと埋もれ木を折りいれたる心ばせにて、かの院にまじらひはべれば、そこにて知らぬをとこに出であひ、ものいふとも、人の奥なき名をいひおはすべきならずなど、心ゆるがしておのづからなまめきならひはべりなむをや。まして若き人の、かたちにつけて、よしよはひに、つつましきことなきが、おのおの心に入りてむさうだち、ものをもいはむとこのみだちたらむは、こよゆう人に劣るもはべるまじ。
「現代語」
斎院の方ては、自分の身の方向が、風雅を好むような環境になっているので、優雅な事の限りを尽くしても、その中で何の軽々しいいい過ごしなどしましょうか。私のような埋もれ木を、更に地中に取り入れたような引っ込み思案な性格でも、あの斎院にお仕えしたら、そこで知らない男に出会って物を言うにしても、軽薄な女だという評判を、立てるはずはないと、心がゆったりとして、自然に優雅な振る舞いを、し慣れていくでしょう。まして若い女房で、容貌につけても年齢でもひけ目を感じる事のない人が、一生懸命に、何か歌を詠むにしても、自分の自由にしたら、そんなにひどく斎院の方たちに劣るものではないでしょう。
「講師」
ここで紫式部は、自分達中宮に仕える女房達も、静かな環境で宮仕えができれば、今よりもずっと
風流に会話をしたり、物語を読み返したり出来るであろう。斎院は風流だけをやっていればいいが、中宮ではそうはいかない。
斎院では誰も見ていないので評判になる事もない。斎院である選子内親王には大斎院御集という
歌集がある。女房達の文学的日常が垣間見える。又斎院サロンには歌司や物語司などの役職がむ任命されていた。選子が定子や彰子と並ぶ文化サロンを形成していたことは事実である。
斎院に比べて、中宮での宮仕えは気苦労が多い。ここで先週、読んだ中宮側の女房達の人物批評が生きてくる。
「朗読4」今の中宮様は競い合う人がいないので、皆のんびりしている。また中宮様は軽薄な
ことが嫌いである。
されど、内裏わたりにて明け暮れ見ならし、きしろひたまふ女御、后おはせず、その御方、かの細殿と、言ひならぶる御あたりもなく、をとこもをんなも、いどましきこともなきに打ち解け、宮のようとして色めかしきをば、いとあはれはしとおぼしめいたれば、すこしよろしからむと思ふ人は、おぼろげにて出でゐはべらず、心やすく、もの恥ぢせず、とあらむかからむの名をも惜しまぬ人、はたことなる心ばせのぶるもなくやは。たださようの人のやかきままに、たちよりてうち語らへば、中宮の人埋もれたり。もしは用意なしなともいひはべるなるべし。上臈中臈のほどぞ、あまりひき入りざううずめきてのみはべるめる。さのみして、宮の御ため、もののかざりにはあらず、見ぐるしとも見はべり。
「現代語訳」
けれども今は、宮中でいつも顔を合わせて競い合う、女御や后もおいでにならず、そちらの御方、
あちらの細殿の御方という風に並べ上げるお相手もなく、争いがましい事もないので、のんびりしている。
中宮様のご気風として、色めかしい事を軽薄な事として思っておられるので、少しは人並みでありたいと思う女房は、簡単に人前に出るようなことはしません。尤も、気安く恥ずかしがりもせず、世間の噂も気にしない人は、また違った行動をすることがありますが。ただそんな女房は、男達が立ち寄って話をするので、中宮の女たちは引っ込み思案だとか、奥床しさがないとも、両方いわれることがある。
確かにこちらの上臈、中臈たちは、あまりに引っ込み過ぎて、そんな調子では中宮様の飾りにもならない、却って見苦しいとも思われる。
「講師」
中宮彰子に仕える女房達の反省すべき点をあげている。実際には中宮彰子を脅かす他の女御たちは居ない。よって女房たちにもハリも緊張感も乏しく、弛んでいるのである。それに中宮の殿方と話す事を軽薄とする気風がある。紫式部は、引っ込み思案は良くないと言っている。
「朗読5」確かに、劣っている風流の部分を、改善しよう。
「これらをかくしりてはべるようなれど、人はみなとりどりにて、こよなう劣りまさることもはべらず、そのことよければ、かのことおくれ、などぞはべるめるかし。
されど、若人だに重りかならむとまめだちはべるめる世に、見ぐるしうざれはべらむも、いとかたはらはならむ。ただおほかたは、いと書く情なからずもがなと見はべり。
「現代語訳」色々と述べているが、中宮のサロンを風流にしたいのだ。という事は今は、
負けているということ。
この様に上臈と中臈の欠点を私がこんなに良く知っているようだが、人は各人各様で、ひどく勝り劣りすることはない。
その事が優れていれば、あのことが劣るというふうのもの。けれども若い人たちでさえ、なるべく重々しく見せようと努力しているのに、上臈、中臈の人達が見苦しく、戯れているというのはみっともない事です。ただ、中宮全体の雰囲気を、無風流ではなくしたいと思う。
「講師」
中宮に仕える女房達を、引っ込み思案と奥床しさに欠ける二つに分類している。そして引っ込み思案のタイプが多い。その結果、中宮のサロンは、地味になってしまい、風流さに欠ける傾向にある。紫式部はこうした事を、紫式部日記に書くことが、自分の役割と考え、斎宮の文化サロンと戦っているのだ。次回もこの続きである。
「コメント」
仕事の中身と、構成員の中身から考えても、斎院の方が風流。雑事が少ないのは明白。斎院は内親王、中宮は藤原氏の出身。紫式部は負けず嫌い。