211225紫式部日記⑭「里居の日々」

中宮彰子が中心となって、源氏物語の清書が進む場面と、紫式部が実家に戻って、自分の人生を振り返る場面を読む。

どちらの場面でも、源氏物語に関する作者自身の貴重な証言がある。中宮彰子が土御門邸から宮中に戻る日が、近づいた。中宮と道長は一条天皇へのお土産として、源氏物語を清書して綴じた冊子を持っていこうと考えた。源氏物語は中宮と道長にとって、自分たちの存在価値を高める宝物だった。

 

「朗読1」中宮様が、内裏への土産に源氏物語を製本して持って帰ろうと計画。

      ここから一騒動。

入らせたまふべきことも近うなりぬれど、人々地はうちつぎつつ心のどかならぬに、御前には、御冊子つくりいとなませまふとて、明けたてば、まづむかひさぶらひて、いろいろの紙選りととのへて、物語の本どもそへつつ、ところどころにふみ書きくばる。かつは綴ぢあつめしたたむるを役にて、明かし暮らす。「なぞの子もちか、つめたきに、かかるわざはせきせたまふ」と、聞こえたまふものから、よき薄様ども、筆、墨など、持てまゐりたまひつ、御硯をさへ持てまゐりたまへれば、とらせたまへるを、惜しみののしりて、「もののくにて、むかひさぶらひて、かかるわざし出づ」とさいなむ。されど、よきつぎ、墨、筆など、たまはせたり。

局に物語の本どもとりにやりて隠しおきたるを、御前にあるほどに、やをらおはしまいて、あきらせたまひて、みな内侍のの督に、奉りたまひてけり。よろしう書きかへたりしは、、みなひきうしなひて、心もとなき名をぞとりはべりけむかし。

「現代語訳」

中宮様が内裏にお戻りになる日も近くなったが、女房達は仕事が次々とあって、のんびりとも出来ないのに、中宮様は

源氏物語の冊子を御作りになるという。私は夜が明けると御前に伺候して、紙を取り揃えて、物語の原本を添えて、書写を依頼する手紙を書いて配らねばならない。また書写したものを集めて、整理するのを仕事として日を送る。道長様は「どのような子持ちが、この冷たい時節に、こんなことをするのか」と中宮様に仰りながら、上等な薄い紙、筆、墨などを持っておいでになる。果ては硯まで持ってお出でになったので、中宮様がそれを私に下賜されたのを、女房達は大袈裟に惜しみ騒いで、「いつもは奥でのんびりしているのに、こんなことになると出てくる」と陰口を聞いている。

しかし、道長様は立派な墨挟みや墨や筆などを下さった。

自分の部屋に、源氏物語の原本を実家から持ってきて隠していたのに、私が中宮様の御前にいる時に、道長様はこっそり部屋に来て、探し出して、すっかり内侍の督(中宮彰子の妹 妍子)様に差し上げてしまわれた。まずまずと書き直していたのは、無くなってしまい、手直しをしていないのが皆の目に触れることになり、気掛りな評判となったことだろう。

「講師」

中宮彰子は7月から土御門邸にいる。今は11月。9月に若宮の誕生。それから様々な儀式が行われ、女房達は、
慌ただしい日々を送っている。中宮は内裏に戻る時の土産に、源氏物語の冊子を作ろうと思われた。

この時代の紙は貴重品。紫式部が原稿に使った膨大な紙は、どうやって入手したのだろうか。夫は7年前に亡くなっている、かって夫と暮らした実家に戻っても、下女しかいない。紫式部の心には、源氏物語を書き始めた頃の懐かしい思い出が蘇ってくる。

 

「朗読2」実家に帰ってから、源氏物語を書くようになってからの身辺の変化を嘆いている。

御前の池に、水鳥どもの日々におほくなりゆくを見つつ、入らせたまはぬさきに雪降らなむ、この御前の有様、いかにをかしからむと思ふに、あからさまにまかでたるほど、二日ばかりありても雪は降るものか。見どころもなき古里の木立を見るにも、ものむつかしう思ひみだれて、年ごろつれづれにながめ明かし暮らしつつ、花、鳥の、いろをも音をも、春、秋に、行きかふ空のけしき、月の影、霜、雪を見て、そのとき来にけりとばかり思ひわきつつ、いかにいかにとばかり、行末の心ぼそさはやるかたなきものから、はかなき物語などにつけて、うた語らふ人、おなじ心なるは、あはれに書きかはし、少しは遠きたよりどもをたづねてもいひけるを、ただこれをさまざまにあへしらひ、そぞろごとにつれづれをば慰めつつ、世にあるべき人かずとは思はずながら、さしあたりて、恥づかし、いみじと思ひしるかたばかりのがれたりしを、さも残ることなく思ひ知る身の憂さかな。

「現代語訳」

土御門邸のお庭の池に、水鳥の群れが日々多くなっていくのを見ながら、中宮様が宮中にお帰りになる前に雪が降ってくれればいいとよいのに、このお庭の雪景色は、どんなにか趣があるのにと思っていた。さして一寸実家に里帰りした、二日ほどしてあいにく雪が降った。何の見どころもない、実家の庭の木を見るにつけても、憂鬱にあれこれ思い乱れて、夫の死後数年、所在無さに物思いに耽って暮らしていた。花を見ても鳥の声を聞いても、また春秋に移り変わる空を見ても、月の光、霜、雪を見ては、その季節が来たのだなあと、思い知ってはいた。わが身はどうなるのだろうと思うばかりで、

行く先の心細さは晴らしようがなかった。とるに足らない物語などにつけて、お話をする気の合う人とは、手紙を交わしたり、いささか遠い縁故の人などを頼って文通したりした。ただこのような物語を色々と手を入れ、とりとめのない話に所在無さを慰めていた。存在価値のある人間とは思いもしないが、今更恥ずかしい、辛いと思い知るようなことだけは、何とか免れてきたのだが、宮仕えに出てからは、わが身の辛さを思い知ることになった。

「講師」

紫式部が源氏物語を書き始めた早い時点から、読者の感想を求めていたことには驚かされる。彼女も自分の命を守るために書いたのであるが、それは自分一人で終わらせたくはなかったのであろう。この時、読者として想定されていたのは、中宮彰子でも、道長でも一条天皇でもなかった。源氏物語を必要とする人間、源氏物語であたらしい生命を授かる人間、源氏物語を読み終えて新しい人生の扉を開く人間は、まず作者一人だけから始まり、心を通じる人たちに拡がっていき、そして拡大するきっかけとなったのが中宮彰子の参加であったのだ。作者と同じ心の事とは誰のことか。

紫式部に匹敵する教養を持ち、作者が源氏物語で引用する和歌や漢詩、記録類を理解して、なおかつ物語に込めた言葉にならない情念を理解できる人、理性や知性で源氏物語を理解するのではなく、作者と以心伝心で通じ合える人。そういう人に、私はなりたいと心からねがう読者が紫式部の周りにはいたのだ。そして不思議なことにいつの時代にも、自分は源氏物語の最良の読者になりたいと願う読者が絶えなかった。更級日記の作者もその一人である。こうして源氏物語はいつの時代にも詠みつがれてきた。

次に紫式部は孤独を噛みしめることになる。

 

「朗読3」宮仕えをした後の生活の変化を嘆いている。一首の特権階級のスターにになって、

     友人関係も一遍する。宮仕えには、どこか身を落としたというような感じもあったのだ。

     素人が玄人になるみたいな。

こころみに、物語をとりてみれば、見しようにもおぼえず、あさましく、あはれなりしひとの語らひあたりも、われをいかにおもなく心残り思ひおとすらむと、おしはかるに、それさへいと恥づかしくて、えおとづれよらず。心にくからむと思ひたる人の、おほぞうにては文や散らすらむなど、うたがはるべかめれは、いかでかは、わが心のうちあるさまも、深うおしはからむと、ことわりにて、いとあいなければ、中絶ゆとなければ、おのづからかき絶ゆるもあまた、住み定まらずなりにたりとも思ひやりつつ、おとなひくる人も、かたうなどしつつ、すべて、はかなきことにふれても、あらぬ世に来たる心地ぞ、ここにてしもううちまさり、ものあはれなりける。

「現代語訳」

そんな気持ちを慰めようと、試しに物語の本を取って読んでみても、以前見たように面白いとも思われず、味気なくて、むかし愛着を感じた人で、親しく語りあった友も、宮仕えに出て私をどんなにか厚かましく浅はかなものかと軽蔑しているだろうと思うと、そう思うこと自体が恥ずかしく手紙も出せない。人から奥床しく見られようと思っている人は、いい加減な宮仕え女では、手紙もとり散らかすだろうなどと、思う気がになるだろうから、そんな人がそんな人がどうして私の心の内を深く察してくれようかとと思うと、それはもっさともな事で、とてもつまらない気持ちになるので、たよりが中絶する訳ではないが、自然と音沙汰が消える人も多い。私が宮仕えに出て、住居が定まらなくなったので、訪れる人も来にくくなったりする。全てが一寸したことでにつけても、全く別世界に来ているような気持が、我が家に帰っても、一層強く感じられ、しみじみと悲しみが感じられた。

「講師」  講師竜の解釈

実家に戻ったにも関わらず、私の気持ちは晴れない。少しは前向きになれるかと思って、以前に書いた源氏物語を読んでみた。あの頃あれだけの情熱を注ぎ、寝る時間も惜しんで書いた物語なのに、今の私が読んでみても、書いた時の環境や満足感は蘇らない。これは本当に自分が書いたのだろうかと信じられない気持ち迄ある。源氏物語の創作に生き、なにくれとなく勇気連れてくれた友人、知人へも、私から手紙を書く機会は減ってしまった。と言うのは宮仕えに出た事を、
あの人たちはどんなに軽蔑していることだろう。権力や財力に目が眩んですりよっていくとは、なんと軽薄で思慮のない人間だろう。源氏物語にしても、権力の中心に位置する人たちが、自分たちの権力を維持するために利用し合っているだけなのに。

みんなことも紫式部は気付かないのかと呆れられている事だろうと思うと、推測は悪い方ばかりに展開し、
そういう気持ちに自分がなる事を、情けなく恥づかしくて、手紙を書く元気が出ない。

まして最初から、親しくはなくて、つてを頼って源氏物語のコメントを求めた人々は、人から批判されるようななく、優雅に生きていたいという信念があるので、私と文通しても、自分が書いた手紙が宮仕え先などで、誰の目に触れるん知れないと心配する。そうするととんだトバッチリ被ることになる事を心配する。私としても、当然のことながら、私の心の中の思いや、私の境遇を正しく理解してもらえないかと思ってはいるし、そういう人と文通しても何の意味もないので、段々疎遠になっていく。「紫式部さんは宮仕えしているので、宮中や実家を行ったり来たりしている。実家に訪ねても留守だろう。」との配慮で、実家を訪れる人も少なくなった。宮仕えを始めた頃は、私が宮仕え先に伺うと、別世界に紛れ込んだような錯覚にとらわれたものだが、今になっては、自分の故郷である実家にいる時の方が、ここには自分の居場所が無いという思いを感じることは、悲しい事である。

 

紫式部は古い友達との交流がいつの間にか途絶えたことを嘆いている。その最大の原因は、紫式部が考えているような宮仕えではないだろう。紫式部は物語の作者である。だから親しい人たちは源氏物語を読んで、笑われ役の登場人物が、もしかして自分をモデルにしているのではないかと、勘繰ってしまいその結果紫式部との交際を遠慮したのではないか。もしかしたら、自分たちの私的なプライバシ-を材料に提供することを恐れているのだ。
文学者は孤独にならざるを得ない。

 

「コメント」

 

宮仕えが何か、賤業のように考えていたのにはびっくり。源氏物語が売れるにつれて、友達が減っていくというのもなる程か。作者も現実の世界を描くとなると、どこかにモデル、モチーフを求めるから仕方ない事なのだ。