211009紫式部日記③「頼通の姿」
前回はお産のために、父親・道長の土御門邸に下った中宮彰子の姿が描かれていた。
今回彰子の父親である道長と、その長男の頼通の二人が登場する。どちらもはつらつ、颯爽としている。
紫式部は、その両方と別々の機会に言葉を交わした。道長43歳、頼通17歳。まずは道長の自信にあふれた姿である。
「朗読1」道長が庭を歩き回って、今を盛りの女郎花を一枝折って、私の部屋にかざされた。
渡殿の戸口の局に見いだせば、ほのうちきりたるあしたの露もまだ落ちぬに、殿ありかせたまひて、御随身召して、鑓水はらはせたまふ。橋の南なるをみなへしのいとしみじみしうさかりなるを、一枝折らせたまひて、几帳の上よりそしのぞかせたまへる。
「現代語訳」
渡り廊下の戸口の傍にある私の部屋で外を見ていると、うっすらと霧がかかった、朝の露もまだ落ちない頃に、殿は庭を歩き回ってお付きの人を呼んで、鑓水の中に溜まっている物を取り除けさせた。橋の南に咲いている女郎花の盛りと咲いている一枝をお折りになって、それを私の部屋の几帳越しに上からさしかざされた。
「講師」
道長の登場である。
「朗読2」女郎花を題材に、和歌の交換の様子。
御さまの、いと恥づかしげなるに、わが朝がほの思ひしらるれば、「これ、おそくてはわろからむ」とのたまはするにことづけて、硯のもとによりぬ。
をみなへしさかりの色を見るからに露のわきける身こそ知らるれ
「あな疾」とほほゑみて、硯召しいづ。
白露はわきてもおかじをみなへしこころからにや色の染めむらむ
「現代語訳」
道長様のご様子は、こちらが恥ずかしくなるほどご立派で、私の寝起きの顔がきまり悪く思われる。
「この花の歌は、遅くなっては具合が悪かろう」と仰るのを良いことに、部屋の硯の所に近寄った。
女郎花の露を含んで、今を盛りの様子を見ると、白露も置いてくれない盛りを過ぎた私のことが思い知らされます。
「おお、早いことだ」とにっこりされて、道長様は硯を取り寄せられる。
白露は、分け隔てはしないよ。女郎花が綺麗なのは、自分から美しくなろうとしているからだよ。
「講師」
露を愛とか情に意味に例えている。目をかけてくれないと、少し拗ねて見せている。
「朗読3」同僚と話していると、道長の長男頼道様が見えて、年若いのにしみじみと七話をして、
古歌を歌って去っていく。
しめやかなる夕暮に、宰相の君と二人、物語してゐたるに、殿の三位の君、簾のつま引きあけて、ゐたまふ。年のほどよりはいとおとなしく、心にくきさまして、「人はなほ、心ばえこそ難きものなめれ」など、世の物語しめじめとしておはするけはひ、をさなしと人のあなづりきこゆるこそ悪しけれど、恥づかしげに見ゆ。うちとけぬほどにて、「おほかる野辺に」とうち
誦して、立ちたまひにしさまこそ、物語にほめたるをとこの心地しはべりしか。かばかりなることの、うち思ひいでらるるもあり、そのをりはをかしきことの、過ぎぬれば忘るるもあれば、いかなるぞ。
「現代語訳」
しっとりとした夕暮れに、宰相の君と話をしていると、道長様の長男・三位の君が見えて、簾を引き上げて、お座りになる。
御年の割には大人びて奥床しい。「女性は気立てのいい人はめったにいないね」などと、男女の話などしておいでになる様子は、まだ幼いなどと噂しているのはいけないことだと、私も恥ずかしくなるほどである。余り打ち解けぬほどで「おおかる野辺に」、と歌ってお立ちになる様子は、物語に出てくる男性そっくりであった。その一寸した事で、ふと思い出すこともあり、その時は面白いと思った事も時が経てば、忘れてしまうこともある。どうした事なんだろう。
「講師」
宰相の君→蜻蛉日記の作者の孫、藤原道綱の娘。紫式部と最も親しい女房。
「おおかる野辺に」 古今集 秋上 小野美材 この歌の二句を歌っている。
女郎花おほかる野辺に宿りせばあやなくあたの名をや立ちなむ→女性が多くいる所に長居すると、浮気者の評判が立つのでお暇します。
「朗読4」碁で負けた側が、相手を接待する様子を描いている。結構贅沢である。
播磨の守、碁の負態しける日、あからさまにまかでて、後に御盤のさまなぞ見たまへしかば、華足などゆゑゆゑしくして、州浜のほとりのみずにかきまぜたり。
紀の国のしららの浜にひろふてふこの石こそはいはほともなれ
扇どもも、をかしきを、そのころは人々持たり。
「現代語訳」
播磨の守が負け碁の接待をした日、外出して後日、御盤の様子を拝見したら、花形の足など趣向を凝らして会って、飾り物の屋台の洲浜の砂にこう書いてあった。
紀の国のしららの浜で拾うというこの碁石こそは、我が君の世が末永くあって、巌となりますように
女房達はこんな時にはつきものの、趣向を凝らした扇などを持っていた。
「講師」
負けた側が、接待供応する習わし。
「コメント」
道長と紫式部は結構、親し気である。また頼通は当時17歳の若造、御曹司だからであるが。褒めすぎ。それにしても都度、歌を披露しなければならないし、古歌の知識も求められる。楽ではない。