2105015蜻蛉日記⑦「自分の半生を長歌に籠める」

夫 兼家への思いを長歌でぶっつける場面を読む。万葉集の長歌では最後に五七五七七の返歌が加わるが、蜻蛉日記の長歌には返歌がない。

 

長歌を詠むに至った作者の心中を、講師なりに述べる。

「一難去ってまた一難。町の小路の女の障碍は無くなったものの、又あの人が来ないという問題が

残っている。心安らかな日々などない。女房達はそんな私を見かねて、色々と知ったかぶりの助言をする。貴女はお若いので、男女のことが判っていない。どうしてそんなに思い詰めるのか。夫婦って

所詮こんなものですよ。こんな助言を真に受けて事態が好転したことは無い。
夫の兼家は、私が何か悪いことをしたかとなどと思いやりもなく、自分には何の責任もないという態度を、たまに訪れては示す。私がこの後どうして生きて行けばよいのかと様々な面で思うことが山ほど

ある。どうして鈍感なあの人に私の心の苦しみをはっきりと言い知らせることが出来ないものかと悩んでいる時に、不愉快な気分になり、どうしても黙っていられなくなったので、これを言う機会にして

やはり心の中を思いを言葉にしてあの人にぶっつけてみようと思い立った。
私の胸から噴出して来た思いを、五七五を何度も繰り返し、最後を七七で結ぶ長歌と言う新しい形式の歌になった。
自分の心の中に溜まった苦しみや悲しみを全て言葉にして体の外に出してしまおうという覚悟で詠んでいる。」

 

長歌

「朗読1」 分かって。安らかな時はなく、このままで一生が終わってしまうのか。

思へただ 昔もいまも  我が心 のどけからでや 果てぬべき

「現代語訳」

分かって下さい。昔も今も私の心は安らかな時はなく、苦しみ続けてきたが、このままで一生を終えてしまうのだろうか。

講師」

作者が心から呼び掛けているのは、夫兼家である。出会いから今に至るまでのどかで心寛ぐ時など一度も無かったと言っている。

「朗読2」出会いの時から不安を覚えていた。

見そめし秋は 言の葉の 薄き色にや うつろふと 嘆きのしたに 嘆かれき

「現代語訳」

初めてお会いした秋には飽きられて、優しい言葉も色あせていくのではと、嘆きを覚えたものでした。

掛詞を多用 秋→飽き 言の葉→木の葉  嘆き→木

 

「朗読3」父が娘を宜しくと言い置いたにも関わらず、どんどん疎遠になってしまった。

冬は雲居に 別れゆく 人を惜しむと 初時雨 曇りもあへず 降りそぼち 心細くは ありしかど 君には霜の 忘るなと言ひおきつとか 聞きしかば さりともと思ふ ほどもなく とみにはるけき 

わたりにて 白雲ばかり ありしかば 
「現代語訳」

冬には、遠く陸奥へ旅立つ父との別れを惜しんで、初時雨が降りそぼつように、涙で心細さで一杯でしたが、父が貴方に「娘を宜しくお願いします」と言い置いたと聞いていましたが、貴方まで疎遠に

なってしまい、虚ろな心で過ごしていました。

講師」

ここには作者を慈しんでくれた父が陸奥国の国司として赴任していった悲しみが詠われている。
遠くに行く父は兼家に、娘を宜しくという歌を書き残したのである。
兼家は「娘さんの事は任せて下さい」と大見えを切ったが、やがて作者が恐れていた通り、訪れは

少なくなった。

 

「朗読4」待ち続けたがあなたは戻って来ませんでした。

また古里に 雁(かりがね)の 帰るつらにやと 思ひつつ 経れどかひなし

「現代語訳」

でも雁のように季節になるとあなたは戻ってくるかと思って、待ち続けていたがその甲斐もありませんでした。

 

「朗読5」辛いということを綿々と訴える

かくしつつ わが身空しき 蝉の羽の いましも人の 薄からず 涙の川の はやくより かくあさましき うらゆゑにながるることも 絶えねども いかなる罪か 重からむ ゆきもはなれず かくてのみ 

人のうき瀬に ただよひて みづの泡の 消えば消えなむと 思へども

「現代語訳」

こうして、わが身は空しくて、蝉の羽のように薄い貴方の薄情は今に始まったことではなく、泣き暮らしてきましたが、前世に重い罪を犯したというのか、貴方との宿縁から、浮世に漂って、辛いことばかり、死ねるものなら死んでしまいたいと思う。

「講師」

蜻蛉日記に影響されたであろう源氏物語には、「空蝉」や「浮舟」など描かれた寄る辺ない人生に漂った女性たちが登場する。そういう人たちの源流に作者がいる。

 

「朗読6」せめて父の帰りを待って、死にたい。

悲しきことは、みちのくの 躑躅の岡の くまつづら くるほどをだに 待たでやは 宿世絶ゆべき あひ見てだにと 思ひつつ

「現代語訳」

悲しいのは、父の帰京を待たずには死にきれない、せめて一目会ってからと思っています。

「講師」

陸奥の歌枕が二つ。躑躅の岡、阿武隈。

蜻蛉日記は上中下の三冊からなっているが、二巻の末に、巻末歌集といって、作者 道綱の母が詠んだ歌を集めてある。

その中に、父が陸奥国から帰国した後に、陸奥国の名所を描いた絵を作者に見せてくれたといいう詞書の歌がある。

 

「朗読7」辛いので出家しようとも思うが、思いきれない未練を云っている。

嘆く涙の 衣手に かからぬ世にも 経べき身をなぞやと思へど あふばかり かけはなれては しかすがに 恋しかるべき 唐衣 うちきて人の うらもなく なれし心を 思ひては うき世を去れる 

かひもなく 思ひ出で泣き われやせむ

「現代語訳」

嘆く涙で袖も濡れるばかり。こんなに泣いて暮らさないで済む境遇(出家)も思うけれども、出家になって会う当てがなくなる身となると、恋しくなることもあるでしょう。貴方が来て仲良くした昔を思い出すと、折角浮世を棄てて出家しても、泣いてしまうかもしれません。
「講師」

父に暮らす陸奥国と京都の間の東海道の歌枕を二つ。

しかすが しかすがの渡し、これは更級日記にも出てくる

唐衣 伊勢物語の第九段 業平が東下りの途中、三河の八つ橋でカキツバタの花を見て唐衣の歌を作った故事  又随所に掛詞を多用

「朗読8」ちっとも来てくれないとの思い。

と思ひかく思ひ 思ふまに山と積もれる しきたへの 枕の塵も 独り寝の 数にし取らば つきぬべし なにか絶えぬる たびなりと 思ふものから 

「現代語訳」

ああも思い、こうも思い、思い乱れている内に、使わないので積もる枕の塵も大変なもので、独り寝の数には及ばない。→独り寝がずっと続いていることを表す。貴方との仲も遠く隔たってしまいました。

 

「朗読9

風吹きて 一日も見えし 天雲は 帰りし時の なぐさめに いま来むといひし 言の葉を さもやとまつの みどりごの たえずまねぶも 聞くごとに 人わろげなる 涙のみ わが身をうみと たたへどもみるめも寄せぬ 御津の浦は かひもあらじと 知りながら 命あらばと 頼めこし ことばかりこそ 

しらなみの 立ち寄りこば 問はまほしけれ

「現代語訳」

野分の後、天雲のように他所に行ってしまう人と思っていたあの人が来て、帰り際に、気休めに「近いうちにまた来るよ」と仰った言葉を、幼子が絶えず口真似するのを聞くたびに、みっともなく辛い涙が溢れる。こんな私の所にお出で下さるはずもなく、はかない望みとは知りながら、貴方が「命ある限り見捨てない」と仰ったことが本当かどうか、今度来て下さった時にお聞きしたいと思っています。

「講師」

これで長歌は終わる。この長歌を兼家の目に付きやすいように二階棚に置いた。兼家は目にした。彼も感じるところがあったのだろう。次は兼家の弁明の返歌である。

 

「コメント」

歌枕、掛詞を思い切り取り込み和歌の名人の面目躍如。万葉集の長歌は見たことはあるがこんなに長いのは初めて。勿論作る方は大変だが、中身が中身だけに、読まされる側の苦労は想像を絶する。こんなのがずっと続くのかと思うと古典講読もウンザリ。